亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~


 通信機を持っている供の者に目をやると、彼は肩をすくめ、首を振った。
 既に運営に連絡していたようで、どうやら他に、既に鹿を射止めた組があるらしい。

 レイファスは残念がることもなく、平然と馬を降りて鹿を検分し、供の者達に運ぶよう指示を出していた。

「少し間を置いたからな。そんなものだろう」
「……もしかして、私がこの服装でなければ」

 愛馬の上で青ざめているシルフィリアに、レイファスは目を丸くした後、ははっと声を上げて笑った。
 その珍しい様に、配下の者達も驚いている。

「いや。私が、あえて間を置いたのだ。国王主催の鹿狩りで、初狩りの賞を身内が手にするのはよくない」

 こらえられないといった様子でくつくつと笑っている狼に、シルフィリアはじわじわと首から上を赤く染め上げていく。

「なら、いいのです」
「お前ごとき、枷にならぬ」
「いいと言っています」
「ふむ。随分となめられたものだ」
「殿下」

 馬上に戻った狼王子を、シルフィリアがねめつけると、赤い毛の野獣は機嫌がよさそうに、彼の奴隷姫を元どおりその胸元に収めた。

「そもそも、私はこの鹿狩りで賞を取るつもりはない」
「そうですか」
「しかし、我が寵姫にそのように憂い顔をさせるのは本意ではないな」

 誰が寵姫だというのか。
 いや、寵姫の振りはしているけれども。
 そもそも、もういいと言っているのに、あどけない顔で絡んでくるこの王子は一体何なのだ。

 不満を口にはしないものの、全身でそれを表現している緋色の瞳の姫君は、まさかこの後、ほんとにレイファスが本気を出すとは思っていなかったのだ。

 彼は、シルフィリアを抱いているがゆえに弓をつがえることはなかったものの、先ほどのように配下達に指示を出し、あっという間に鹿を射止めてしまう。
 指示どおりに鹿を射止める配下の三人の弓の腕も、正直尋常ではない。

 瞬く間に十匹に近い鹿を仕留めたレイファスと配下の三人に、シルフィリアが成果を褒めたたえながらも唖然としていると、猿の獣人であるダニエルとデニスが、声を上げて笑っていた。

「私もこいつも、猿の獣人なので、こういった道具を操ることは得意なのですよ」

 レイファスの側近である二人は、尊敬の目を向けるシルフィリアに、相好を崩しながらそう教えてくれた。
 ラグナ王国では、力の強い肉食獣ほど尊ばれる風習がある。猿の化身たる二人は、二人ともラグナ王国の貴族ではあったけれども、どちらかというと蔑まれがちであった。そのため、獣の種類で差別をせず、少数民族を手厚く遇するレイファスの元で働き始めたらしい。

「こんなに仕留めてしまっていいのでしょうか。他の参加者に怒られませんか?」
「鹿狩りは参加者の組ごとに狩場が決められていますから、おおよそ大丈夫でしょう」
「細かい決まりがあるのですね」
「以前、よくない事故がありましたから……あ、いえ、その」
「事故、ですか?」
「いえ。……ところで、蛙の彼は最近殿下の傍仕えに加わりましたが、本当に見事な腕前ですね。そこを見込まれて、今回の参加者に選ばれたようですよ」

 ダニエル曰く、蛙の化身であるエーベルは、レイファスに滅ぼされた国の王族の一人であるとのことだ。処刑されるはずであった彼は、シルフィリアと同様に、レイファスに拾われたのだという。元々第二王子であった彼は、文官になるのかと思いきや、護衛に志願し、その実力であっという間にレイファスの近衛に成り上がっていった。

「エーベル様は、努力家なのですね」
「……いえ」

 エーベルの仕留めた鹿をレイファスが検分している中、シルフィリアは成果を上げた彼本人に話しかけてみたのだけれども、その返事は不愛想なものであった。
 よく見ると、彼はあまり他の者達と話をしている素振りがない。ここに居る経緯を考えると、彼なりに思うところがあるのかもしれない。

 シルフィリアは、この鹿狩りに来るまで、ほとんど周りの使用人達と会話をすることを許されていなかった。
 そして、鹿狩りの参加者であるダニエルとデニスは意外にも気さくに話しかけてくれる。
 そのため、気が緩んでつい、同じく参加者であるエーベルにも声をかけてしまったのだ。しかし、余計なことをしたかもしれないと反省し、シルフィリアはそれとなくレイファスの横に戻った。
 戻って来たシルフィリアを見て、レイファスはシルフィリアを引き寄せる。

「あまり私の傍を離れるな」
「はい」

 鹿狩りが始まってからというもの、何度この言葉を言われたことだろう。
 しかし、嫌な気持ちにはならない。
 というより、ただ申し訳ないと、シルフィリアは思う。
 何故なら、理由は不明だけれども、彼はずっと、何かを警戒しているようなのだ。彼を脅かすそれが一体なんなのか、シルフィリアには知る由もないが、何かあったときに一番に足手まといとなり、命を落としてしまいそうな彼女が彼の傍を離れていては、きっと彼の心労は増えるばかりであろう。

 おとなしく頷き、傍に侍る奴隷姫に、レイファスは満足そうに頷くと、自らの近くに引き寄せる。

 そうして、鹿の運搬を命じ、供の者が二人程度に数を減らした頃だろうか。

 誰よりも早く変化を感じ始めたのは、レイファスであった。
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