私のかけがえのない3分
 大会前日——
 
「中島さん今日カラオケ行かない? 大会前でメニュー軽いし、部活のみんなと二時間だけ」
「今日はレアだよ、遥介先輩もいるんだって」

 更衣室。同級生がはしゃぐ中、皐月は首を振った。

「今日は飛び込みやターンの練習もあるし、そのあと自主練もしたいから」

 フッと嘲笑が漏れる。輪のリーダー格、田所美彩(たどころみさ)だ。

「中島さんてさ、なんでそんなに必死なの? 別にいいじゃん、どうせ完泳は無理だよ。健気アピール? なんか自分の世界に入ってて、ちょっとうざいんだけど」

 美彩はそれだけ言い残すと、周りを引き連れて去っていく。更衣室の外からクスクスと漏れる笑い声に、皐月は居た堪れない気持ちになった。

 自主練をやめて、自宅に帰る。自室のベッドに突っ伏すと、横を向いた目元から涙が溢れた。瞬きもなしにどんどん流れる滴は、枕をぐっしょり濡らしていく。
 
 “松島って努力家だよな”
 
 遥介の一言が、皐月にスイッチを入れた。滅多に顔を出さない遥介が部活に居ると心が跳ねた。
 少しでも近づきたくて、話すきっかけが欲しくて。練習を頑張れば、また声をかけてもらえるかもしれない。そんな(よこしま)な気持ちがあったのだ。
 
 健気アピール——
 
 美彩に言われてハッとした。遥介もそう思っているだろうか。そう考えた途端、恥ずかしさが胸を満たした。そして同時に、腹が減っていることにも気がつく。
 台所に降りて棚を確認するも、カップ麺はない。皐月は仕方なく、財布を持って家を出た。
 
(醤油味しかないじゃん)

 コンビニに陳列するパッケージに落胆する。一応手に取り、成分表示ラベルを見ながら考えていると、後ろから声がした。

「美味いよね、俺も醤油派」

 慌てて振り返る。遥介だった。

「せ、先輩。カラオケに行ったんじゃ」
「やめた。明日大会だし、中島いないし」
「え……」

 遥介は皐月の手からカップ麺を取ると、棚から取ったカップ麺をその上に重ねた。

「奢るよ」

 スタスタとレジに向かう遥介を、慌てて追いかける。会計を済まし、隣の台のポットでお湯を注ぐ様子を、皐月はただ眺めていた。

「一緒に食おう」

 遥介はイートインの椅子をぽん、と叩く。皐月は促されるまま座った。

「どうした、今日元気ないじゃん」

 3分。出来上がるまでのその時間が、とてつもなく長い。

「すみません」
「別に謝ることじゃないけど」

 皐月は首を振った。

「明日の大会です。私、きっと笑いものになる。せっかく松井先輩や他のみんながいい記録残せるのに、足引っ張っちゃいます」

 遥介は2分も経たないうちに蓋を開ける。

「俺せっかちでさ。こういうの待ってらんないんだよ、お先」

 箸を割り、ズズッと麺を啜る。きっちり3分後。皐月が蓋を開ければ、遥介は感心したように笑った。

「中島って真面目だよな。んでもって努力家。俺とは正反対」
「先輩は天才肌ですもんね」
「まあね」

 笑い合う2人。

「明日のさ、目標決めようよ。俺は種目優勝、そんで中島は、足を着けずに完泳する。達成できなかった方がカップ麺、奢りな」

 皐月は気まずそうに麺を啜る。窓ガラス越しに流れていく車に、ちらほらヘッドライトが点り始めた。

「飛び込みとかターンとか、余計なもんはすっ飛ばそう。周りなんて気にすんな」

 スープを飲み干し、遥介はキリッとキメ顔を皐月に向ける。

「自分の敵は自分だ」

 あまりの堂々とした表情に、皐月は思わず吹き出す。

「うわ、中島汚ねえな」
「だって先輩が変顔するから」
「変顔じゃねえ、ハンサムだろうが」

 ハンサム。なんだか妙におじさんくさい言い回しに、皐月は心からの笑みを浮かべた。

「頑張ります。健気アピールでもなんでも」
「なんだそれ」
「あ。ちなみに私、醤油より味噌派です」
「うっそ。とことん気が合わねえな、俺たち」

 たった数分。その時間で、皐月のモヤモヤは見事に晴れていた。
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