亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~


 -◇-◆-◇-◆-

 その庭園は、想像よりも広さがあった。
 木々が生い茂り、土と石畳が入り乱れ、迷路のように入り組んでおり、さながら神樹の森の狩場のようである。

 いや、あの森と比較すると、随分と見た目が禍々しい。
 ほのかに、血の匂いと、何かが腐ったような臭いもしている。
 ところどころ、端の方に、地上から差す明かりが見えるが、基本的には明かりの魔石が森を照らしているようだ。

 外の光が差すということは、地上から見える場所があるということだろうけれども、おそらく地下からの声は届かないように防音の魔法陣が施されているだろう。

 リチャードの狩場。
 奴隷を放り込み、彼が好き放題に、逃げる獲物を嬲る、地獄のような場所。
 それが、第二王子の地下庭園であった。

 狐に転変したリチャードは、シルフィリアが声を出すこともできないよう、彼女を抱えたまま獣の力で走り、中央の広場と思しき場所についたところで、彼は石畳の床に、無造作にシルフィリアを捨て置いた。
 そして、改めてシルフィリアの首元をつかんで立ち上がらせ、広場のその中心を囲うように立ち並ぶ七本の太い柱のうちの一本に、押し付ける。

 急な移動によって崩された平衡感覚が戻らず、めまいを感じながらも、柱に押し付けられた痛みで、シルフィリアはなんとか意識をリチャードに向けた。

「よくも、騙してくれたな」

 牙を剥き、吊り上がったダークブルーの瞳が、怒りをはらんでいる。
 シルバーブロンドの毛並みが逆立ち、今にもシルフィリアを食い殺さんとするその狐に首をつかまれながら、シルフィリアはなんとか言葉を絞り出す。

「……こんなことをして、レイファス殿下が黙っていません」
「レイファス、レイファス、レイファス! 皆、あの狼の何がいい!」

 弟への憤りをぶつける狐の王子に、シルフィリアは身を固まらせながら、考える。

 どうしたら逃げられるか。

 止まりそうになる思考と心を叱咤しながら、シルフィリアはリチャードを見つめ、ただひたすらに機を窺う。

「お前、やはりあの狼に犯されていなかったらしいじゃないか」
「誰から、そのようなことを」
「兄上だ。ライアス兄上が、ルーカスの兄上に確認させたと言っていた! 俺は、お前がなぶられている方に賭けたというのに、おかげで大損だぞ!」

 リチャードは八つ当たりをするように柱を殴り、石の柱にはミシミシとヒビが刻まれる。

 シルフィリアは、そういうことかと唇をかんだ。

 賭け狂いの第一王子ライアス。
 彼の行っていた賭けには、相手が居たのだ。
 そして、シルフィリアがセディアスに向かって叫んだあの一言で、すべては決した。

「そのような、無粋な賭けごとは、リチャード殿下には相応しくないのでは」
「今更すり寄ってなんとかなると思うな、この婢女が!」

 ぎりぎりと首を抑える右手に力が籠められ、シルフィリアは息をすることもままならなくなる。
 そうして、このまま息絶えるのかと覚悟したところで、我に返ったリチャードが、シルフィリアから手を離した。

 その場で崩れ落ち、げほげほとせき込みながら息を吸い込む彼女に、リチャードは息を吐く。

「……これは、もったいないことをするところだった。怪我を自動で治す便利な獲物とはいえ、このように息を止めてはそれも叶うまい」

 シルフィリアは、ぎくりと肩を震わせる。
 リチャードは、彼女が治癒の力を手にしたことを知っているのだ。

 レイファスは、ライアス第一王子とルーカス第三王子はみだりにそれを口にすることはないと言っていたけれども、彼らは第二王子であるリチャードにはそれを話したということなのだろう。
 そもそも、第一王子と第三王子に口止めする時間も方法もなかったのだから仕方のないことではある。
 しかし、厄介な相手に秘密を知られてしまった。

 何度傷つけても治る、理想の獲物。
 玩具を壊し続ける残虐の象徴リチャードにとって、これほど得難いものはないだろう。

「逃げるがいい、奴隷の姫よ」

 リチャードは、ゆっくりとシルフィリアから離れると、近くにいくつか設けられた、豪奢なつくりのベンチの一つに腰を掛けた。
 足を組み、そこに置かれたワインを手に取ると、座り込んでいるシルフィリアを愉しそうに見つめている。

「鬼ごっこだ。いや、狐ごっこと言うほうが正しいか」
「……何を」
「この庭園の中で、逃げ回るがいい。二分待ってやる。安心せよ、すぐに殺しはせぬ」

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