【完結】梅雨鬱々倶楽部~梅雨と初恋、君の命が消えるまで~
「な、なに……!?」
慌てるコノミの手を、ナギサがギュッと握って立ち上がる。
海がひっくり返ったような雨のなか。
暗い雨のなか。
真っ暗な空。
その上空に音を立てる、主が見えた。
「……く、クジラ……?」
暗い雨を巨大で真っ白な鯨が泳いでいる。
ゆったりと、激しい雨をまとって、真っ黒な梅雨の雲の海を泳いでいる……。
あれは鳴き声だ――。
「……そう、あれは、梅雨夢境鯨(つゆ・むきょうげい)」
「つゆ、むきょうげい……?」
「海で寿命を終えた長寿の鯨の魂が、梅雨を海と勘違いして渡ってくるんだ……」
鯨は遠くでもヒゲがはっきりとわかるほどに伸びて、まるで仙人のようだ。
真っ白な身体は淡く輝いて、神秘的に見える。
「勘違いして……」
「でも、あれは今回誘き寄せられた獲物なんだよ」
「……どういうこと……?」
「梅雨夢境鯨(つゆ・むきょうげい)になれるほどの仙人鯨は、ものすごい霊力を持っている……いい武器の材料になるんだ」
「武器? 材料? あ……あれを殺すの……?」
まさか、その役目をナギサが? とコノミは思った。
それで彼の命が危険に……?
じっとりと二人の繋いで手に汗が滲む。
「うん。でも梅雨夢境鯨(つゆ・むきょうげい)が暴れれば被害が出る。だから梅雨夢境鯨が、暴れないように……僕が身を捧げるんだ」
「……え?」
信じられなかった。
「人間が彼を利用することに対しての礼儀に……まず人間の魂を、彼に捧げて納得してもらう」
「な、なにそれ……なに言ってるの?」
震える悪寒を感じながら、コノミはナギサを見る。
でもナギサは、車窓から素敵な風景を見るかのように少し微笑んで梅雨夢境鯨を見上げている。
「彼は良い武器になる。彼は僕を飲み込んで満足するだろう。僕の魂がその役に立つんだ」
「……ぶ、武器のため……?」
「その武器はね、人を襲う妖魔という化け物を斬るために創られるんだ」
「え……妖魔……?」
「そう。普通の人は知らない。みんなを守るために影で戦っている人達がいるんだよ。その彼等のために武器がいる。……僕の魂が武器の材料になったあとは……それを扱う祓魔師の名門家に奉納されるんだ……名誉な事だよ」
「……うそ……」
嘘なんかナギサが言うわけがない。
でも嘘だと言ってほしかった。
ナギサは病気でも、なんでもない。
――生贄にされるのだ――
「……逃げないの!?」
「あはは。逃げないよ」
「じゃあ助けを求めようよ!」
「誰に求めるの? ……それに求めないよ……これが僕の運命だから……」
目眩がして、涙が溢れる。
梅雨夢境鯨はいつの間にか、何度か鳴いて、またいなくなった。
「ごめんね。誤魔化して、さよならした方がいいかなって思ったんだけど……でも友達だから言っておきたかった……」
「こんなの……酷いよ……だめだよ……」
「僕一人がどうにかできるものじゃないんだ……千年二千年続いてきた……家の宿命なんだ」
「だって死んじゃうんだよ!? 助けを呼ぼうよ!!」
「助けてくれる人なんか誰もいないよ。良い武器を残すのは、この国を守るため、正義のためなんだから」
「……そんなの……正義なの……?」
「泣かないで、僕はいいんだ。……ほら、見て……」
泣くコノミに、ナギサは真っ白なハンカチを渡す。
さっきの鯨みたいに、真っ白な。
そして、言われた先を見る。
いつも濁っている池と小さな橋と、木々と紫陽花。
それをライトアップするように光の玉が、ふわふわと浮かびだす。
まるで蛍のようだ。