亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~


 セディアスはわかっていた。

 彼はこの国の王子を傷つけた。ラグナ王国の威信に傷をつけるような真似をした。
 それがたとえ、第一王子の差し金であったとしても、第三王子の手引きによるものであったとしても、実行犯であるセディアスが助かる道はもはやないのだ。
 こうして、尋問もそこそこに、シルフィリアと話ができる状態であることが奇跡のような状況なのである。
 そこには、第一王子と第三王子の関与を証言台で決して公言するなという、暗黙の命が隠れている。

「私には、選択肢がありました。一つは、この聖典の秘密を全て、この世から消し去ること。もう一つは、秘密を、治癒の力を――あなたに託すこと」
「セディ」
「シルフィリア様。我が国の、最期の緋色の瞳の姫君。あなたはきっと、その力と向き合うことになるでしょう。愛と、恨みと。命を、あなたの手で天秤にかけることとなる」

 亡国シグネリアの最期の王女。
 緋色の瞳の持ち主である彼女は、背を正して、彼女の神官の言葉に耳を傾けた。

「あなたならきっと、うまくやれます。シルフィ」
「……信じてくれるの?」
「信じたいと、思っています。私はずっと、あなたを信じていたかった。ですが、疑いました。愛が故に、愛を捻じ曲げ、あなたにそれをぶつけようとした。……人は、こんなにも弱いのですね」
「セディ」
「人はいつも、正しく居られるわけではない。そのことが、ようやく私にもわかったのです」

 セディアスは強く正しくあれと教えられ、そのとおりに生きてきた。
 神官として自分を律し、それを誇りに思ってきた。
 それだけでなく、人が正しくないことをしているのを許せないと考えるようになったのは、いつのことだろうか。
 そうやって自分の世界を狭く細く、白黒がはっきりとしたものとしてきたセディアスには、愛する女性が、間違った理屈で憎い男のものになったことを、許すことができなかった。

「正しくありたかった。それが、私の矜持でした。けれど結局、先に間違ったのは私でした。あなたとジルクリフは、真実を見据えようとしていたのに。……私は結局、あなたとジルクリフと、……レイファス殿下に、守られていたのですね」

 ぽろりと涙をこぼす彼の主に、セディアスは笑う。

「不安そうな顔をしないでください」
「……セディ。だってね」
「間違ってもいいのです」

 セディアスは、自身の手のひらを見つめる。この手は、正しいことだけをしてきたと思って、生きてきた。けれども、その手は最後に、仇であり、恩人でもある狼王子を傷つけた。

「私達は完ぺきではない。だからこそ、聖典の戒律が必要で、あるべき姿を見据え、目指していくことを大切にしなければならなかったのです。神殿の教えは、父の伝えたかったことは、正しさ以外を排除するものではなかったはずだ」

 神官長であったセディアスの父は、彼に正しさを教えた。
 誠実さを、義憤を教えてくれた。

 それはセディアスが踏み外さないようにと願ったが故のもので、きっと、踏み外した者を憎むためのものではない。

「セディ。私は、どうしたらいいと思う?」
「それは、シルフィリア様が考えることですよ」

 思わず不満そうな顔をして緋色姫に、セディアスは声を上げて笑った。

 最期に、こんなふうに穏やかな時を過ごすことになるとは思っていなかった。
 それは確かに、目の前の彼女がくれたもので、自然と、もらったものを返したいという気持ちが沸き上がる。
 それは対価ではなく、感謝と親愛が故のもので、そこでふと、セディアスは気が付いた。

 きっと、目の前の彼女もそうなのだ。
 あの王子に対して、与えられたものを返したいと、そう思っている。
 そう思わせるだけのものを、あの王子は彼女に与えているのだ。
 国を奪ったにもかかわらず、彼女を、ジルクリフを、セディアスを守り続けてきた、大嘘つきな狼王子。

 その隠しているものを、知りたい。

 それは彼がようやくたどりついた、緋色姫と同じ目線で見る世界だった。
 そして、愛する女性の心を奪ったやっかいな狼の秘密を暴く時間がないことを、セディアスはほんの少しだけ……残念だと、そう思う。

「沢山考えてください。あなたが私達のことを忘れず、向き合っている限り、今後私は、あなたの選択をすべて肯定します」
「……すべては言いすぎじゃないかしら」
「いいえ、すべてです。きっとそんなふうに、あなたを支えることができる存在は、他にはいないでしょう」

 暗に、弟ジルクリフが別の思惑で動いている可能性を示唆すると、緋色姫は息を呑んでいた。

 けれども、伝えておかねばならない。
 あの十四歳の少年は、セディアスとは違う形で動いている。
 それが何か、セディアスにはわからないけれども、少年に隠し事があることくらいは、知っていた。
 そのくらいには、セディアスは、ジルクリフと家族であった。

「行ってくださいシルフィ」
「セディ、でも」
「あの王子を、治したいのでしょう?」

 狼狽える彼女に、セディアスはただ、穏やかにほほ笑んだ。

 シルフィリアはこらえられないといった風情で、口元を抑え、涙をこぼしていた。
 しっかりしているようで頼りなく、けれどもいつだって前を見ている、セディアスの緋色姫。
 その姿を見るのも、これが最後のことになる。

「泣いていいとは言っていませんよ」
「……すべて肯定してくれないの」
「これは照れ隠しだからいいんです」
「今までにないほど素直だわ」
「誤解をされたら、それを解く暇がありませんから」

 シルフィリアとセディアス、二人の間に残された時間は、もうない。

「沢山、悩んでください。あなたがシグネリアを裏切り、間違った選択をしたとしても……私はあなたの味方です」


 -◇-◆-◇-◆-

 三日後、セディアスは処刑された。他の犯人達もだ。
 シルフィリアは、処刑の場に行かなかった。
 別れはもう、済ませていたから。

 今、彼女の傍には、レイファスは居ない。
 彼女の治癒の力によって、息を吹き返した狼王子は、彼女の力の発現を知った後、静かにシルフィリアを拒絶したからだ。
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