【コミカライズ】愛しのあの方と死に別れて千年 ~今日も私は悪役令嬢を演じます~〈2〉

 ニックのその言葉を、男はにわかに信じられないようだった。

 男の動揺が、背中越しに伝わってくる。今ならばこの腕を抜け出せるかもしれない。

 一度はそう思ったが、けれど、下手に神経を逆なでするわけにはいかない。――私は仕方なく、もう少しだけ様子を見ようと心に決める。

 ニックは抵抗を見せることない私を一瞥し、再び男を見上げた。

「貴族です。間違いなく」
「…………へェ」

 男はニックの言葉が嘘でないと判断したのか、今度は私に問いかける。

「お前、どうしてニックを追ってきた? 今さらこいつが恋しくなった……ってわけじゃあねェだろ?」

 それは至極まともな質問だった。
 けれど声の出せない私に、答えることなどできるはずもなく――。

 ――しばらく続く沈黙。
 その間も、私の首筋に添えられたナイフは決して微動だにしない。

 沈黙を貫き通す私に、男が問う。

「だんまり……か。まさか口がきけねェのか? それとも俺を舐めてるのか?」
「…………」
「おいニック、この女うんともすんとも言わねェが、話せねェのか」
「……いえ、そんなはずは」

 ニックの顔が訝しげに歪む。
 彼は少し考えて、続けた。

「でも、さっきから一言もしゃべらないので、あるいは……」
「……へェ」

 ニックの返事に、男が嗤った。それはどこか嘲《あざけ》るような、気味の悪い声だった。

「本当にそうなら好都合だが……どれ、確かめてやるか」

 男は私の耳元で呟いて――ナイフを持っていない左腕で、私の身体をまさぐり始める。

「ほら、叫んでみろよ」
「――っ」

 それは試すような声だった。――私が本当に声を出せないのか、確かめるように。

「叫ばねェなら、続けるぜ?」

 男の左手がゆっくりと、私の腰から腹へ、そして胸元へと這うように移動してくる。それはコルセットの上からでも感じる――吐き気をもよおしそうなほど――気持ちの悪い感触。わざとらしい、癇に障る触り方。――けれど。

 それでも私は決してニックから視線を離さなかった。ニックがどんな顔をしているか、彼の表情に変わりはないか……それを、見逃さないように。

 そうだ。こんなもの彼の苦しみに比べたらなんてことはない。私は――平気よ。
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