ライバル企業の御曹司が夫に立候補してきます~全力拒否するはずが、一途な溺愛に陥落しました~
自分を納得させるように、キーケースを見つめながらそんなことを考える。
頭の中で何度も〝よかった〟と呟いているのに、黒いレザーの上にぽたっと涙の雫がこぼれた。
「……美吉」
「み、見ないでください……っ。なんでもないですから」
つっけんどんに言うと、瀬戸山も付き合いきれなくなったのか、離れていく。
ホッとしたらますます涙があふれて、拭っても拭っても頬を滑り落ちた。
いい加減に止まってよ……。
そのうち、旅館の玄関から女性ばかりの団体客が出てきて、その場で立ち話を始める。
居たたまれなくなって端の方へ寄るが、目ざとい五十代くらいの女性が私の姿に気づき、周囲の女性とコソコソ内緒話をし始めた。
うう、気まずい……。
気配を消そうと背中を丸めたその時、誰かがこちらに駆け寄ってくる足音がした。
「タクシーつかまえたから、それに乗って帰れ」
「え……」
そう言って門の方を指さしたのは、瀬戸山だった。
私の相手にも飽きてどこかへ行ったとばかり思っていたのに、タクシーを拾ってくれていたらしい。しかも、大きな背中で団体客の目から私を庇ってくれている。
……なんなの、もう。この男は。優しいのかそうじゃないのか。
彼の好意に甘えてしまっていいのかわからず、頼りない目で瀬戸山を見つめる。