亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~
シルフィリアは、彼女の奴隷を連れて、あてがわれたばかりの自室へと戻った。
王宮本館内にある、使われていなかった王族用の部屋を急遽割り当てられたので、そこにはものが少なく、取り急ぎの掃除はされているものの、閑散としている。
シルフィリアも初めて入るその部屋は、執務や面会のできるような机やソファが設置されており、奥の扉を開くと寝室に繋がる作りのようであった。
人払いをし、狼奴隷と二人きりになった彼女は、とりあえずソファに座るべく、室内の彼に声をかけようと振り返ったところ、彼が床に片膝をついて頭を下げていたので、ギョッと目を剥く。
「ど、どうしたの!?」
「申し訳ありませんでした」
彼の言葉に、シルフィリアは口を閉ざす。
「これまで私が成してきたことは、許されることではありません。私のような者の謝罪など、煩わしいだけだと承知しておりますが、どうか謝らせていただきたい。……申し訳ございませんでした」
彼によって、奪われたもののことが、脳裏をよぎっていく。
頼りなかった、父と母。
セディアスの父である伯父や、親族の者達。
いつも世話になって来た官僚や、守ってくれていた兵のみんな。
戦闘員でなかった侍従侍女達は、殺されることはなかったと思うが、無事でいるだろうか。
そして、あのとき現れた炎の狼。
彼は、処刑されようとしていたシルフィリアを、誕生日の贈りものとして手に入れた。
慣れぬ彼女に、閨で蹂躙されたふりをしろと言い、大切な宝物のように傍に置いていたくせに、彼女を突き放し続けた。
意地悪で、嘘つきで――意地っ張りで寂しがりやな、シルフィリアの狼王子。
「謝罪を、受け入れます」
シルフィリアは、彼の前に膝をおろし、そう告げた。
けれども、言いたいことはそれだけではなかったはずだ。
なのに、いざこの場に至ると、言葉が出てこない。
伝えたいことは、何だろう。
彼に言いたいことは。
シルフィリアが、ずっと求めていたもの。
「……レイファス、私」
シルフィリアはふと、目の前の男は本当に冷たい人だと思った。
今だって、こちらを見てもくれない。
先ほども、彼の伯父の傍にばかり居て、その後、シルフィリアには目もくれなかった。
それでも、生きている。
ずっと死を望んでいた彼が、生きてそこに居る。
みんなで生きる未来に、目を向けてくれている。
その事実が何よりも嬉しくて、愛おしい。
「あなたが、好き」
思いがこぼれると同時に、涙があふれてきた。
ぽろぽろと流れ落ちていくそれのせいで、肝心の相手がよく見えない。
赤髪の彼は、急に顔を上げたので、きっと驚いているのだろうとは思う。
もしかしたら、困惑を通り越して嫌そうな顔をしているかもしれない。
そう考えると、彼の表情がはっきり見えなかったことは、僥倖なのだろう。
「ずっと、会いたくて」
シルフィリアが最後にレイファスと会ったのは、彼の口づけを拒絶したときだった。
彼女の気持ちを試すようにされた、それ。
きっと、あれでレイファスはシルフィリアに落胆したのだろう。彼が自ら捕虜となっている間、面会を申し入れたけれども、肝心の彼が拒絶したのだ。
それでも、シルフィリアはレイファスのために、何かしたかった。
――彼女はその心まで、この悪い狼に奪われてしまっていたから。
涙を止めることができず、ただ座り込んで泣いているシルフィリアに、彼はどうやら困っているようだ。
奴隷であるが故に、その場から離れることはない。
しかし、触れることもない。
シルフィリアにはもう触れたくないのだろう。
理由だってない。
そう、彼はいつも、彼女に触れるとき、理由あってのことだと言っていた。
ようやく、シルフィリアは心を決めた。
「……あなたの罪は、既に裁かれました。私はあなたに、奴隷であること以上の何かを望むつもりはありません」
必死に涙をぬぐい、床を見ながらそう告げるシルフィリアに、息を呑む気配がする。
「私は、このまま王宮を離れて、神殿の長となります。弟ともそのように話をしています。あなたはこのままここに残って、弟を支えてあげて」
それだけ告げた後、なんとか涙を止めようとしたけれども、流れ落ちてくるそれは勢いを失うことはないようだった。
諦めたシルフィリアが立ちあがろうと身動きをした瞬間、小さく低い声がかかる。
「それでいいのですか」
感情を読み取ることができないそれに、シルフィリアは床を見つめたまま頷く。
「私を手放すと?」
「……奴隷としての主人は、私のままよ」
「本当に、今後、何も命じるつもりはないのですか」
「ええ」
「……」
一呼吸置いた後、大きなため息が聞こえた。
どうやら、彼をさらに呆れさせてしまったらしい。
震える手を握りしめながら、シルフィリアが再度立ちあがろうとしたところで、不穏な言葉が聞こえた。
「ならば、遠慮することもあるまい」