亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~
「――レイファス!」
セディアスによって差し向けられたナイフにかまわず、シルフィリアは主人である狼王子の元へと駆け寄った。
刺された彼の腹を両手で抑えるけれども、血が止まらない。
必死に呪文を唱え、血止めを試みるけれども、止まらないのだ。
急場で唱えた血止めの呪文では、三か所の刺し傷を一気に止めることが難しい。
「レイファス! 血が、止まらないの。待って。だめよ、どうして……」
「は、ははは。わ、私がやったんだ。レイファスを――国の仇を、打ち取った!」
声を上げて笑い出したセディアスに、シルフィリアは目の前が真っ赤に染まったような感覚を覚えた。
レイファスが、してきたこと。
してくれたこと、悩んでいたこと。
国を裏切ったのはシルフィリアで、レイファスはそれを、押しとどめていてくれたこと。
すべてが、今このとき、シルフィリアの中で、燃える炎となって身を焦がしていた。
「……仇だけど、仇じゃない」
シルフィリアの、心の奥から絞り出すようなその声に、セディアスはぴたりと笑うのを止める。
「セディアス。私達三人は、いつだって彼に守られてきたのよ。なのに、あなたは」
「それは、あなたの目線での話だ! 女になって堕落した、あなたの」
「彼は私に、触れてない!」
セディアスは絶句し、その碧い瞳が驚愕を湛える。
隠すべきと思って、伝えてこなかった。
今だって、言うべきことではないと、そう思う。
けれども、セディアスは知るべきだ。
自分が刺した男が、セディアスに、シルフィリアに、何をしたのか。
何をしてくれていたのか。
「何もないのよ、セディアス。私と彼の間には、何も――彼はただ、私を守るために」
鹿狩りの後、レイファスは毎夜、一日もあけずに、シルフィリアと寝室を共にしていた。
けれども、彼はシルフィリアに、本当の意味で触れることはなかった。
ただ、彼は毎夜、彼の奴隷姫を優しく抱きしめて眠りについた。宝物のように、決して離さないけれども、それでもそれ以上踏み込んではこない。
それは、シルフィリアを守るためだった。
彼は、この一時の想いで、シルフィリアが祖国を裏切ることにならないよう、『演技』を続けた。
「好きにしても、よかったのに」
両手を血のりで濡らし、血止めの魔法を続けながら、涙をこぼすシルフィリアに、セディアスは愕然とした表情で立ちすくんでいる。
伝えるべきことは伝えた。
後はセディアスが自分で判断することだろう。
そう思い、シルフィリアは意識を魔法の施術に集中させる。
そして、血止めの魔法を一通り終えた後、床で意識を失い、血に濡れた彼女の主人を見た。
一時的に血は止めたけれども、流れ出たものが多すぎる。
それに、内臓も損傷している。
生命力の強い獣人であっても、きっともう、助からない。
ふと、彼の私室であるこの部屋の窓に目をやった。
そこには、部屋の主人によって飾られたフィリアの花がある。
真っ白な祖国の国花は、凛とした佇まいで、シルフィリア達を見ていた。
(花言葉は……真実の、愛……)
自然と笑みがこぼれた。
いつだって、レイファスはシルフィリアを支えて守ってくれるのだ。
今もこうして、後を追う勇気を彼女に与えてくれる。
シルフィリアは、レイファスによって持たされていた護身用のナイフを取り出すと、それを自らの腹に突き立てた。
誰も止める暇がなかったそれは、間違いなく、シルフィリアの命を奪うものだった。
痛みをこらえながらナイフを引き抜くと、花が咲くように、赤色が舞う。
そうして、そっとレイファスの傍に倒れ伏した。
セディアスが背後で叫んでいる声が聞こえた気がする。
けれども、聞こえなくていい。
もういいのだ。
痛みと、苦しみで、前が見えなくなっていく。
けれども、確かに手に感じる彼の温かさは、そこにあって。
『そうか』
暗闇の中、白いシャツコートを羽織った男は、灰色の瞳で、こちらを見ている。
『お前は、愛を知ったんだな』
その手には、白い花があった。
彼女が小さな頃から見ている、国の花。
恰幅のいい黒髪眼鏡のその男は、その花をシルフィリアに渡すと、花は彼女に吸い込まれるように、溶けて消えていった。
『我が娘に、幸あらんことを』
その瞬間、室内に白い光があふれた。
シルフィリアは、みるみるうちに、己の腹部の痛みが消えていくのを感じた。
肉が、血が戻り、すべてをなかったことにしていく、禁忌の力。――治癒魔法。
周囲が唖然とする中、シルフィリアはすぐさま、その力をレイファスに使おうとした。
けれども、白い光は、シルフィリアだけを治した後、その姿を消そうとしている。
「待って。お願い、だめよ。どうして……治したいのは、私じゃないのに!」
シルフィリアが泣き叫ぶ中、ただ、成り行きを見守っていただけであった第三王子ルーカスが言葉を発した。
「ここまでだね」
え、と怯む男達に向かって、ルーカスは平然としている。
「僕の仕事はここまでで十分だろう。僕は、君達のやることを傍で見ているだけの役割だった。そして、君達は、失敗した。そうだろう、そこの君?」
真っ白な顔をしているセディアスは、ルーカスの言葉を聞いてなお、動かない。
それを見たルーカスは、騒ぐの残りの四人の男達に構うことなく、呼び鈴を鳴らして、人払いを解除した。
レイファスとルーカスの配下や護衛達が集まり、室内の惨状に目を剥いたあと、レイファスを治療室へと運んでいく。
そして、セディアスを含め、男達は捕らえられ、牢に投じられることとなった。