鉄仮面CEOの溺愛は待ったなし!~“妻業”始めたはずが、旦那様が甘やかし過剰です~
「はい、左足首です」

 あれ。
 答えつつ内心首を傾げる。
 どうして私が怪我をしたのが足首だなんて知っているんだろう?

 言ったっけ?

 ……まあ、言ったんだろう。玲司さんが知っているんだから。

「そうか」

 玲司さんが私の左足首に触れる。
 もうなんの痛みもない、そこ。大きな手術をしたわけでもないから、傷跡はすっかりと消えた。
 皮膚の内側で骨が折れ靭帯が切れて、私は全速力を奪われたのだった。

「……悔しかったよな」

 ぽつりと玲司さんが呟く。その声が掠れていて、私は胸が詰まってしまう。
 そんなふうに悲しんでくれるの。もう、十年も前のことを。

「まだ走りたかったか」

 そう言われて、私は一瞬また、あの静寂を思い出す。
 号砲前のしじま。心臓の音さえきこえてきそうな、そんな空間。
 あの数秒が好きだった。歓声さえ掻き消え、ピンと張りつめた空気感。

 そしてあの日のことも――落ちている、と気が付いたときには私は階段でしたたかに身体を打ち付けながら転がり落ちた。
 投げ出された足首が嫌な音を立てるのも、ようやく止まった時に頬に感じた、ひんやりとした廊下のリノリウムの感触も。
 窓の外に広がる入道雲、聞こえる悲鳴、遅れてやってきた激痛。

 緩慢に理解していく、私はもう走れないってこと。

「……」

 私は何も言わず、彼の胸に顔を埋めた。
 今更泣かない。もう涙は出尽くした。
 それでも玲司さんは私の背中をずっと撫でてくれた。
 撫で続けてくれた。泣きじゃくる子供を慰めるみたいに、ずっと、ずうっと撫でてくれたのだ。





 玲司さんはそれからはいたって普通だった。
 普通に見えた。
 なにか深く考えているようだったけれど、私はそれを無理やりに聞き出そうとは思っていなかった。
 なんとなく、聞けば教えてくれるだろうなという予感はあったけれど、玲司さんが少なくとも今は私に知らせる必要がないと判断したのだから、聞かなくていい。
 彼を支える方法は、無理やり本音を聞き出す以外にもたくさんあるのだ。
 ……そう思っていたけれど。

「ちょ、ちょっと待ってください。この格好は一体っ」
「いや、すまない。どうも君と結婚して俺の性癖はねじ曲がってしまったみたいでな」
「い、いえ。玲司さんがお求めならなんでもさせていただく所存ではありますが……っ、あんっ」
「はは、かわいい」
「ほ、本当にこんなことで玲司さん癒されるんですかっ」
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