亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~
「ああ、レイファス」
「お久しぶりです、兄上」
「うん、久しぶり。これ、おいしいよ。食べる?」
「いえ、大丈夫です。美味なるものは、兄上にまずは食していただかないと」
意外にも饒舌なレイファスに、シルフィリアは内心驚いていた。ルーカスも、どうにも気安い素振りだ。ラグナ王国の王子達は、互いに牽制しあい、距離を置き、仲がよくないという噂であったが、それはこの二人には当てはまらないらしい。
レイファスの珍しく相手を立てる様子に、ルーカスは機嫌がよさそうに頷いたあと、串の肉を頬張った。立ちながら、しかも人と話をしながら肉を食べるというのは大変に下品な行為であるのに、彼がとても綺麗に食事をするせいなのか、不快な気持ちにならないのがシルフィリアには不思議だった。
ルーカスは本当においしそうに肉を咀嚼し、それを飲み込むと、再度口を開いた。
「ふう。お前はそういうところ、上手いよね。それで、その彼女は?」
「私の奴隷で、シルフィリアと言います」
「ふぅん。随分気に入ってるんだね」
「はい」
「シルフィリアでございます。以後、お見知りおきを」
「うん」
ルーカスはシルフィリアの方を見て、大きい二重の目を何度か瞬くと、興味がなさそうに、目線を外した。
その意外にも冷めた様子に、シルフィリアは驚きを禁じ得ない。
そもそも、レイファスがシルフィリアを奴隷として迎えたことは、ラグナ王国内では有名な事件で、ここ最近の大きなニュースであったはずだ。それを知らずに数ヶ月過ごしているというのは、なかなかに耳が遠い。
そういえば、シルフィリアの処刑の場に、この男は居なかったように思う。
戦勝後の処刑と言えば、ラグナ王国の一大イベントのはずで、獣人の多くが待ち望んでいる行事であるというのに、出席すらしていないというのは、本当に興味がないがゆえなのだろう。
「兄上も、鹿狩りに参加されるのですよね」
「父上がそうしろと言うからね。今日ここに居るのだって、本当に嫌なのに、父上がひどいんだ」
「……兄上のそういうところは、本当に尊敬いたします」
「単に、興味を持たれていないだけだよ。父上は僕が何をしようと何を言おうと、自分には関係ないと思ってる。お前にはたいそうご執心のようだけどね」
憮然とした顔つきのレイファスに、ルーカスはからからと笑うと、貴賓席の方に向かっていった。第二王子リチャードに挨拶に向かったようだが、リチャードは、母を異にし、数ヶ月遅れで生まれた同じ年齢のルーカスにさして興味を抱いていないらしく、おざなりな態度でルーカスを追い払っている。そのような態度を、ルーカス自身も気にしていないようだ。自席に向かうと、供の者達に屋台で買わせたと思しき揚げ鳥や芋のフライ上げを用意させ、好きに頬ばりはじめている。
「ルーカスの兄上は、食以外には興味がない」
「仲がよろしいのですね」
「そうではない」
「……?」
「あれは、油断がならない」
レイファスの意図を汲みかねたシルフィリアに、彼は言葉を重ねることなく、シルフィリアを連れて自席へと戻る。
そうして、会場の雰囲気に目を走らせ、耳を傾けていると、今日の主催者が会場に現れた。
鍛え上げた大きな体躯を有する、黒髪の獅子王ラザックである。
黒い衣装に、金糸の刺繡を施した衣装は、彼が王であることを一目で伝える豪奢なつくりをしていた。
多くの供を連れ立つその男は、意外にも女を連れていない。
立ち上がった王子達に一瞬目を走らせるも、興味がなさそうにしたその男は、ただ悠然と、会場のうち、最も身分の高いものが座るために用意されたその場所に足を運び、居を構えた。
「父上、お久しぶりです」
最初に口を開いたのは、王太子ライアスだ。
形ばかりは礼儀正しい不肖の長男に、ラザックは眉をピクリと動かす。
「私が口を開く前に、お前が話をするか」
「でなければ、父上は私達に声をかけないでしょう? レイファスは別かもしれませんが」
「過ぎた口は身を亡ぼすぞ」
「おや、恐ろしい。――今年の鹿狩りも、大変盛況な様子です。御身の御威光が、世界にとどろく証かと」
「当然だ」
つまらなさそうな様子のラザックに、王太子ライアスは肩をすくめると、礼をし、その場を去る。リチャードとルーカスも挨拶を終えたところで、ラザックがレイファスを呼びつけた。
「レイファス」
「……父上。この盛況、めでたいことと存じ上げます」
「顔を出さぬ間に、女にのめりこんでいると聞いている」
レイファスが動き出す前に彼に声をかけた父王は、第四王子の横に居る奴隷の姫君に目を向けると、その緋色の瞳をいぶかるように見据える。灰のような、深い闇のようなその暗い瞳に、さしものシルフィリアも怯んだけれども、後ずさることはしなかった。
顔をこわばらせながらもその場で踏みとどまる亡国の王女に、ラザックは愉快そうに、不快そうに、ただ嗤う。
「生意気な女だ。これがそれほどいいのか」
「父上」
「趣味だといったな。成果のほどは出ているのか」
「いまだ、何も。ですが、そういった経過も愉しんでおります」
「寄り道は感心せぬ」
用意された銀色の盃に注がれた真っ赤なそれを、ラザックは右手に取り、ゆっくりとたゆらせる。それを二口、三口と飲んだ後、盃を置いた。
「今はまだよい。お前も未熟だ。私もこうして、酒を愉しみ、つまみでことを濁すことも許そう」
「……」
「だが、溺れるようなら、容赦はせぬ」
レイファスは頭を下げると、シルフィリアを伴い、その場を去った。
父と息子。
二人の間にあるものについて、きっと触れてはいけないのだろうと思う。
それほどに、レイファスの表情は硬く、きっと他の者――例えば辺りを歩いている獣人達に聞いたところで、ただの無表情だと言われてしまうのだろうけれど、シルフィリアには彼の心が固く緊張している様が手に取るようにわかった。
シルフィリアは決して、レイファスの味方ではない。
レイファスは、あくまでも、シルフィリアを支配する主人なのだ。
それでも。
「……それは、お前自身を追い詰めることになる」
手を握った細い指に、レイファスは目をそらし、冷たくそう言い放つだけだった。
けれども、その手を握り返した弱い力を、きっと忘れることはないと、シルフィリアは思う。