一家離散に追い込んでおいて、なぜ好きだなんて言うの
 葉月は秀の温かな視線から逃げるように、スマホのタスク管理アプリを起動した。

「上屋敷くん。じゃなかった、専務。今日は9時から葛城工業との打ち合わせです。8時半にタクシーを予約していますからね」

 かしこまって言った葉月の顔に、不意に秀の手が伸びてくる。

「ケチャップ付いてます」
「え、嘘」

 葉月が口に触れる前に、秀のゴツゴツした指が葉月の唇を撫でた。くすぐったくて、葉月は思わず顔を引く。

「嘘です」
「……は?」

 秀は何事もなかったかのように手を引っ込め珈琲をすすった。人の唇に触れるだけ触れておいて、一体どういう了見だ。

「ちょっと!」
「失礼。ケチャップではなく口紅でした」

 ふざけた言い訳をして、秀は続ける。

「その色、源さんにとても似合っています。綺麗です」
「は……はあ?」

 この男はまたそういう事を言う。葉月の顔が熱くなる。マイペースで調子の良いところが、秀は本当にずるい。

「な、なによ綺麗って。ケチャップと間違えておいて何言ってるの」
「……失礼。確かに褒め方を間違えました。精進します」
「精進って」

 でも、秀なら本当に誉め言葉を勉強しそうだ。そう思った葉月は、つい吹き出してしまった。そんな葉月を見て、秀も柔らかな笑みをこぼす。
 なぜだろう。秀は葉月の人生を滅茶苦茶にした元凶なのに、それを忘れてしまいそうになる。
 二人で笑いあう時間が増えるたび、葉月は不思議な気持ちになっていった。
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