一家離散に追い込んでおいて、なぜ好きだなんて言うの
 嫌な記憶に蓋をした葉月は、身支度を整えて朝の仕事へと向かった。

「おはよう、葉月ちゃん。今日も早いね」
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

 旅館の炊事場では、板前さんが朝食の準備を始めるところだった。
 葉月は気合いを入れなおし、顧客リストを眺めた。アレルギー対応、メニューの確認、食材の在庫チェックに発注準備。早朝の炊事場だけでもやる事は沢山ある。

「働き者だねえ、葉月ちゃんは」

 業務をこなす葉月を見ながら、板前さんが米を研ぐ手を止めて笑った。

「葉月ちゃんは女将さん以上に働いてるよな。えらいよ」
「とんでもないです。私は女将さんたちに恩返しをしているだけですから」

 父の会社が倒産したあの日、父も母もお金になる仕事を求めてそれぞれ地方へと移住してしまった。当時17歳だった葉月を一人、東京に残して。
 恩情だったのか、足手まといだったのかはわからない。学歴も職歴も、お金も住む所も何もない葉月は路頭に迷っていた。
 その後、親戚を頼ってこの若松莊にたどり着き、ご主人たちの好意で雑用として置いてもらっている。

「無知で何も出来ない私を雇ってくれた女将さんたちには、本当に感謝してるんです」

 最悪、葉月はずっと路上生活をしていたかもしれない。働けることも、衣食住を得られることも、当たり前ではないのだ。
 だからこそ葉月は、こうなってしまった元凶の上屋敷(かみやしき)(しゅう)をずっと許せずにいる。
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