亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~
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移動の最中、シルフィリアはジルクリフを見た。
まだ幼いと思っていた弟は今、レイファスの指示で、彼女をニコラの後宮へと連れ出している。
平然と移動しながらも、彼はラザックの部屋から半径二百メートル以内に防音結界を張り、シルフィリア達に隠密魔法をかけ続けているのだ。
政治的な意味でも、魔術的な意味でも、シルフィリアが思っていたよりずっと成長していたらしい弟に、正直驚きを隠せない。
「隠密魔法については、トールズさんの補助あってのものだよ」
「……でも、どうやって? ラグナ王国の王宮に、そんな広範囲にだなんて」
どのような国であっても、中枢機関の集まる建物には、魔術的な防御施策が施されているものだ。
特に、防音結界や潜伏魔法といった、機密保持に関わる内容の魔法や魔術は、幾重にも防衛されているので、急場の詠唱では、その効果を維持できない。
ラザックとレイファスの戦いの様子を隠すのであれば、かなり広範囲に及ぶ防音結界が必要となるはず。
しかも、防音結界魔法というのは、結界の範囲外に音を漏らさないという、ただそれだけの効果しかもたらさない。
人の配置を考え、余計な水を差すような人物に情報が行かないよう、結界を張る場所も工夫しなければならない。
そのような配慮、準備ができているのかと、暗に問いかけてくる姉に、弟は肩をすくめて笑った。
「僕も頑張っていると言っていただろう?」
ジルクリフは当初から、レイファスの指示で、彼の側近達に王宮の様々な場所に連れ出されていたのだという。
始めはただの使用人――侍従として。そのうちに、官僚候補のような顔をしながら、執務の補佐という名目で、王宮内の様々な場所を目にしてきた。
「最初は、よく見るようにとしか言われなかった。執務の内容のことだと捉えることもできたけど……僕を何かに使いたいのだとわかったから、すべてを覚えるようにはしていたんだ」
ジルクリフは、執務の内容を覚えながらも、王宮の配置、人の顔と名前、その関係性など、何もかもを記憶に留めるようにしてきた。
今後従うにしても、逃げるにしても、抗うにしても、すべてが必要な情報だとわかっていたからだ。
そうして、十四歳の才気ある少年は、メモに落とすわけにはいかないそれを、すべて頭に叩き込んだ。
その後、ジルクリフは、レイファスに呼び出された。そして、彼の思惑を全て知ることとなる。
「待って。それはいつのことなの?」
「姉さんと初めて再会したあの日だよ」
「そんなに前から!?」
「うん。あの日僕らが会えたのはね、元々、僕が言ったからなんだよ。姉さんに会わせてくれたら、協力するかどうか考えるってね」
レイファスに協力すべきなのか、ジルクリフは判断しかねていた。
敏いとはいえ、ただの十四歳の少年にすぎない彼は、自身の人を見る目、状況を見据える判断力に、不安を感じていたこともある。
だからまず、姉をその指標とすることとした。
若く美しく、女としての魅力にあふれ、何より緋色の瞳を持つ、奴隷に身を落とした亡国の王女。
彼女がどのように扱われているのか、レイファスをどのような人物と捉えているのか。
それを見た上で、ジルクリフは自身がどうするのか判断することとした。
そうして、姉が無事に、心を壊さずに過ごしている様を見て、自身の行く先を決めた。
レイファスに従うと告げたところ、レイファスはジルクリフに全ての計画をつまびらかにした。
そして、王宮の配置上、どのように防音措置を取るべきか尋ねてきたのだ。
ジルクリフは、その青い瞳が、自分を試しているのだとわかった。
ここで下手なことを言えば、きっと目の前の男は、いましがた話したばかりの秘密を守るために、即座にジルクリフを殺すことだろう。
今まで目にしてきた王宮の形、人の配置、関係性。
レイファスのやりたいこと。
そのために、必要なものは何か。
ジルクリフはすべての記憶を集め、自身の魔法を行使する能力と力量を含め、可能な案、考えられるやり方を三通り提示した。
そしてそれは、レイファスの目にかなったらしい。
ジルクリフは自分の力で立場をもぎ取り、レイファスの内実を全て知る一人となったのだ。
「何も知らない、周りも教えてくれないって、言っていたくせに!」
「僕もそのくらいの演技はするさ。姉さんに知らせるのはよくないと、僕も思っていたからね」
「なんでよ。私、そんなに口が軽くないわ」
「僕が最後の鍵だと言われたよ。――姉さんが、囮だと」
息を呑むシルフィリアに、ジルクリフは頷く。
緋色の瞳を持ち、治癒の力を発現する可能性を持った、亡国シグネリアの最期の王女。
世界にただ一人の緋色姫の存在は、レイファスが欲しかった最後の一駒――亡きシグネリア王国の嫡男ジルクリフを囲い込むための、都合のいい隠れ蓑であった。
当の本人がそのことを知らない方が、よりそれらしくなることは間違いない。
だから、レイファスもジルクリフも、彼女に何も告げなかった。
「……セディアスも知らなかったのね」
「うん。彼はどこまでも、シグネリア王国の神官だったから」
酸いも甘いもかみ分けるには、セディアスは真面目が過ぎた。
そのようにジルクリフは判断したのだという。
頭の柔らかすぎる弟に、シルフィリアはめまいを感じながらも、目的地に向かってその足を速める。
「それで、彼の計画っていうのは、一体なんなの」
それはずっと知りたかったことだ。シルフィリアが尋ねても、答えをもらえなかったもの。
ジルクリフは、隣に居るトールズを一瞬見た後、彼が反対しない様子であることを知り、改めて、その碧い瞳で姉の方を見た。
「レイファス殿下は、周辺国家の征服を続ける独裁国家ラグナ王国を滅ぼすつもりなんだ」
絶句する姉に、ジルクリフは苦笑する。
レイファスの目的は、父王を打ち倒すことによる代替わりではなく、国自体を亡ぼすことなのだ。
冗談でも本気でも、気軽に口に出せる内容ではない。
「これからレイファス殿下は、国王を弑し、兄達を全員屠り、自身の首を、爬虫類族の国であるガルフォード帝国に差し出すつもりでいる。そうして、この国の勢力圏内のものを全てガルフォード帝国に献上して、属国を創るんだ」
「属国!? で、でも、誰がその統治を」
頷くジルクリフに、まさかとシルフィリアは目を見開く。
「手引きの条件は、緋色の一族を属国の王に据えること。人族の僕を大国の国主とすることで、彼は獣人の席巻するこの世界に、一矢報いるつもりなんだ」