雨声~形のないラブレター

「お待たせ致しました。チキンドリアでございます。ごゆっくりどうぞ」

必死に笑顔を貼り付け、目が回るような状態をこなしていた、その時。
どこからともなくピアノの音色が聴こえて来た。

店内に流れているのはジャズ系の音楽だし、店舗の外は構内アナウンスが常時流れている。
誰かのスマホの着信かと思ったけれど、数分経っても鳴り止まない。

「紫陽花ちゃん、ごめんっ。ちょいグラス洗って(もろ)うてええかな」
「はいっ」

ホールカウンターのシンクに溜まったグラスの山。
提供するのが忙しくて、洗いが追い付いていなかったようだ。

事前にレクチャーして貰った通りにグラスを洗う(簡易洗浄)。
そして簡易洗浄したグラスをアンダーカウンタータイプの高圧洗浄機にセットする。

ほぼ自動洗浄だから、バイト初日の紫陽花でもできる作業だ。

「あの子ぉ、耳は聞こえるみたいやな」
「……え?」
「窓際の席に座ってた男の子」
「……」
「ほら、ピアノ弾いてる」
「へ?」

健一郎が指差す先に視線を映した紫陽花。

カフェの外、コンコース通路の脇、外の景色が見える窓ガラスの前に置かれたアップライトピアノ。
田舎街だから弾く人は殆どいないらしいが、たまに観光客が弾くらしい。

そのコンコース内に置かれたストリートピアノで、切ないメロディを奏でていた。

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