亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~
は、と呟くシルフィリアの首に、リチャードの手がかけられる。
ゆっくりと力が入っていくそれに、シルフィリアは息ができなくなり、悲鳴を上げることすらできない。
「そろそろ、弟もやってくるだろう。返すのは実に業腹だ。となれば、もう要らぬ」
「……っ、は……」
「さらばだ、レイファスの女」
呼吸をすることができない。首を絞める手を払いのけることもできない。
苦しくて、無詠唱で魔法を起動することもできない。
――あの人に会うことも、もうできない。
シルフィリアが命を落としかけたときに、命をかけて助けてくれた、赤髪の主人。
嘘つきな狼王子は、シルフィリアが命を落としたと知ったとき、泣いてくれるだろうか。
それとも、興味がないふりをして、平気な顔をして、ただ一人、歩いていくのだろうか。
それは嫌だなと、シルフィリアは思った。
彼が何をしたくて、どのように生きてきたのか。
それを知らずに、――誰にも知られずに、一人で歩かせてしまうのは嫌だと、そう思った。
彼の行く先に、手を伸ばしたい。
あの、ひとりぼっちの狼少年に――。
視界が真っ暗に染まる中、突如として体に衝撃が走り、シルフィリアは床に崩れ落ちた。
肺に空気が急激に入り込み、目の前に火花が散るような感覚が続く。
せき込みながら、必死に息をする横で、獣が争うような声が聞こえる。
「――レイ、ファス!!!」
狼の咆哮、狐の哮る声が辺りに鳴り響く。
炎を体現した深紅の巨大な狼が、血の匂いをまとった狐と対峙し牙を剥いていた。
現れた憎き弟に、狼よりも一回り小さな体躯を持つ狐は、その灰白色の毛を逆立てながら、哮りたつ。
「レイファス。お前、ここは俺の庭園だぞ!」
「兄上こそ、何をしているのかわかっているのですか」
「この女はもう俺のものだ!」
「その思い違い、容赦するにも限度がある!」
「お前こそ弟のくせに、生意気な!」
シルフィリアを背に、立ちはだかる炎の色をした狼に、残忍にして残虐の狐王子は、咆哮する。
「その思い上がり、たたき伏せてくれる!!」
それは、人族であるシルフィリアには想像もできない、世にも恐ろしい戦いであった。
獣に転変した二人の獣人が、その体躯に満ちた力――牙、爪、筋力、そして魔力を抑えることなく行使し、互いを仕留めんと、息も付けぬ速さで暴れ狂う。
赤い炎が狐を薙ぎ、光の粒が狼の体を仕留めんと煌めきを迸らせる。
多少の傷を意にも介さない二人の争いは、周りの木々を焼き、石を、地面を削りながらも、次第に終焉を迎える。
最後に立っていたのは、レイファスだった。
国王ラザックの命の下、戦の先陣を務め続けた暴虐の狼王子の力は、絶大であった。
彼はシルフィリアを背後に守りながらなお、その腕力で、技術で、魔法の力で、狐王子を圧倒した。
固い床に倒れ伏す兄を見ながら、狼はその足で彼の肩を強く踏み、その骨を砕く。
狐の悲鳴が上がったところで、レイファスは静かに告げた。
「次はない」
狼は、獣の姿を解くことなく、地面に座り込んでいるシルフィリアを、大切な宝物のように横抱きにして抱え上げる。
そうして、憎しみを込めて弟の名を叫び続ける兄を置いて、その地下庭園を出た。