無自覚な大人気モデルは、私だけに本気の愛を囁く
第一章



「お、重い……!」


 誰にも聞こえない小さな声で、咲子(さきこ)は苦悩を呟いていた。

 四月上旬の都内某所。
 町を流れる小さな河川沿いに、等間隔に植えられた桜の木が見頃となった季節。
 そこから程近い場所に、二階建ての個人事務所『桂木(かつらぎ)フォト』は存在していた。
 現在の時刻は、朝の八時。
 通学中の学生や駅に向かう社会人がいそいそと歩いていく中、事務所前には白いミニバンが一台停車中。
 そこにいたのは、素朴な顔立ちをしている、長戸(ながと)咲子(さきこ)。二十六歳。
 バックドアは開け放たれていて、そばには黒色の大型アルミケースが二つ置いてある。
 ともに二リットルのペットボトル、一ケースほどの重さだ。
 アルミケースの中身は、用途に応じたカメラレンズの他に、照明機材やパソコン、バッテリーなどが収められている。
 全て、これから向かう撮影に必要な機材。
 そんな重い荷物を、一人で車へと積み込んでいた。


「おい長戸(ながと)! 積み終わったか⁉︎」
「い、今終わりましたー!」


 運転席に座っている桂木が振り向いて、咲子に威圧的な声をかけた。
 さっきまで生えていた無精髭は一応綺麗に剃られていたけれど、伸ばしっぱなしの髪がボサボサのままだ。
 そんな桂木に向かって返事をした咲子は、最後のアルミケースを積み終える。
 そして目一杯背伸びをしてバックドアを掴むと、バン!と思い切り閉めた。
 息を切らしながら助手席に乗り込んだとき、桂木が眉根を寄せて嫌味を言う。


「もうちょっとテキパキ動けよ」
「す、すみません」
「出発するぞ、シートベルト!」
「はいっ」


 急かされた咲子がシートベルトを着用すると、桂木が運転するミニバンが走り出す。
 嫌味を言われるのは、今に始まったことではない。
 それでも美しく繊細な写真を撮ることだけは才能がある人だから、尊敬の気持ちだけは持っていた。
 そんな桂木の人間性にすっかり慣れてしまっていた咲子は、助手席の窓から桜並木を眺めた。
 咲子と同年代くらいのキラキラした複数の女性たちが、満開の桜をバックに写真を撮り合っている。
 今時のメイクと、フェミニン系の服を纏って、人生を謳歌しているように見えた。
 その横を車で通り過ぎると、咲子はサイドミラーに映った自分の顔を確認する。


(……去年となんにも変わらない姿だなー)


 肩まで伸びた髪を、うなじでひとつに束ねるのみの髪型。
 大きめの白いTシャツにジーパンを穿き、動きやすい服装を常に心がけた格好。
 おしゃれとは程遠い今の自分の姿だけど、それでも咲子なりに誇りを持って日々を生きていた。


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