亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~
片口で切りそろえたハニーブロンドの髪が眩しい、ふくよかな青年。
ゆったりとした歩みで現れたその人は、先ほど会場で会ったばかりの人物だ。
第三王子ルーカス。
思わぬ人物の登場に、ダニエル達一味はこれ以上なく狼狽えた。
「ルーカス、殿下……」
「うん。なんだか、つまらないことをやっているみたいだね」
軽い口調で言われた言葉に、ダニエル達は慌てふためいている。
「い、いえ。俺達は別に」
「ええと、そこに居る彼女。シルフィーアさん、だったかな?」
「……」
シルフィリアと申します、と今一度名乗ると、ルーカスは、ああそうだったと何度か頷いた。
「レイファスが心配しているよ。多分ね。戻った方がいい」
「……! レ、レイファス殿下は、ご無事なのでしょうか!? 私が見たときは、とても苦しんでいて……!」
泣きそうな顔で言いつのるシルフィリアに、ルーカスはなんの興味もないといった顔で、あー、と空を見上げる。
「レイファスはちょっと大丈夫じゃないかもしれないね」
「……!?」
「あの子は慣れていなくて、効きがよかっただろうからなあ。君達は、弟にあれを使ったんだろう?」
緑色の澄んだ瞳が見た先に居るのは、ダニエル達だ。彼らは、ルーカスの言葉にハッとした後、勝ち誇ったような顔で、大きな香り袋を取り出した。
「そ、そうだ! 俺達には、これがある!」
「ああ、やっぱり」
その香り袋を見た後も、平然としているルーカスに、ダニエル達は憎々し気な表情を浮かべ、その中に入っていた香木を取り出し、その場で松明のように火をつけた。
その燃える先から、香りの強い煙が舞っている――らしい。人族であるシルフィリアには、その香りがわからない。けれども、その香りは、獣人にはてきめんに効果を発揮するのだという。
「これは、肉食獣ほど、効き目が強い。あんただって、例外ではないはずだ!」
ダニエルは勝利を確信した様子で、香木を振り回していたけれども、だんだんと、変化のないルーカスを見て、青ざめていった。
ルーカスは無遠慮にダニエルに近づくと、何気ない仕草でその香木を奪う。
しっかりと握りしめていたはずの香木を奪われ、ダニエルは唖然とした顔で、ルーカスを見た。
「これさ、すごく安いやつだよね。香木の中でも、下から二番目くらいのやつじゃない?」
「こ、香木の、中で……?」
「臭いし、あんまり体に良くないから好きじゃないんだよね。そうだ。ね、シルフィーアさん」
呼ばれたシルフィリアは、もはや名乗りなおすこともなく、ルーカスに返事をする。
「君、人族でしょ? 水の魔法とか使える? これ、消してくれないかな」
「は、はい……」
シルフィリアは第三王子の要望に応じて、魔法を行使し、そこそこの水を出して松明の火を消した。あとに残ったのは、絶望に染まったダニエル達と、煙たそうにしているルーカスの配下達、それに、蛙の獣人のエーベルである。
「シルフィーアさんは知らないだろうけど、この香木はね、獣人の本能を強くしてくれるんだよ」
「本能、ですか?」
「うん。例えば、戦いたいって気持ち。蹂躙したいって気持ち。眠りたいって気持ち。独り占めしたいって気持ち。――それから、食べたいって気持ち」
ふわりと、ルーカスの姿が解けた。
そこに現れたのは、大きな大きな、巨熊だ。ハニーブロンドに光るその毛並み、緑色の瞳は、間違いなくルーカスのものだ。
しかし、ただひたすらに、大きい。
シルフィリアの二、三倍はあるその巨体に、彼女だけでなく、ダニエル達も圧倒され、身動き一つすることも叶わない。
「僕はさ、食べることが好きなんだ。それは、シルフィーアさんも知ってるよね?」
「は、はい」
「香木はさ、食べる時間を、さらに楽しいものにしてくれるんだ。だからよく使ってる。この程度じゃ、もう効かないんだよね」
シルフィリアは、ようやく何が起こったのか理解した。
つまり、レイファスは香木の香りをかがされ、獣の本能をこれでもかと煽られたということなのだ。
本能のままにシルフィリアにひどいことをする可能性があったので、彼は彼女に、今すぐ離れるように命じた。
ダニエルとデニスは猿の獣人で、肉食獣ではないがゆえに、香木の効果が出にくい体質だった。
そして、第三王子ルーカスとその配下達は、普段からルーカスが常用しているがゆえに、ダニエル達が使った香木の効き目が、全くなかった……。
思案するシルフィリアの傍ら、巨熊となったルーカスは手に持った香木を、さりげない仕草で、そのあたりにある木に向かって投げた。
ものすごい勢いで吹き飛んだ小さな香木は、近くの木にめり込み、破裂。香木が当たった木の方も無事では済まず、今にも折れそうな気配を見せている。
柔らかい口調の第三王子の想像を超えた腕力に、誘拐犯達は、ただひたすらに慄いた。
巨大な熊の隣に居るシルフィリアも、内心冷や汗をかいている。
怒りを香木にぶつけたことで、いくらか落ち着いたのか、ルーカスは再度、穏やかな口調で話しはじめた。
「ええと、だからね。そのくらい、僕は食べることが好きなんだ。なのに、こいつらはそれを邪魔したんだ」
「な、何をおっしゃいますか、ルーカス殿下! 俺達は、そんな……」
「だって、レイファスが、シルフィーアさんを助けろって、そう言うんだ」
シルフィリアは目を見開いた。
緋色の瞳が潤み、涙が零れ落ちる。
レイファスは、あの人は無事なのだ。
その上で、兄であるルーカスを、この場によこしてくれた。
「だから、僕はすごく怒っている」
近づいてくる巨熊に、ダニエル達は、もはや抵抗する意思もないようだ。
「君達は、僕の配下が取り押さえるよ。抵抗したら、もう面倒くさいから、さっきの香木みたいに投げちゃうと思う。あー、でも、血で汚れるのも面倒だね。とにかく、おとなしくしてね」