亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~


「聖典第一章の第十六節だ」

 そこには、彼女たちの親愛なる従弟セディアス=シグネリアが立っていた。
 年は十六歳。
 青みがかった黒髪に碧眼の、細身で背丈の高い美青年である。

 前髪をきっちり二つに分け、神経質そうに眉をつりあげている彼は、見た目どおり、細やかな性格をしていた。
 シルフィリア達のいる協議机に近づくと、優雅な仕草で自身も席に着き、じとりとジルクリフをねめつける。

「セディ兄」
「最後の攻め手を練っている最中だろう。扉を開けても気が付かないなんて、不用心にもほどがある」
「ノックぐらいしろよ」
「当然したさ。私がそういった礼儀を失するわけがないと知っているだろう」
「ふん。神殿は戒律が厳しいからって、きどりやがって」
「いや、元から私はこういう性格だ」
「自分で言うことか!」

 ふてくされて頬を膨らませるジルクリフに、セディアスはようやく、気安げな笑みを浮かべた。
 そんな二人に、シルフィリアもようやく少し肩の力を抜いて頬を緩める。

 十六歳の従弟セディスは、シグネリア神殿に勤める神官だ。
 王族は、直系に当たる王の子以外は、おおよそが神官となる。
 セディアスもその例外ではない。

 何故なら、神殿は、緋色の一族の秘密を知る唯一の手掛かりとなる、聖典を取り扱うからだ。
 一定の間隔で現れる緋色の瞳を持つ者。
 その治癒の力の秘密が隠された聖典を読み解き、乱用されぬよう、奪われぬよう、厳重に管理している。

 そして、この細やかな配慮のできる優しい従弟は、今後の作戦を練るに当たり、少しでも知識が必要だろうとこの場にやってきてくれたのだ。

 もちろん、先ほどまで行っていた会議の参加者にも、神殿の者は居る。
 しかし、セディアスほどシルフィリア達にとって気安く、建前抜きに話ができる者が居ようか。

「セディ。来てくれたの」

 シルフィリアがそう言ってほほ笑むと、セディアスは少し目を見開いたあと、咳払いをして頷いた。
 心なしかその耳は赤く染まっていたが、そのことに気が付いているのは肝心の彼女ではなく、その弟ジルクリフだけである。

「はい。親愛なる従姉達が悩んでいるのではないかと思ってね」
「なんだよ、すぐ姉さんにゴマを擦って。僕のことは視界に入ってすらいない」
「本来ならお前にゴマを擦りたいと思っているんだがな、次期国王陛下」
「思う存分、擦るといいさ。大量のゴマで揚げ饅頭を作ってやるよ」
「第一王子殿下におかれましては、私めの舌に合う甘味が作れるとは思い難く」
「味に文句をつけんなよ! だいたい、お前だって甘味なんか作れないくせに!」
「ふふ。セディ、こんなところに居ていいの? 私達は嬉しいけれど……今は神殿も大変な状況でしょう?」

 サラサラの金糸を揺らせながら首をかしげるシルフィリアに、一瞬目を奪われたように呆けたセディアスは、すぐさま我に返った素振りで、再度咳ばらいをする。
 その様をジルクリフはニヤニヤと眺めている。そして、普段は人の機微に敏いシルフィリアなのだけれども、こういうときの弟の表情の理由はよくわからず、再度首をかしげた。

「神殿もてんやわんやです。神殿だけじゃない、王宮も――王都も、何もかもです。一人でも多くの命を拾い上げようと、皆、脱出に向けて動いている」
「それで、希代の新人神官セディアス様は、その誘導に向かわなくていいのか? 自分の脱出は?」
「知っているだろうに、面倒な従弟殿だ」
「知っていてもわかっていても、認めたくないことってあるだろう?」
「ありすぎるが、それをお前に言われている時点で、もう終わりだなと思っているよ」
「……終わりなんだから、仕方ないだろ」

 協議机の上の地図を見ながら口を閉ざしたジルクリフに、セディアスも固い表情をする。

 セディアスも、傍系とはいえ、王族なのだ。
 そして、セディアス自身は碧い瞳を有した変哲のない人族だが、セディアスが将来儲けるかもしれない子ども達は違う。
 緋色の瞳を持って生まれる可能性を有している。

 そして、今回の戦で最も危険にさらされるだろう存在は、緋色の一族だ。

 民を守ることも重要だが、自らの最期を決めておかねば、どのような目に合わされるかわかったものではない。

 だから、本来的には神官として責務を全うすべき立場にいるセディアスは、時間を与えられたのだ。
 これは、第一王女シルフィリアと第一王子ジルクリフの采配によるものである。
 シルフィリアと彼女の弟は、自分達二人と、神殿長であるセディアスの父、そして国王夫妻以外は、職責以上に自らの身の振り方を考えるようにと暇を出した。

「ふん。暇を出したのにこんなところに来るなんて、酔狂な若者も居たもんだ」
「宰相のじい様みたいなことを言うとはな。親愛なる従弟殿は、この一時間で百年は老けたんだな……」
「そんなに老けたら地面の下だよ!」
「そうだな。地面の下に行く前に、やることがある」

 セディアスの言葉に、シルフィリアは緩めていた頬を引き締めた。
 ぎくりと肩をこわばらせたジルクリフも、目を見開いている。

「お前は旗印だ。私も共に行こう」
「……セディ兄」
「シルフィ。あなたは逃げてください」
「いいえ」
「シルフィ!」
「私は残ります。二人こそ、逃げていいのよ」

 強く輝く緋色の瞳に、その美しさに、一瞬怯んだセディアスだが、首を振り、焦ったように、逃げろと言いつのる。

 しかし、シルフィリアはその提案に頷くつもりはなかった。

 緋色の一族は、その全てが王都から逃げ出すわけにはいかないのだ。一族の者がすべて逃げ出したとあっては、ラグナ王国による狩りが始まってしまう。
 それはきっと、逃げる獲物を獣の本性のままなぶる、大惨劇になることだろう。
 王族が逃げ延びるどころか、国民のうち、何人が生き延びることができるか、わかったものではない。

 要するに緋色の一族は、国民を逃がすため、そのすべてが逃げることを許されないのだ。

 いや、実際には逃げてもいい。
 ただ、この戦の最中、『緋色の一族の全員が逃げた』とラグナ王国に思われてはならない。
 彼らの狩人としての本性の箍が外れないよう、この戦の終点として、玉座に存在していなければならない。

 そういう意味でも、国王夫妻の行動は配慮が足りないと言えるのだが、それを口にするだけの気力が、執務室に居る三人にはもはや残っていなかった。

 そして、シルフィリアは、自分がそのただ一人の旗印として残るつもりであった。
 ジルクリフは自分だけが。
 セディアスはジルクリフと二人で。

 三者の思惑は異なっていたが、しかし、ジルクリフもセディアスも、こうなったシルフィリアが折れる女ではないことを、誰よりもよく知っていた。

 悔しそうに自分の手を握りしめ、肩を震わせるセディアスに、予想していたとおりの光景を目にすることとなったジルクリフは、ため息を吐く。
 シルフィリアは、そんな二人の様子に苦笑しながら、話を進めることにした。

「セディ。他の親族は?」
「緋色の瞳を発現する可能性があるのは、現国王からみて五親等以内の親族だ。だから、それよりも遠縁の者は国民と一緒に逃げている」
「『現国王』の想定は」
「国王ザキエル。そして、ジル、シルフィ。お前達も候補に入れている」
「ならいいわ。……五親等以内も、国王を含め、おおよそが命を落とす前提で戦に出ているわね。戦に出ていないのは、私達世代と、神官長のルゼウス叔父様くらいかしら」
「そうだ。父はこの王都を守る過程で命を落とすつもりらしい」
「そう。では、考えるべきは残った命。私達三人と、妹達三人、そしてセディの妹二人に、従妹のスザンヌね」

 シルフィリアはため息を吐く。彼女達の世代は、女が多かった。しかも、幼い者が多く、この場に居る三人を除くと、上は十二歳の第二王女サヴィリア、下は七歳の従妹スザンヌ。幼児が居ないのがいくらかマシ、といった程度である。彼女達は身も心も本当に子どもで、たとえ討ち死に目的であっても、とても戦に出すことはできない。出したところで戦力になるどころか、高貴な血を引き見目に恵まれている分、敵国の兵士達に、緋色の瞳を目的とした飼い殺しよりもさらにひどい目に遭わされる可能性すらある。
 逃がす、隠す、手を下す。どの選択肢を取るべきか。
 それを、小さな妹達の判断に委ねることはしない。シルフィリアは、最後まで彼女達の行く末に責任を持つつもりであった。
 重く張り詰めた空気の執務室の中、長い思案の後、シルフィリアは口を開いた。

「隠しましょう」

 目を見開くジルクリフとセディアスに、シルフィリアは強い意思をもって頷く。

「王宮の隠し部屋。あの子達の人数なら、一か月は持つはずよ」
「シルフィは、あの子達に耐えられると思うか?」
「耐えられなければ、死ぬだけよ」
「途中で見つかるかも。それに姉さん、あそこは窓のない部屋だ。外の様子もわからない。一箇月も、サヴィ達だけで持つとは思えない」
「毒も持たせる」

 息を呑む二人に、シルフィリアは心を動かされることなく、ただその場で立ち上がった。

「あの子達も緋色の一族です。フィリアの護りがあらんことを祈りましょう」


 -◇-◆-◇-◆-

 こうして、シルフィリア達は、最後の時を迎えるべく、王宮の中で準備を重ねた。
 弱くとも最後まで戦うべく、騎士服に着替え、剣を携えて、玉座の間でラグナの敵将を迎えたのだ。

 そこで、先に隠し部屋を発見され、妹達は皆、命を落とした。

 残ったのは、無力なシルフィリアだ。

 何もできない、何にもなれない、ただの十七歳の小娘にすぎないシルフィリア。
 緋色の瞳は持っているものの、治癒の力を発現したわけでもない、役立たず――。

『面白い』

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