亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~
「とても賑わっているのですね」
活気に溢れた祭りの場。
屋台が複数あることはいわずもがな、会場の中央以外にも、小さな舞台がいくつも設けられ、歌や舞を披露する流れ者や、それを見て盛り上がる獣人達で大いに盛り上がっている。
鹿狩りが始まる時間は午前十時。
神樹の森に囲いを作った上で鹿を放ち、森の各所に鹿が隠れたことを確認した上で開始されることとなっている。
昼の時間にかけて開催されるのは、鹿が食事のために、草原や囮となる畑近くに出没しやすくなるからだ。
そのため現在は午前八時半。朝方と言ってもいいその時間帯に、それでもなお、人々が多く集まり、屋台で買った朝食を楽しんでいる。
森の入口付近にある神樹の街も見事な地方土地で、その文化の高さと活力はシルフィリアにとって目新しいものとして映ったが、祭りの喧騒はさらに彼女にとって驚きを与えた。
小国シグネリアで行われる祭りの何倍も人が集まり、獣人ということもあって、人族のそれよりもにぎやかで、活力に満ちている。
先ほどまで、レイファスに伴われて歩くのが恥ずかしくて仕方がないといった様子であった緋色の瞳の姫君が、珍しく興奮した様子で自分から話しかけてきたことに、レイファスは目を細める。
「鹿狩りは毎年行われる大行事だ。他国でも行われているが、父が主催のこれはおそらく最も派手だ」
「それで、他国から来た方々もいらっしゃるのですね」
ラグナ王国は獣人の国だ。
その身に宿した獣は、基本的には地を歩く哺乳類で、耳が猫であったり、しっぽが生えていたりと、混ざっている者が多い。
しかし、この会場にはそういった者達だけではなく、煌めくうろこの魚の化身や、羽毛を持つ者、あるいは何もない純然たる人族も混ざっている。
屋台に並ぶ品々も、ラグナ王国でよく親しまれる食物だけではなく、世界各国の名産や銘菓も売られている。
そして、多数立ち並ぶ屋台の中でも、ひときわ多くの人が並んでいる店舗がいくつかあるようだ。
「あそこと、あそこの屋台は、人気があるのですね。すごい列です」
「揚げ鳥の店と、肉の刺身の店だな」
「……お肉のお刺身、ですか?」
「お前は決して口にするな」
「……?」
「人族が肉の刺身を食すると、場合によっては吐き気とめまいを催し、最悪死ぬ」
「!」
獣人は、人族と違う。
その体は強く、多少の菌にも抵抗力がある。
生の肉に含まれるかもしれない菌は、人族を殺すものであっても、獣人を殺すことは叶わないのだ。
寿命こそ人族の方が長いが、生きている間の生命力は獣人と人族では比べ物にならない。
その結果、人族は早逝する者も多く、平均寿命は獣人の方が長いとする調査論文も存在している。
人族の国で生きていると意識しないことであったが、言われてみると、屋台の看板に『人族お断り』と書かれているものがいくつかある。
どうやら、どれも人族を嫌ってのことではなく、生肉、生魚、食肉花の生サラダなど、人族が食すると大変なことになりそうなものを扱っている店のようだ。
「生魚も、ですか?」
「そうだ」
「シグネリア王国でも、生魚を食する文化はありました」
「ほう?」
「こう、活きているものを目の前で絞めて、その場で捌くのです。そうすると菌の心配もなく、寄生虫なども職人が目視で取り除くので、安全なのですよ」
生魚はその危険性から、一般的に好まれて食されるものではなかったけれども、シルフィリアは好きだった。
王族の中でも、好んで食していたのはシルフィリアくらいであろうか。
シグネリア王国には海がなかったため、めったに口にすることはできないものであったけれども、活きた魚を王宮に運び、調理してもらったことがあるのだ。
他の家族は怖がって食べない者が多かったけれども、あの新鮮な身の美しさ、歯ごたえは素晴らしかったと、シルフィリアは思い出に浸り、ふと頬を緩める。
すると、隣の主人が黙っているので、不思議に思って顔を振り仰ぐと、青い瞳と一瞬目が合い、しかしすぐに、彼は顔をそむけた。
「ここは森の中で、獣人向けの屋台だ。人族が食することができるような管理はされていないだろう」
「……そうですか」
「だが、そうだな。戻ったら、一度は出すようにシェフに伝えておく」
シルフィリアが目を瞬き、再度主人を見る。
しかし、彼は顔をそむけたままだ。
よく考えると、シルフィリアはレイファスと同じものを食べているが、レイファスにしか食べることができないものを出されたことはかった。
もしかして、配慮されていたのだろうか。
「ありがとうございます」
自然と笑みがこぼれて、感謝の気持ちを伝えると、腰を抱く腕に少し力が入った。
それがなんだか恋仲の男女のやりとりのようで、シルフィリアは急に恥ずかしくなり、顔を赤くして顔を背ける。
すると、そういった自分達の姿を見た観客達が口笛を吹いたり、はやし立てている声が聞こえ、ここでようやく、初心な緋色姫は気が付いた。
祭りに集まった人々に、ものすごく見られている。
朝食を食べている者達が、なんだかんだ手を止め、生暖かい視線でこちらを見ている。
シルフィリアは元々王族で、人に見られることに慣れすぎていため、視線を集めていることに全く気が付いていなかった。
だがもしや、今までの様子も、全部見られていた……?
迂闊な亡国の王女が顔を赤くして狼狽えていると、上からいつもの低く穏やかな声が降ってきた。
いや、いつもの声音ではない気がする。
ほんの少しだけ、憮然とした気持ちが込められているような。
「油断するな」
「え?」
「そのように、無防備な姿を他に見せるな」
「……? そ、そんなつもりは」
「よそ見をせず、私だけを見ていればよい」
その言葉は、逆効果だ。
どうしてそれが、この人にはわからないのだろう。
シルフィリアが、緋色の瞳を潤ませ、抗議するようにレイファスを睨むと、彼は何故か、嬉しそうに頬を緩めた。
シルフィリアの行動もまた、思惑からすると逆効果をもたらしているのだが、そのことに気が付くほど、奴隷姫は手慣れておらず、余裕がない。
ただ、憤る彼女の気持ちを無視してほのかな笑みを浮かべる主人に、悔しさを募らせるだけである。