鉄仮面CEOの溺愛は待ったなし!~“妻業”始めたはずが、旦那様が甘やかし過剰です~
 春風を切って進むにつれ、胸がすうっとしてく。
 頭がクリアになっていくこの感覚に、私は覚えがあった。
 あ、と小さく息を漏らす。
 懐かしい、と思わす呟いた。

 ぶわっと涙が零れて、一気に背後に流れていく。
 ずっと求めていた、探していた、この風を。

 直線が終わるあたりで、玲司さんはスピードを緩めて私の横に並び自転車の速度計を見る。

「いまの速度が、時速三十七キロだった。君の百メートルのベストは?」
「……十二秒くらいです」
「じゃあ一気に二秒も更新したな」

 そう言われて、私は泣きながら笑って、頷いた。

「練習すればもっと速く走ることもできる。……こんなことで君の気が完全に晴れるとは思えないが」

 玲司さんはずっと私の怪我を気にしてくれていたんだ。
 それだけで胸がいっぱいになる。
 やがて自転車がカーブを曲がった。私は目を丸くして、は、と息を吐いた。
 それしかできなかった――満開の桜並木が、視界いっぱいに広がる。

「なかなかゆっくり花見もできなさそうだからな。早咲きの品種で、ソメイヨシノではないけれど」

 それもまだ、気にかけてくれていたんだ。
 この人は――本当に、どれだけ私を大切にすれば気が済むのだろう。

「ありがとう、ございます……!」

 私はそう言いながら、空に向かって手を伸ばした。
 零れ落ちそうな花弁の塊の先に、蕩けそうに滲んだ青空が見える。

「怪我をしても、走る方法はあったんだ」

 きらきらと春の日を反射して、花びらが宙に舞う。

「全力で走る方法は、他にもあったんだ」

 私はひとりごち、溢れる涙を手で拭う。

「玲司さん。ありがとうございます」

 たくさん慈しんでくれて。
 大切に守ってくれて、そうしてまた、走り方を教えてくれた。
 強くしてくれた。

 前を向きがむしゃらに進む姿を、その背中をずっと追いかけてきた。
 これからもそうしていきたい、支えていきたい。だから私は雑草のままじゃだめなんだ。
 大樹が寄り掛かれるほど、しっかりした存在にならなくちゃ。
 だって私、あなたの奥さんなのだものね。

「大好きです!」

 桜の下、素直に気持ちを彼に伝える。何万回の「ありがとう」よりも、きっとこのほうが彼は喜んでくれるから。
 玲司さんはきょとんとしたあと、頬を緩める。

「俺は愛してるよ」

 尊敬してやまない大好きな人が、そう言って蕩ける桜色の中で柔らかく笑った。


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