亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~

 -◇-◆-◇-◆-

 シルフィリアがジルクリフに連れられてきたのは、ニコラの後宮であった。

 そこには、妹達の体が保管されているはずだ。
 ためらうシルフィリアを、ジルクリフはせかすようにして進み、後宮の最深部の部屋へとたどり着く。

 そこには変わらず、大量の体が保管されていた。

「姉さんは、ここを見たことがあるんだね?」
「……ええ」
「それなら、話は早い。こちらへ」

 ジルクリフは、部屋の扉を閉め、鍵をかけると、別の場所へと向かい始めた。
 シルフィリアはただついていくだけだ。トールズも、何も言わずに同行している。

 そして、辺りに広がる光景に、シルフィリアは息を呑んだ。

 真っ白な世界が広がっている。
 中庭に、白いフィリアの花が、風に揺られ、花畑を創っていた。

 亡きシグネリア王国の国花。
 ――白いその花々の意味は、シルフィリアが誰よりもよく知っている。

「一度の癒しに、一輪のフィリアの花を」

 ジルクリフの言葉は、セディアスが生前、シルフィリアに教えてくれたものだ。

『緋色の瞳を、愛で満たせ。癒しと命は、フィリアの花と共に。一度の癒しに、一輪のフィリアの花を』
『セディ』
『フィリアの花が必要なのです。創造主レグルスがかけた鍵を解くことができるのは、世界にただ一人だけ。そして、そのために必要なものは、真実の愛と――白いフィリアの花が一輪』

 シルフィリアが初めて治癒魔法を発動させたあの日、室内には、レイファスが窓辺に飾っていた一輪のフィリアの花が存在していた。

 彼女が己を癒した後、そのフィリアの花は何かを吸い取られたように枯れ果てた。
 他に室内にフィリアの花がなかったから、彼女はレイファスをその場で癒すことができなかった。

 リチャードに襲われたときも、レイファスに持たされたフィリアの花の押し花は、三つだけだった。

 そして、目の前に広がるフィリアの花の花畑。

 これは、シルフィリアが救うことができる命の数だ。
 大きく広がり、その数を増やしていく白い花々。
 命は紡がれ、これからも限りなく増えていく。

「さっきの部屋にあった保管の魔道具を解除する手順書が、ここにある」

 その言葉に、弟を振り返ると、そこには見慣れたあどけない笑みが浮かんでいる。

「僕が国王になれば、サヴィリア達を治したとしても、再度あの子達を殺さずに済むね」

 シルフィリアは、目を見開いた。

 征服国家ラグナ王国で、生きながらえることを許されなかった者達。
 それが、あの奥の部屋に存在していた体の正体だった。
 シルフィリアの妹達も、きっと生きて捕らえられたならば、数人はリチャードに引き渡されていたことだろう。

 けれども、ラグナ王国が滅亡し、ジルクリフが国主となるのであれば、話は違う。
 彼らが息を吹き返したとしてもそこに危険はなく、目の前には、すべてを救ってなお余りあるフィリアの花々が存在している。

 思わず視界が歪んで、シルフィリアは口元を手で押さえる。

「どうして」

 それを何故、シルフィリアに言ってくれなかったのか。
 始めは隠していたとしても、今のシルフィリアであれば、彼の想いを支えることだってできたはず。
 こんなふうに、すべてを隠して、突き放す必要はないのだ。それなのに、何故。

「あの人は、すべてを自分のせいにして死ぬつもりなんだ。ラグナ王国の咎をすべて背負い、最期の王族として命を絶つ気でいる」
「何故!? ラグナ王国を転覆させたなら――その功績で、英雄にだってなれるのに! どうしてそんな意味がないことを」
「そう、意味なんてない。ただそうしたいというのが、あの人の欲望なんだ。……彼は、獣人だから」

 弟の言葉に、シルフィリアはようやく、レイファスの苦悩を知った。

 彼はきっと、責められたかったのだ。

 自身の弱さを嘆き、断罪を求める、自罰の欲望。
 それが、理性的に見えていた彼を振り回していた欲望の正体。

 狼の化身たるラグナ王国の第四王子は、戦で抜きんでた功績を上げ、人を手にかけ、他国を蹂躙してきた。
 それは全て、戦いと呼べるようなものではなく、圧倒的な征服であったはずだ。一夜にして国を失ったシルフィリアが、誰よりもそれを理解している。

 そのことを、誰よりも真面目で優しいあの人が、苦痛に思わないはずがなかったのだ。

 脳裏に浮かぶのは、いつか、馬車でシルフィリアにじゃれついていた彼のあどけない顔。
 シルフィリアを言葉で拒絶しながらも、傍近くに置き、守り続けてきた。
 誰かを愛したいと全身で叫びながらも、彼は決して、自身にそれを口にすることを許さなかった。
 すべて自分が悪いというあの言葉に籠められた想いが、彼を責め立て続けている。

 シルフィリアはそんな彼から、手を放してしまった。

 彼の渇望を、想いを受け止められるのは、彼女しか居なかったのに。

「悔しくない?」

 嗚咽を漏らし、涙を止めることができないでいるシルフィリアに、弟ジルクリフは問うた。
 その言葉に、シルフィリアは顔を上げ、弟の方を振り向く。

「全部一人で背負ってさ。それでいいのかな」
「そんなわけない! だけど、どうしたら……」

 暴虐の化身と呼ばれた赤い狼は、その真なる欲望を満たすため、既に動き出してしまった。
 彼は、命をかけて、やりたいことを遂げようとしている。
 それを、今更止めることなどできるのだろうか。

「ここにもう一つ、鍵がある」

 弟の取り出した新品の鍵に、シルフィリアが目を瞬くと、弟の背後に居た帝国の諜報員が肩をすくめた。

「いやはや。その鍵型を手に入れるのは、本当に一苦労でしたよ」
「ご協力痛みいります、トールズさん」
「本当にね。しかし、これは必要なものだ。今後、世界を動かす鍵となることでしょう」

 トールズの言っていることが何か、シルフィリアにはまだわからない。
 けれども、きっとまだ、できることがあるのだ。
 ジルクリフは、今もなお、レイファスのことを諦めていない。

「僕はさ。最後は、姉さんが決めるべきことだと思っているんだよね」
「ジル」
「レイファス殿下を許すのかどうか。そのために必要なものを、見て、聞いて、知っているのは、僕じゃなくて、姉さんだ。そうだろう?」

 それは、子どものころから見慣れた笑みだった。
 姉であるシルフィリアに難題を突き付ける、挑戦的な弟の笑顔。

 けれども、こんなときの弟の中には、いつだって答えがあるのだ。
 そして、シルフィリアはいつもその答えに納得してしまう。

 今回もおそらく、この出来がよすぎる弟は、シルフィリアに選ばせると聞こえがいいことを言いながら、自分の考えた最高の結末に、姉が頷くと信じているのだろう。

 そして、きっとそれは現実になる。

「だからね。最終決定者の姉さんに、僕の考えを聞いてほしいんだ。――あの大嘘つきな狼王子の、度肝を抜いてやろう」
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