亡国の奴隷姫と独裁国家の狼王子 ~処刑寸前に仇の王子の奴隷に落とされました~
国王ラザックと第四王子レイファスの戦いは、熾烈を極めた。
ラザックの戦い方は、敵に魔法を使うことを許さず、魔力による補助を禁じながら、自らの体躯によって相手を圧倒するというものだ。
獅子としての力を正面から使うのみでなく、獣としての柔軟さ、人としての戦略と技術を兼ね備えたその姿は、全盛期のものではないにもかかわらず、いまだ彼が獣人の頂点にあることを証明している。
戦いの化身たる黒の獅子王の力は、常に戦の最前線に居る若きレイファスをしてなお、苦しい戦いを強いるものであった。
「その程度か、小僧」
「老いさらばえたケダモノが、言ってくれる!」
「口ばかりでは、望みを手に入れることはできぬぞ!」
ラザックは巨大な協議机に爪を立て、それを魔力を込めた自身の腕で持ち上げ、レイファスのほうへと勢いよく投げつけた。
炎の狼は、その柔軟な体躯で床近くへと身をかがめ、降ってくる障害物を難なく避ける。
しかし、机で隠した視界の奥にラザックは隠れ潜んでいた。
背後でその机が壁に当たったことによる轟音が鳴り響くと同時に、目の前に現れた黒い獅子が右腕を薙ぐ。
炎の狼はかろうじてその殴打を避けるも、爪が頬を掠め、血で視界が塞がれた。
その瞬間を狙ったかのように、獅子の足が狼の腹を蹴り飛ばし、レイファスは机と同様に、壁に打たれ、血を吐いた。
「お前の年は二十一。今を持ってなお、足りぬか」
迫りくる黒い獅子に、レイファスは歯がみする。
先日、二番目の兄リチャードと獣の姿で争ったばかりだが、あの狐とは比べものにならないほど、目の前の黒い獅子は速い。
やり方も巧みで、いまだかつてないほどの高い壁を感じる。
十五歳のあのとき、レイファスを制した戦いで、ラザックは本気を出していなかったのだ。
そのことを知り、しかし引くことのできない深紅の狼は、牙を剥き、目の前の男を射殺さんと、青い瞳をぎらつかせる。
諦めないレイファスの瞳に、ラザックは嗤い、そして吠えた。漆黒の毛を逆立て、爪をむき出しにし、その全霊をもって、彼の最大の敵に襲い掛かかる。
一方で、レイファスは戦いの中、攻めあぐねていた。
己の牙で食らいつけば、逆に相手にも食らいつかれる。
その爪は届かず、自身の炎は、敵の消尽の炎によって消し去られてしまう。
けれども、ここで倒れるわけにはいかないのだ。
あと三人、屠らねばならない。
そのために、残りの三人に気づかれぬよう、緋色の一族の王子に、防音結界を張らせている。その結界も、膨大な魔力を要するものだ。
術者は芳醇な魔力を有した才気あふれる若き王子であるとはいえ、戦いを長引かせることもできない。
覚悟を決めたレイファスは、威嚇するように咆哮し、正面からラザックを迎え撃った。
その、なんの裏もない愚直なその行動に、ラザックは苛立ちを隠さずに叫ぶ。
「諦めたか、レイファス!」
ラザックは牙を剥きながら、レイファスに向かって再度右手を薙いだ。
レイファスはそれを避けた後、ラザックの懐に入り込む。
そして、牙を立てようと口を開いた瞬間、爪をとがらせた獅子の左腕が狼の腹を貫いた。
獣人をして致命傷であるその怪我に、ラザックが醒めた目をしたところで、レイファスは自らの腹を貫く腕を、両手で強く掴む。
腕を掴まれたラザックは、そこに油断があったことに気が付いた。
レイファスが諦め、自身の勝利で終わったのだという、一瞬の気の緩み。
その隙を突くようにして、狼はその牙を、あらん限りの力で獅子の首元に突き立てた。
それでも届かない。
レイファスの牙は、首という急所に食らいついたけれども、致命傷となる深さには至っていなかった。ラザックが、体に魔力を走らせ、筋肉に力を入れるがごとく、首元の肉を硬化させたからだ。
そのようになることは、レイファスもわかっていた。
だから、仕込みをした。
「レイファス、お前」
ぐらりと獅子の体が揺れ、レイファスが腕から手を離したことで、黒い獣は地に倒れ伏す。
同時に、深紅の狼も、床に崩れ落ちた。大量の赤がその場に舞ったのは、どちらの血によるものであったのか。
「小細工を」
血に伏せながらも黒い目を血走らせ、睨みつけてくるその姿に、狼は息も絶え絶えに嗤った。
レイファスの歯の一本に変じさせていた毒が、獅子の体を侵しているのだ。
歯の仕込みは、緋色の一族の王子にやらせた。
レイファスの奴隷姫も、奥歯に秘薬を変じさせていたのだから、その技を一族の王子が知っているだろうと考え、命じたのだ。毒は、致死毒となるものを選んだ。
必ず死をもたらし、しかし即効性はなく、解毒薬を飲む猶予が生じるもの。
「戦いに、このような小技を使うとは」
「それが私の戦い方です」
レイファスは懐から、亡国の王子から渡された解毒のための赤の丸薬を取り出し、それを口に含んだ。そして、それだけでなく、彼の奴隷姫から与えられていた血止めのための白い丸薬も併せて飲み込む。すると、毒の効果が消え去るだけでなく、腹の傷が白い光を放ちながら、みる間に元通りに塞がっていった。多少の血止めをし、あと少しだけ持てばいいと考えていたレイファスは、その効果に目を細める。
奴隷姫は、治癒の力をそのまま丸薬に籠めることはできないのだと言っていた。それは、創造主レグルスがかけた鍵によるもので、丸薬の形では、発動条件を満たすことができないのだという。それがわかった上でなお、治癒の力に目覚めた緋色の瞳の奴隷姫は、血止めの魔法に、治癒の力を載せながら、祈るようにしてその丸薬を造り、レイファスに渡した。
『その……あなたが使うなら、きっと鍵も解けるはずだから……持っていて』
この丸薬を渡してきた彼女は、計画のことは一切知らされていない。レイファスがそのように仕向けた。
けれども、何も知らない彼女の深い情が、彼女が与えてくれる全てが、いつだってレイファスをこうして支えている。
「人族に頼るとは、無粋なことを」
「私は人間です」
目を見開くラザックに、レイファスは真っすぐに向き合った。
こうして正面から話をするのは、いつぶりのことだろうか。戦のこと、政治のことで話はしてきたが、このように内実に踏み込んで話をするのは、十五歳のあの時以来のことであった。
「私達は獣人です。けれども、そこには獣の血だけではなく、人の血もまた流れているのです。一人を愛し、その人との時間を大切にするのは、人族だけの特権ではないはずだ」