亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~


 これには、シルフィリアは困り果ててしまった。

 そのようなことを言われても、シルフィリアは実際に、男を知らないのだ。
 知識も乏しい。何が悪いのか、どうしたらいいのかも、さっぱりわからない。
 それなのに、レイファスはシルフィリアを弄ぶばかりで言葉が少なすぎると、亡国の王女は大いなる不満を胸に抱く。

 それだけではない。
 真面目なシルフィリアは、何がどう『男を知らぬ様』に見せているのか考えたいと思っているのに、レイファスの体が間近にあるため、動揺し、思考が散って仕方がないのだ。
 彼女の主人である赤髪の王子は、他の王子に比べると細身であったが、こうしてぴったりと寄り添うと、その体が鍛えられ、腕は力強く、腰に添えられた手も彼女のものと違い、大きく武骨であることがわかる。
 間近に聞こえる低い声、少し掠れぎみなそれも、異性を意識させてくる。

 今にも心臓が爆発してしまいそうなこの状況、シルフィリアは何かを考えるどころか、今すぐに思考を放棄し、この場を逃げ出してしまいたくて仕方がなかった。

 ふと、初心な王女は、弟のジルクリフや従弟のセディアスを抱きしめたときはこんなふうにおかしなことにはならなかったはずなのにと、今気が付いてはならない真実に思い至る。
 相手が違うからと言って、自分が何故こんなにも動揺してしまうのか。
 それを思うと、何故だか体温が上がってしまい、それがまた彼女を追い詰めていく。

「泣くな」
「泣いていません」
「泣きそうな顔をするな」

 どこかで聞いたような言葉を静かな声で紡がれ、シルフィリアは、自分がそんなにも情けない顔をしているのかとさらに気を落とした。

 感情の起伏がわかりやすい緋色姫に、レイファスは失笑する。
 彼は人型の姿のまま、右手を彼女の手に添えると、ゆっくりと彼の美しい奴隷に顔を寄せた。
 頬に触れる手の力はさほどでもない。
 けれども、吸い込まれそうな青い瞳が、顔を背けることを許してくれない。

「息を止めるな」
「で、ですが」
「他の男を拒絶するのはいい。しかし、私を拒むことは許されない」
「そ……んな、こと」
「この、唇の奥に触れたのは誰か」

 武骨な親指でじっとりと唇をなぞられ、シルフィリアはいつしかの『演技』を思い出し、カッと体を熱くした。

 あれは、彼女にとって初めてのものだった。
 男の力で押さえ込まれ、たっぷりと求められたそのときの感覚が、彼女の顔を羞恥に歪ませる。

 けれども、レイファスは決して、その先には進まない。
 彼女を言葉でなぶり、その先を考えろと命じてくるのに、自身はただ、欲の浮かばぬ澄んだ瞳で、彼のものである緋色の瞳を見つめている。

「お前が許していないのに、夜ごとに、お前の中に触れているとされる男は誰だ」
「許して、いない……」
「そうだ。お前の親を殺したこの手が、お前の意思に関係なく、その体をからめとっている」

 緋色の瞳が見開かれ、潤み、一滴の熱い何かがこぼれる。
 心が悲鳴を上げて、苦しみを抑えることができない。

 そうしてあふれ出た涙を見て、レイファスは静かに、彼女の濡れた瞼にそっと口づけた。

 シルフィリアは、一瞬何をされたのかわからず、戸惑いのまま、レイファスを見返す。
 彼女の涙に濡れた頬に、優しい口づけが落ち、ゆっくりと長いまつげに彩られた青い宝石が姿を現した。

 ただひたすらに彼女を見つめる美しいそれに、気持ちが、心が吸い寄せられていく。

(――何も、考えたく、ない……)

 いっそこのまま、奪ってくれたら。
 そうしたらきっと、シルフィリアは何も考えずに済むのだ。
 国の仇である男の奴隷となり、奪われ、蹂躙されるのであれば、それはもう、シルフィリアの心根に関係なく起きてしまったこととなるのだから。
 憎まなければならない目の前の男を、ただ受け入れたとしても、それは仕方のないことで。

 しかし、レイファスはやはりその一線を越えることなく、最終的にふいと顔をそらした。

 その心の動きはシルフィリアにも読み取ることができず、その秘密を求めるようにして、彼の横顔を見つめる。

「……ただ、そこに居るだけでよい」

 レイファスはそれ以上何も言わず、シルフィリアから顔をそむけ、窓の外の景色を眺め始めた。
 しかし、広い馬車の中、彼の奴隷である緋色姫の腰を引き寄せ、自身にしなだれかからせている腕の力は、一向に緩まない。

 静かな室内の中、男の腕に抱かれている亡国の奴隷姫は、ふと、今しがた自分が彼と何をしようとしたのかに思い至り、羞恥と罪悪感と動揺で、心臓ごと体が爆ぜてしまいそうになった。

 しかし、逃げることもできず、ただひたすらに主人に寄り添い、動揺に浸る初心で美しい奴隷姫。
 彼女は、赤髪の主人が彼女の様子を盗み見て、目を細めていることには気が付いていない。
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