偏愛ファミリーのお姫さま

1 天使の双子<前編>

 突然だけど、声を大にして言いたい。
「どうして恋愛しなきゃいけないんだ?」
 苛立ちのままに手元のリボンを強く引っ張る。
「恋愛、恋愛、恋愛。世の中の恋愛至上主義には飽き飽きする」
 目の前のベッドに座っていた子が、おっとりとした声で私に言う。
「何かあったの、あすちゃん」
 彼は光に当たると銀色に見える長い金髪と、碧色の大きな目がお人形みたいだ。
「昨日、大学の友達とロッカールームで雑談してたら、皆恋愛のことばっかり話すんだ。あの子が付き合いだした、相手は年上の社会人で有名どころの企業で働いてる、わぁすごーいっていう、後はお決まりのきゃいきゃい」
「そういうの嫌い?」
「さっぱりわからない。素直にわからないって言うと、冷たい反応が返ってくる。恋愛もしてないなんて変なのって目で見られる」
 手元のリボンをねじりながら編みこむ。
「ミハルの方がずっと好きっていうと、そろそろ兄弟離れしろって」
 目を上げて彼を見返すと、ミハルはほわんとした笑顔を浮かべた。
「そっかぁ。うれしい」
 ミハルが笑うと後ろに花畑が見える。銀髪が光を浴びてきらきら輝く効果つきだ。
「僕もあすちゃんが一番好き」
 たぶん神様は私たちが双子として一緒に生まれたから、きっと入れる魂を間違えた。
「あすちゃんは変じゃないよ」
 ミハルは膝の上に肘をついて、顎を両手で支えながら言ってくる。
「あすちゃんの友達の中にあるのはね、恋愛イデオロギーっていうものなんだ」
「恋愛イデオロギー?」
「恋愛しなきゃいけないっていう、普通の形をしたもの。実際は人それぞれのもの」
 瞬きもせずにミハルは大きな碧の瞳で私を見る。
 ミハルはベッドから立ち上がって私の後ろに来ると、座ったままの私の頭に顎を置いてきゅっと抱きしめる。
「なんて理屈をこねたって、あすちゃんは気にしちゃうよね」
「気にしてないよ。ちょっと腹立っただけだ」
 ねえ、とミハルは私を頭の上から覗き込む。その顔からは笑みが消えていた。
「あすちゃんは僕を信じてるよね?」
「……うん」
「あすちゃんはかわいい。自信を持って」
 そう言われると私は照れながら黙るしかない。
「それとも、兄弟離れを気にしてる? 僕があすちゃんの邪魔になってるのかな」
 ミハルが悲しそうに言う。
「大学生にもなって、僕と一緒は恥ずかしい?」
 ミハルは私のことをあす、と呼ぶ。小さい頃、舌足らずで上手くあんじゅと言えなかったからだったと思う。
 私はすぐに顔をしかめて言った。
「ミハルは恥ずかしくなんかない。私の自慢。離れてなんてやるもんか」
 ミハルはみるみる内に笑顔を浮かべた。
「うん!」
 私は完成した三色リボンでミハルの髪を結った。私は物心ついた頃から短い髪を貫いてきたけど、ミハルの綺麗な髪は伸ばしてほしいとせがんできたから、今でもミハルの髪は肩をこすくらいに長い。それを結ぶアクセサリーを作るのは私の楽しみだった。
「たまには切ってもいいんだよ、ミハル」
「あすちゃんは長い髪が好きなんでしょ?」
 私が頷くと、ミハルは髪に触れながら笑う。
「僕はあすちゃんに結んでもらうのが好きだから、おあいこ」
 ミハルは壁掛け時計を見上げて声を上げる。
「いけない。そろそろ試合の時間だよ」
 支度をする彼の立ち姿に、私は目を細める。
 私の片割れは同じ血が流れてるとは思えないほど繊細な作りをしている。ちょっとしたことでぴりぴりする私とは違って、いつも優しい。
「あすちゃん。行こ、行こ」
 小さな子どもの頃と同じように私の袖を引く彼は、いつだって私の天使で、守るべきすべてなのだ。




 シュートを決めて降り立つと、観客席のミハルと目が合った。
 私が手を振ると、ミハルは飛び跳ねて手を振り返す。微笑ましく思いながら試合に戻る。
 スポーツはどれもほどほどにこなせるけど、全身の筋肉を脈動させて汗をかくバスケットボールは一番気持ちがいい。
「いい試合だったよ、安樹」
「ありがとうございます!」
 試合終了後に先輩に褒められて、私は一礼を返した。
「安樹に黄色い声上げてる女の子もいたし」
「高校の時からなんですよ」
 廊下を歩きながら、同級生と先輩が話している。
「下手な男より男前ですから。見た目もほら、クールですし」
「クール……ではないですけど」
 けっこう落ち込むこともある自分を思い返して、私は頬をかいた。
 ふいに廊下の向こうから歩いてきた一団があった。競技場では男子の試合もあって、そちらもちょうど終わったらしい。
 一団の中で一際目立つ長身に、先輩たちは目ざとく気づいて駆け寄る。
「浅井君! 男子の試合どうだった?」
 周りに男の子たちはいくらでもいるというのに、彼にだけ殺到するのはいささか失礼な気もする。
「先行っててくれ」
「ああ、わかった」
 それでも他の男の子たちが怒らないのは、慣れているからだった。
 彼はがっしりした体格に百九十近い長身、目鼻立ちはくっきりとしていて、そして見事な仏頂面をしている。
 私には理解できないが、彼、浅井竜之介(りゅうのすけ)は異常に女子に人気がある。
「安樹。話がある」
 彼が私を名指ししてきたので、私は顔をしかめた。先輩と同級生は、私と竜之介を見比べる。
「あ、先輩。浅井君、安樹の従兄なんですよ」
「そうなの。あ、ごめんごめん」
 先輩と同級生は何か含みのある笑みを浮かべてそそくさと去っていった。
 私は一緒に去りたい気持ちをおさえて、不機嫌に問いかける。
「何か用か?」
「まだバスケなんてやってたのか」
 竜之介は波の無い淡々とした口調で言ってくる。
「そろそろ女子らしいこともしたらどうだ。花なり、お茶なり」
「私の趣味じゃない」
「その格好。肩まで出したりして。髪もいい加減伸ばせ。そのままじゃ着物も着れんだろう」
 私はそろそろ怒りも忘れてため息をついた。
 竜之介は結構な家の長男で、古風な考えが根付いている。男子はこう、女子はかくあるべしというのが骨の髄までしみこんでいる。
 だから私に会うたびにあれこれと文句をつけてくる。やれ髪が短い、やれはしたない振る舞いはやめろ、それもしつこいくらいに同じことを何度も言う。
 しかもこの竜之介とは、小学校から同級生だ。事あるごとに私に突っかかるのを同級生たちは見て、仲がいいんだねと噂する。付き合っちゃいなよと言われたことも一度や二度じゃない。
 私は諦めて隣を通り過ぎようとして、その肩を竜之介の大きな手が掴む。
「安樹。話が終わってない」
「もういい。何話したって平行線だ」
 死んでも竜之介とだけは付き合いたくない。小言で耳が痛くて、一緒にいるのが耐えられない。
 たぶん私が恋愛に嫌気がさしたのは、竜之介と噂されたことが原因だ。絶対そうに決まっている。
「実家の方に顔を出せ」
「断る」
 母が結婚してから一度も戻らなかった古い家なんて、私だって行きたくないに決まっている。
「あすちゃん、お疲れ」
 ふいに私の後ろから馴染みの声が近づいてきた。
 ミハルはぱちりとまばたきをして竜之介を見る。
「あれ、リュウちゃん?」
 竜之介はミハルに気づくなり眉をひそめる。露骨に舌打ちをして踵を返す。
 去っていく竜之介に胸を撫でおろして、私はこっそりとミハルの手を握った。
「あすちゃん、どうしたの?」
「いつもの小言」
「リュウちゃんも懲りないねぇ」
 ミハルはあははと笑って私の手を握り返す。
「大丈夫?」
 私はちょっとだけ顔を歪める。
 竜之介の嫌なところは、昔から私より何でもできたところだ。それが女のお前じゃ敵わないといわれているようで腹が立ったから、つい私も対抗心を燃やして躍起になった。
 そりゃ、力じゃ敵わないかもしれないけど。勉強なら、無事同じ大学に入った時点で同等じゃないか。偉そうに見下ろすのはやめてほしい。
「リュウちゃんに振り回されちゃ駄目だよ、あすちゃん」
 ミハルの言葉に、口をへの字にする。
 ミハルだってかわいらしい顔立ちだけど私よりは背が高い。初めて彼に身長を抜かれた時は本気で泣いたなと、ぼんやりと思う。
「平気。子どもの頃みたいに、闇雲に殴りかかったりしないよ」
 いつだったか、竜之介のあんまりな言い様に腹を立てて殴りかかったことがあった。竜之介がやり返さなかったのが、余計に腹が立った。
「……リュウちゃんにも困ったなぁ」
 何気なく言ったミハルは、いつもの優しい笑顔だった。



 数日前、ミハルと私は一緒にクラシック演奏サークルに入った。音楽を生業にする父の影響で、二人とも小さい頃から楽器が好きだ。
「春日美晴《かすがみはる》君? え、その髪地毛?」
 サークルの新歓に二人揃って参加したら、すぐさまミハルを女の子たちが取り囲んだ。
「うん。ハーフなんだ」
「すごく綺麗ね。目も碧」
 ミハルがモテるのは昔からなので、私は隣で黙って話を聞いている。
「春日安樹さんとは双子なんだって? 見えない」
 声にやっかみが混じるのはすぐだった。何せ私はいつもミハルと一緒で、今日も当たり前のように隣にいるから。
 私はミハルのように麗しい容姿をしていない。私の髪は淡い茶色で、瞳も同色だ。日本人にはとても見えない銀髪碧眼のミハルに比べるととても地味で、中途半端な色合いをしている。
――あすちゃんの色は陽だまりの色。とっても優しくてきれい。
 ミハルは私の容姿を褒めてくれるけど、並ぶと私の方が見劣りすることは自覚している。
「ほら、美晴も飲め」
 今度は女子たちを独占しているのをやっかんだ先輩男子たちがミハルにジョッキを押し付ける。ミハルは困ったように目を伏せた。
「あの、僕飲めなくて……」
「えっ、かわいい!」
「ちょっと男子、ミハル君困ってるでしょ」
 すぐに女の子たちが止めてくれたので、私は内心ほっとする。
 ミハルはお酒が弱いので、飲まされる時には私が代わりに飲むことに決めていた。
 ほどほどに近くの先輩と話しながら、私はいつものように背中にミハルを感じていた。
――みはるはあすがまもらないといけないんだ。
 そう心に決めた幼い頃の事件を思い出した。
 まだ五歳くらいの頃、私とミハルが一緒に家の前で遊んでいたら、黒塗りの車に引っ張り込まれた。
 中にはおもちゃがいっぱいあって、優しそうなお兄さんが遊ぶように言った。だけど事態の異常さは幼心にわかっていて、私はミハルを抱きしめて動かなかった。
――みはるがあんまりかわいいから、ゆーかいされちゃうんだ。
 私はそう思って、どうやってミハルを守ろうか考えを巡らせていた。
 車が止まって扉が開いた瞬間、ミハルの手を握って逃げ出した。
――あすがまもってあげるからね。
 その事件の顛末を、今となってはよく思い出せない。ただあの時の決意は胸に残り続けている。
「美晴君、きいて……」
 だけど私が側にい続けることはミハルにとって良くないんじゃないかと、思うこともある。たとえば今みたいに、女の子たちが彼の興味を引こうと必死でいると、申し訳ないような思いがする。
 ふいにテーブルの下で、ミハルが私の手をそっと掴む。
 私がミハルを見ると、彼は私に目配せしてから女の子たちに言った。
「ごめん。大勢の人と話すのは苦手で。ちょっと抜けていいかな」
 ミハルは私の手を引く。私は頷いて立ち上がった。
 廊下に出てから、私は心配になって言う。
「気分が悪いのか?」
 ミハルはこくんと頷く。
「たくさん話しかけられると混乱して。お酒の匂いにも酔ってきちゃって」
「早く言わなきゃ駄目じゃないか。帰るか?」
「顔でも洗ってくる。すぐ戻るから」
 ミハルは私と違って繊細に出来ている。もっと気をつかってやらなきゃいけなかったと思って私が顔をしかめると、ミハルは私の頬に触れて私の額にぺとりと自分の額を合わせた。
「あすちゃんも疲れた?」
「……そうでもないよ」
「やっぱり僕が戻ってきたら帰ろ。いいよね?」
 ミハルが帰りたいならと、私は頷く。正直、人前に出るのはミハルより私の方が苦手だった。
 ミハルをトイレの前まで送って、私は戻ってくる。
 すだれから顔を出して店員を呼ぶ声が聞こえて、そこでも大学生らしい団体が飲んでいるのが見えた。
「あ」
 隙間からちらりと竜之介の姿が見えて、私はおもいきり顔をしかめていた。
 どうしてか竜之介とは昔からいろんな場所で出くわしてしまう。今日もサークルの集まりなら顔を合わせずに済むと安心していたのに、やっぱり会ってしまった。
「そっちも飲み会?」
「うん。こっち来る?」
 先輩同士が知り合いらしく、廊下で少し話をするなりすだれを上げて入ってくる。
 私は内心、うっと声を上げた。バスケ部の連中がこっちの空いたテーブルに流れ込んできた。
「……安樹」
 その中にはやはり竜之介もいるわけで、私の姿をみとめるなり、竜之介はすぐ近くに腰を下ろした。
「夜遅くまで何をやってる。酒なんて飲んで」
「そっちも飲んでるだろ」
「その言葉遣いもどうにかしろ。男みたいだ」
 私は酒が入っているのもあって苛々しながら言い返す。
「私はこの話し方が好きなんだ。竜之介に言われる筋合いはない」
「なに、そこ? 仲いいね?」
 先輩に興味本位で言われて、私は頭に血がかっと上るのを感じた。
「こいつとだけは絶対にありません」
 どうして男と女であるというだけで結び付けたがるのか。昔から腹が立って仕方ない。
「リュウちゃん。今日はよく会うね」
 振り向くと、テーブルの向こう側にミハルが戻ってきていた。
「美晴もいたのか。お前、いい加減べったりくっつくのはやめろ」
 ミハルはにこにこしながら答えなかった。
「おい。ミハルをいじめるな」
 私が竜之介の袖を掴んで剣呑な調子で言うと、彼は私の方を見ないままに言う。
「女が入ってくるな」
 カチンと来た。昔から、竜之介はこのフレーズを使って私を門前払いするのだ。
「何だと?」
 私が胸倉を掴むと、竜之介はしれっと言う。
「俺に文句をつけたいなら、何か一つでも勝ってから言うんだな」
「大学は同じだ」
「勝ってから、だ」
「ああわかったよ、勝負だ」
――勝負だ、りゅうのすけ!
 またいつものパターンだと思いながら、私はジョッキを持つ。
「飲み比べだ。先につぶれた方が負け」
「女をつぶす趣味はない」
「はっ。女にも負ける程度しか飲めないんだな」
 挑発してやれば竜之介は必ず最後には乗ってくる。予想通り、私が煽ると竜之介は眉を寄せた。
「いいだろう。ただしお前が負けたら実家に連れて帰る」
「わかった」
 どうして竜之介はそこまで実家にこだわるのかわからないが、私は胸を張って頷いた。
「あすちゃん。無理しちゃ駄目だよ」
 心配そうに笑ったミハルに、私は軽く手を振って笑った。
「やっちまえ、竜之介」
「がんばって、春日さんも」
 周囲の声援を受けて、私は竜之介とにらみ合った。
 コップに一杯ずつ飲みあってまもなく、私は竜之介がこの勝負に勝つ気でいることを知った。
 私は酒は強い自信があった。けれど私がきつくなってきても、竜之介は顔も赤くならずに平然としていた。
「ちょっとトイレ」
 私は水分の取りすぎで胃が重くて、少しトイレに立った。
 歩いている内に酔いが回ってきたらしく、足がふらついた。席につく頃には、だいぶ眠気に負けそうになっていた。
「安樹。もうやめろ。体格が違うんだ」
 竜之介も酒に強いことは知っていた。ただ後に引けなかっただけだ。
「お前にだけは……負けない」
 私は呟いて、もう一杯飲み干す。
 でも眠気が頭を押しつぶすようで、私はそのままテーブルに突っ伏した。
「……安樹」
 私の頭をそっと誰かが撫でてくれた。それで、意識が途切れた。
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