今日もし雨が降ったら、先輩に告白します
雨のち笑顔
放課後の校内、廊下の窓に、打ち付ける雨の音が響いている。
私の名前は一ノ瀬奈央。高二。男子テニス部のマネージャーをしている。
今日の部活が雨で中止になったことを伝えるために、ある先輩を探していた。
それはテニス部の部長、三年生の碓氷先輩だ。
人気のない校舎の階段を上り、角を曲がった先で彼を見つけた。
後ろ姿ですぐにわかる。すらりとした長身とスタイルのよさ。さらさらの髪の毛。
見間違うはずがない。だって私はいつもそばで先輩を見てるから。
え、あれ? 先輩が女の子といっしょにいる……!
私はあわてて廊下の角に隠れる。
え、なに……? なんで隠れてるんだろ私……?
「まずは、ありがとう……」
碓氷先輩の声で、そんなセリフが聞こえてきた。
あれ、あれ? これってもしかして、告白!? うわあ!
どうやら女子生徒が碓氷先輩に思いを告げているようだ。
もう先輩! どこにいるのかと思えば、まさか女の子に告白されているとは……。
こちらからは相手の女の子の顔がバッチリ見えている。
あ、あの子ってたしか……隣のクラスの──。
二年生の中でもとびっきりのかわいい子だ。たしか女子バスケ部のエースのはず。背が高くて大人びている。
しかし、彼女は終始切なそうにうつむいている。
それだけでも、よくない状況だとわかってしまう。
私は見てはいけないと思いつつも、しっかりと廊下の影から顔を覗かせ、耳をそばだてていた。
「気持ちはうれしい。でも好きな子がいるから……ごめん」
碓氷先輩の声がボソッと廊下に響く。
もう、相変わらず声ちっさいなあ。でもなんとか聞き取れた……。先輩、好きな子いるんだ……。
こちらからは碓氷先輩の顔は見えない。いったいどんな表情であんなにかわいい女の子をふってるんだろう。
結局、相手の子は肩を震わせ、うなだれたまま立ち去っていった。
あ~あ、あんなかわいい子泣かせちゃって……。
碓氷先輩はモテる。モテまくる。告白されたのだって一度や二度じゃない。けれど誰かと付き合ってるって話は聞いたことはない。
男子テニス部内での実力も一番高く、それゆえに部長を任されている。口数は少ないけれど部長として部員たちをしっかりまとめているため、みんなからの信頼は相当高い。
そんなシャイでクールなテニス部のエースに、私も絶賛、片思い中だった。
はは、あんなにかわいいアイドルみたいな女の子でもダメなんだから、私なんてムリに決まってるよね。
「なにがムリなんだ?」
気が付くと碓氷先輩がそばにいた。心臓が飛び出そうになる。
ヤバ! もしかして今の言葉、口に出てた!?
「あれ? 先輩、どうしたんですか!?」
全力ですっとぼける私に、冷ややかな視線を巡らせる先輩。
そんな先輩のモデルのような整った顔立ちに、私はつい見惚れてしまう。
「一ノ瀬こそ……何してんだこんなとこで」
「別に、なーんにもしてませんよ! あ、今日の部活が中止だってことを伝えにきたんです」
「ふーん」
先輩は目を細める。どこか儚げに見えるその瞳、感情は読み取れない。
その後、先輩は窓の方に目をやった。
「そうか。雨だもんな。中練は?」
「校内はサッカー部が使う日なので、今日は帰れとのことです」
「ん、そっか」
碓氷先輩は、頬をポリポリとかいている。何かいいたげな様子だが、何を考えてるかわからない。それはいつもそうだけど。
メッセンジャーの役割を果たした私は、これにてその場を立ち去ろうと踵を返した。
「んじゃ、いっしょに帰るか……?」
ん、今なんか聞こえた気が……。空耳かな。
一応振り返ってみる。
「なんか言いました?」
私が訊き返すと、先輩は窓を眺めながらこう言った。
「いっしょに帰るか?」
雨音で聞き逃してしまいそうになるくらい小さい声でつぶやく先輩。
ム、ム、ムリー!
どういう気まぐれで誘われたのかわかんないけど、先輩と二人で帰るなんて、そんなおこがましい真似は絶対にできない。
私はマネージャーで、碓氷先輩は部長だ。
同じ部内の二人がいっしょに帰ることは、いっけん不自然ではないようにも思えるが。あらぬ疑いをかけられて、変なウワサを立てられたら面倒だ。
イヤな思いを散々経験した私は、身の程をわきまえることにした。
「私やることがあってまだ帰れないので、先輩はどうぞ先に帰ってください」
先輩の目を見据えながらハッキリとウソをついた。
せっかくの誘いを無下に断れば、普通は怒りそうなもんだけど。
「そか、わかった。じゃ、おつかれ」
先輩の声色も口調もまるで変化がない。その表情からも相変わらず心のうちは読めない。
先輩は私の横を通り過ぎる時、もう一度口を開いた。
「階段、気をつけろよ」
「あ、はい。ありがとう、ございます……」
階段を下りていく先輩。
ずっと前から碓氷先輩を目で追ってるからなんとなくわかる。
先輩は群れるタイプじゃない。特に部長になってからは、部員とバカやったりしてるのは見たことないし。部内では公私混同しないように意識してるのがよくわかる。
でも、自分の実力を磨きながらも後輩たちに的確に指導しているから、みんなからは慕われてるんだ。
私とは大違い──。
たぶん友達のいない私に気を使って誘ってくれたんだろう。
優しいな。そんな碓氷先輩が、やっぱり好きだ。
カバンを取りに教室へ戻る途中、廊下で数人の女子生徒とすれ違った。
同じ二年だけど、違うクラスの子たちだ。
その中の一人に女子テニス部の子もいて、私はきゅっと身をこわばらせる。
「出た。エース」
「元、ね。あはは」
「し、聞こえるって」
ひそひそと話す声。嫌な笑い声が廊下に響く。
私のことを笑っている。いつものことだ。
女子テニス部をやめる時にいろいろあったから、まあ仕方ない。
でもテニス部じゃない女の子たちにも悪く思われるのは、正直腹が立つ。関係ないだろって。
男子テニス部のマネージャーという肩書きもあり、女子よりも男子とのからみが多いことで、一部の女子には敬遠されてることも知ってる。
もうずいぶんとラケット握ってないなあ……。
私は口を真一文字に引き締めて、少し早足で歩いた。
教室へ戻ると、男子生徒たちが何人かまだ残っていた。
「────!!」
机を囲んで、なにやらバカ騒ぎをしている。
男子たちはみんな小学生のように目を輝かせている。
その中の一人、テニス部員の溝口が私のほうを見た。
「お、一ノ瀬じゃん。まだいたの」
「うん、そっちこそ」
「まあ、今日は部活ないし」
「それはそうだけど、あんまり遅くならないようにね」
「おう。あ、一ノ瀬が考えてくれた自主練メニューはちゃんとやってっから!」
「おっけ。じゃあ先帰るから」
「うぃーっす。お疲れ!」
溝口は右手を大きくあげ、歯をむき出しにしてニカッと笑う。
きさくでムードメーカーな彼は先輩にも後輩にも慕われている。
バカやってる男子たちを見たら、なんだか少し救われた。
騒がしい教室から出て、静かな廊下を一人歩く。
窓には雨がけっこうな勢いで打ち付けている。
あ、やば。
そこで私は、傘を忘れたことにようやく気が付いた。
まーた忘れちゃったなあ。
この前も忘れて、濡れて帰った記憶がよみがえる。
「よーし」
駅まで走っていけば、と思いかけて、今は走れないことに気が付いた。
ますます自己嫌悪におちいってしまう。
昇降口まで行くと、思わぬ人物の姿があった。