小羽根と自由な仲間達
…この間のティータイムの時、加那芽兄様は「小羽根が昔描いてくれた似顔絵を、金の額縁に入れて客間に飾ってある」と言っていた。

…本当に恥ずかしいから、それは今すぐやめて欲しいけれど。

実は、その似顔絵のことは、今でも覚えている。

あれは、僕がこの屋敷に来て初めて描いた絵だった。

確かあれは、加那芽兄様の誕生日のことだった。

僕が屋敷に来て初めての、加那芽兄様の誕生日。

ある日突然、屋敷の人々が忙しそうに、屋敷中の大掃除を始めた。

屋敷にある広いパーティルームを中心に、玄関から中庭から、長い廊下の隅々まで。

年末でもないのに、突然大掃除を始めた屋敷の使用人達を、当時の僕は不思議そうに眺めたものだ。

屋敷全体が活気づくと言うか、大きな行事が行われる前のように、誰もが忙しそうに働いていたから。

不思議に思った僕は、当時から僕の世話を焼いてくれた志寿子さんに尋ねてみた。

「何だか皆さん忙しそうですけど、何かあるんですか?」と。

すると、志寿子さんが答えてくれた。

「もうすぐ、加那芽坊ちゃまの誕生日パーティが開かれるんですよ」と。

僕はそれを聞いて、心底びっくりした。

加那芽兄様の誕生日がもうすぐ、という点じゃなくて。

誕生日パーティの為に、これほど大掛かりな準備をしていることの方に驚いた。

僕にとって誕生日と言えば、親に誕生日プレゼントをもらって。

いつもよりちょっと豪華な夕飯に、ろうそくを立てたデコレーションケーキ。

これが、僕の知っている「誕生日パーティ」だった。

そして、実際ほとんどの家庭では、これが一般的な誕生祝いだと思う。

しかし、この無悪の屋敷では違っていた。

あくまでこの家にとって、当主をの誕生日はある種の「行事」だった。 
 
国内の有力者達を屋敷に招き、お酒と食事を振る舞い、誕生日の「お披露目」をする…。

今でこそ、僕はそういう「行事」の大切さを知っている。

しかし、当時の僕にとって誕生日とは、一年に一度の嬉しいお祝い、くらいにしか思っていなかった。

だから、加那芽兄様の誕生日がもうすぐと聞いて。

無邪気に、「それじゃあ加那芽兄様にプレゼントを渡そう」と思い至った。

だが、当時の僕はまだ7歳かそこら。

そんな子供に、用意出来るプレゼントなんてたかが知れている。

母の日に、母親の似顔絵を描いてプレゼントする子供のように。

僕はその時、加那芽兄様の為に似顔絵を描いたらどうか、と思いついた。

…我ながら、非常に浅はかである。

今思い返すと、自分のしたことの幼稚さに恥ずかしくなってくるが。

当時の僕は、あくまで真剣だった。

そして、真っ白い画用紙を取り出して、クレヨンで加那芽兄様の似顔絵を描き始めた訳だ。

それはもう、酷い絵だった。

屋敷中に飾ってある、加那芽兄様作の絵画とは、全く似ても似つかない。

まるで足元にも及ばない、稚拙で子供っぽい絵。

それなのに、当時の僕にはそれが立派な作品のように見えていたのだから、本当におめでたいと言うか何と言うか…。

この愚かな幼稚さが、後に僕に恥をかかせる要因となる。
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