雨声~形のないラブレター

事務所にやって来た健兄の言葉にハッとした。

姉と似た表情をしているから、同じように耳が不自由だと決めつけたり、手話ができると思い込んでいた。
けれど、ある日突然耳が聞こえなくなったり、声を失った人々もいる。

思い込みって怖いな。
善意でしたつもりでも、相手を余計に傷付けてしまうことだってある。

「謝罪して来た方がええどすかね?」

はぁ~と深い溜息を零した紫陽花の頭をポンと一撫で。

「もう帰ったわぁ」
「へ?」
「今日はもう帰ったさかい、謝るなら明日以降やな。彼来たら、の話やけど」
「っ……」

あぁ、なんてことをしてしまったのだろう。
お店の店員として出した珈琲だから、嫌になってもう来なくなってしまうかもしれない。
それどころか、癇に障るだとか、クレームを入れられたらどうしよう。

「健兄、ごめんね」
「何が?」
「お店に迷惑かけて」
「別に、あれくらいどーってことあらへんで」

健兄は優しい。
怒ったところを見たことがない。

妻である実椿は耳が聞こえないから、どうしても人の表情や仕草を気にしてしまう。
大声で怒鳴られても、口元が見えなければ読唇術も使えない。
だからできるだけゆっくりと、穏やかに話すように心掛けているらしい。

私は物心ついた頃に手話を覚えたから、体が勝手に動いて手話で話せるけれど。
健兄は姉と出会って、懸命に手話を覚えた。

だけど、他の人がいる所で手話をする行為は、必然的に『耳が不自由です』と言いふらしているようなもの。
実椿の気持ちを考え、できるだけ手話をせずに読唇術で会話できるようにしているらしい。

愛の力って凄いなぁと思う。
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