今夜キミの温もりと。
子供はね、気持ちの制御ができないんだよ。これくらい許してよ。だって私のお母さんでしょ?
「はいはい。ごめんなさいね」
この言い方が逆に挑発みたいなものだったのかもしれない。
「なんもしてないくせに、何えばってんのよ!」
「はあ?えばってないんだけど?」
「自覚なしなの⁉︎なら、わかるまでこの家に帰ってこないで‼︎この家に住まないで‼︎」
「嫌だし」
「荷物まとめて、出なさい‼︎」
こんなに強く言われたのは初めてかもしれない。
実の親に家出をしろと言われていることに私は呆然とした。でも、ここで泣いてすがったりするのは、私の負けみたいで悔しいから本当に出ていこうと思う。別に私この家好きじゃないし。
「わかったよ。じゃあしばらく帰ってこないね」
それだけ言い残して私は部屋に入った。必要なものだけを大きなリュックに入れた。スマホ、財布、腕時計、水(ペットボトル)などをリュックに入れて、私は家を出た。家を出るときにお母さんが何かを言おうとしていたけれど、今は合わせる顔がないから無視して出て来た。
で、どこに行こう…。公園で寝る?やっぱり謝って家に帰る?
もういいや。
私は、どこに行くのかもわからないけれど、とにかく走った。走って走って走った。誰かから逃げるように。
「はぁ…っ、はあ…っ」
着いたのは、この地区で一番大きい『東北病院』の前に立っていた。なんでここに来たのかはわからない。昔、よく来ていたからかもしれない。目的はないけれど、近くにベンチがあるから、とりあえずそこに座った。
あー、お腹空いた…。スマホを取り出して、この近くに何があるのかを調べた。
プルルルル。プルルル。
その時、電話の音がなった。画面を見ると市川翔と書いてある。すぐに通話をボタンを押して、スマホを耳に当てた。
『もしもし?百合?』
翔の声が聞こえて、無性に泣きそうになった。
「うん、そうだよ」
『いや、なんかさ気まぐれで電話したんだけど、今何してる?』
家出して、家で嫌な思い出作ったのに、気まぐれで電話してくれてることに嬉しいって思ったり。辛いはずなのに翔が私のことを気にかけてくれてることを幸せに感じたり。私って、すぐに気持ちが振り回させるんだなぁ。
「なんにもしてないよ。っていうか、私、家出したんだ」
『は⁉︎家出?おまえじゃあ、今どこにいんだよ⁉︎』
軽い感じで言ってみたつもりなんだけれど、すごく焦ったような声が聞こえて私が戸惑った。
「東北病院の前」
『おまえ、マジでアホなの⁉︎東北病院なんて、百合の家から結構、遠いじゃねぇかよ!』
「なんかね、気がついたらここにいたんだよねー。何やってんだろうね、私ったら」
わざと明るく言ってみたけれど、心が潰れそうなぐらい不安だし、怖いし泣きたかった。
『おまえさ…』
「大丈夫。もう、帰るって。そんな焦ったような声出さないでよ。それに私が家にいなくても別に何ともないだろうしさ。ゆっくり帰るから大丈夫。心配しないで」
翔が何かを言いかけたのを遮って、私は言葉を発した。
今言った言葉の五割は、嘘だ。大丈夫じゃないし、帰る気もない。それに、本当は心配してほしい。でも、何事もなかったように私は電話を切ろうとした。それを察したのか翔が、
『おい待て!おまえ、絶対帰る気ねぇだろ‼︎それに、心配しないわけにもいかねぇんだよ』
鼓膜が破れそうになるほどの大声でそう言ってきた。
今日、初めて翔にイライラした。
そりゃあ、心配してほしいよ?
でもね、今はほっといてほしい。…翔は、私が帰るって言ってんのに、私が言っていること信じないんだね。
「…うるさい」
出た。私のお決まりの口癖。この言い方でみんなをイラつかせてるのはわかってる。わかっているのにやめられないのは、何でだろう。
『は…?』
こんなに翔の冷めた声を聞いたのは初めてかもしれない。
…どうせ翔だって、怒って口を聞いてくれなくなるんだ。結局、お母さんや優馬とかと一緒。誰も信用できないんだよね、怖くて。信用したら裏切られる。それが普通。
『ごめんな…』
と翔の声が聞こえて私はびっくりして、どこかに吹っ飛びそうになった。
何で謝るの?
翔は何一つ悪くないのに。こっちが全部悪いのに。私に怒って口を聞いてくれなくなるはずなのに。…なのに、何で翔は謝ってくれるんだろう。
「なんで謝ってくれるの…」
『本当にごめんな、ここまで不安になるくらい追い詰められてるのに気がつけなくて』
「翔は悪くないでしょ…」
『いや、助けられたはずなのに、何にもできなかった。ごめん』
そんなこと、翔が反省することじゃない。それに、もう十分助けられたよ。
「やめて、謝らないでよ。余計辛くなるじゃん」
『ごめん…じゃなくて…。ああ、なんて言えばいいのかわかんねぇ…』
ごめん、ごめんなさい。ごめんはこっちのセリフ。
本気で色々考えている翔に切なくなった。私のせいで、翔も追い込まれてる。
「もう、いいって。辛くなるからやめてって言ってんじゃん」
この言葉、気を遣って言った言葉だったけれど…。この時は知らなかった。この言葉が一生懸命考えている、私のことを考えてくれている翔に何よりも辛い言葉だったかもしれないってことを。
『……。今…、病院の前にいんだよな?俺、近くにいるからそこに行く。ちょっと待ってろよ‼︎』
その言い方はすごく心強くしてくれるもので安心した。
東北病院の前に立って待っていると、自然と翔のことを探していた。
……そして、数秒後に驚くほどの速さで翔は現れた。
「百合…っ!はぁ…っ、はあ…」
近くにいるって言っても速すぎない?と思ったけれど、走って来てくれた翔に心の底から感謝を言った。
「来てくれてありがとう…」
「はあ…っ、はあ…。ははっ、来るの早いだろ?」
そう言って翔はニッと笑った。
でも、あまりにも息づかいが荒いので、走ってくれたんだなってわかった。
でも、翔が驚くほどの速さで来た理由を私は知っている。なぜなら、翔が東北病院から出てきたのを見てしまったから。
まさか…、病気…なわけないよね?
怪我、でもしたのかな…。でも、それについては聞いちゃいけない気がして何も聞けなかった。
「早すぎるくらい早いよ…」
「はあ…っ、なぁ、来る時な考えたんだけどもう謝るのやめた。俺はなー、これからもずっと百合といようかなって思ってる」
「何言ってるの、当たり前じゃん。この前約束したばかりだもん」
「そうだな。ずっと一緒にいられるといいなー」
翔の言った言葉に少し違和感を感じた。
いられるといいなって、いられるかわからないってこと?どういうこと?
最近よく、翔の言葉に違和感を感じることがある。
なんでだろうと思いながらも普通に会話を進める。
「いられるに決まってるよ」
「ああ、そうだよな。てかさ、おまえ家出って言っても、どこに住むんだよ?」
「それがわからないんだよね。翔は、家出に反対しないの?」
「反対ねぇ。しねぇよ。さっきまで反対していたけれど、俺も家出したことあるし別に悪りぃことじゃねぇなって思った」
「翔もあるんだね、家出」
翔が家出なんて意外だった。翔は、慎面目でなんでもできるイメージだったから。
「そりゃあ、あるよ。…で、住む場所ねぇのに生きていけんのか?」
「あ……」
「考えてなかったのかよ」
「まーね」
「自慢気に言うな、ばか」
あー、やば。考えてなかったな…。住む場所がなかったら生きられなのにな。あーあ、意外とめんどくさいんだ、家出って。
「えー、マジでどうしよー」

「俺の家に泊まればって言いたいところだけれど…、さずかにちょっと色々あって無理だから、彩の家とかに泊まればいいんじゃね?彩に俺から連絡しとくよ」
「え、彩⁉︎」
さすがにさ…、合わせる顔がないって。
それに、いきなり私が彩の家に住んだら変でしょ。他にも私、彩の連絡先知っているけれど…、最近全然連絡してないから探すのめっちゃ大変だし…。翔が連絡するって言ってもそこはやっぱり、ちゃんと私がしないと礼儀というものがなってない気がする…。ぐるぐるいろんなことを考えていると翔の呑気な声が聞こえた。
「ははっ、いいだろ?サマースクールまでに一回は会っといた方がいいだろうし、な?」
何言ってんの…。ほんと、気楽でいいよね。翔なんか一つも困っていることとか、辛いこととかなさそうだし。
「いや、それはそうだけど…」
プルルルル。プルルルル。
私が言いかけたところで電話の音が鳴った。横にいた翔の電話だ。翔は、すぐに耳元にスマホを当てて話しはじめた。誰と電話をしているのかもわからない私は、ただじっと横で見ているだけしかできない。
「もしもし、あ、急にごめん。あのさ、今家にいんの?」
『うん、いるよ。どうしたの?』
相手の声が微かに聞こえて、もしかしてと思った。
「悪りぃんだけどよぉ、百合がさ家出したんだよ。彩の家に住ませてやってくれね?」
翔の言葉を聞いた瞬間、電話相手が誰かすぐにわかった。私の予想通り、彩だ。
マジで何してんの⁉︎と今すぐにでも翔に言いたいくらいだけれど、電話をしている翔があまりに慎剣な表情だったから、私のためにやってくれているだなと思ったら何にも言えなかった。
『え、百合⁉︎元気なの⁉︎家出⁉︎嘘でしょ⁉︎びっくりして、死にそうなんだけど。あ、もちろん住んでいいけど!てか、私の家に来なさいって感じ。今どこにいるの?そばに百合いる⁉︎』
「東北病院の前にいる。百合なら、隣にいる」
『はぁ⁉︎だったら早く声、聴かせてよ!』
「だってよ」
そう言って、翔がスマホを渡して来た。だってよって言われても、何話せばいいかわからないよ…。
そんな私の心を読んだのか、翔がニッと笑って頭に手を乗せて来た。そして、私の好きなあの低くてなのにすごく甘い優しい声で、
「大丈夫だろ」
と呟いて来た。
その言葉は変にプレッシャーをかけず、でも質問形の『大丈夫だろ?』でもない。……それがとても心地よいんだ。
そうだよね、昔までよく話してた人だもん。勇気を振り絞って私は、翔からスマホを受け取った。
『もしもし⁉︎百合⁉︎』
バカでかい彩の声。その声が微かに震えていたのは気のせいだろうか。
「……う、ん」
『いろいろ言いたいことはあるけれど、とりあえず家、おいで。いっぱい話したいことあるし』
「い、いの…?」
『当たり前じゃん。私達、親友でしょ』
親友かぁ…。嬉しいな。
今なら素直にそう言える気がした。彩の一言に私はどれだけ嬉しかったか、救われたか今すぐにでも彩に言いたい。でも、それは電話越しに言うことじゃない。なら、直接会うしかないな。彩がいいって言ってるし、彩の家に泊まってもいいかもしれない…。
「彩…、ありがとう…」
『久しぶりに百合に名前、呼ばれたなぁ…。…はぁ…、…相変わらずだなぁ…、百合は。…ずっと待ってるからいつでも来ていいわよ』
ちょっと呆れたような掠れた声に私は涙が溢れそうになった。
「…翔に代わる、ね…」
本当にありがとう。もう一度心の中でそう呟いて翔にスマホを返す。
そして、しばらくして翔も話が終わったみたいで私に声をかけて来た。
「どうする?もう行くか?彩の家」
「どうしようかな…」
「とりあえず、メールしながら歩こうぜ」
「でも…」
私が言いかけたのを否定するように、
「でもはいいから。連絡してみろよ」
と翔は言った。
私は何を言っても今のこいつには届かないか。と半分呆れつつスマホを開いた。
彩。伊野上彩。い…、いの…いのうえ。しばらく探していくと意外とすぐに彩の連絡先は見つかった。
「あった…!あったよ…!」
ちょっと興奮気味の私に翔は、
「…よかったな」
と言った。
……やっぱりこの声好きだな。
この時、初めて翔が私よりお兄さんに感じた。いつもふざけていて、子供みたいな感じで思っていたけれど…、翔もこんな顔をするんだなって思った。
でも、その顔がその表情がすごく切なそうな感じで翔がどこかに行っちゃいそうな、私から離れて行くような気がして怖かった。この気持ち、この前もあった。私が会わないうちに変わっただけかもしれないけれど…、最近ずっと翔が不安そうな顔をしている。
私は翔の目をしっかり見て言葉を発した。
「うん…!私、行ってくる!彩の家‼︎」
「俺も一緒に行かなくても大丈夫か?」
「大丈夫。ありがとね。また連絡するから」
私がそう言うと翔は微笑みながら、
「いってら」
と言った。
私はただ前を見て歩きはじめた。本当はついて来てほしいけれど、ここを頑張らないと。翔の最後の『いってら』がすごく私の背中を押してくれた。でも、後ろを振り向いたら翔に甘えちゃいそうだから、ただただ前を見た。
でも、少しだけ見えてしまった。翔が東北病院に入って行く姿を。翔のこと心配だけれど、今は自分の心配もしないと…。
でも…っ。
ごめん…、翔。
やっぱり不安で後ろを振り向いた。翔は気がついていなくて、どんどん遠くへと歩いて行った。
翔…っ、翔っ!
声が出ない…!
ためらっているのだろうか。翔に声をかけることを。
翔っ!翔…‼︎
「しょう……っ‼︎しょーうー‼︎翔‼︎」
「‼︎」
やっと出た私の声に翔がびっくりしたような顔で振り返った。……でも、あの顔は少し焦っているようにも見えた。
「ごめーん‼︎」
なるべく大きな声を出さないと届かないと思って、自分なりの最大の声を出した。夕方の四時半過ぎ。周りから見たらただの迷惑。翔はただ黙ってこちらを見た。
でも!
私には伝えたいことがある‼︎
「応援…っ、して、て欲しい……っ‼︎」
こんな掠れた声で届いたかなんてわからないけど、とにかく聞いて欲しい。
私、不安でたまらないの。
だけどさ、もう助けてなんて言えないでしょ?
これ以上、甘えてられないでしょ?
だから、せめて応援、ぐらいはして欲しいなって思った。なんて、ただのわがままかな。ごめん、ごめんね。こんなにも欲張りで。翔にも困っていることがあるかもしれないのに、自分勝手で。
しばらく翔の表情が変わらなくて、怖かったけれど数秒後に翔の表情は変わった。
ふわっと笑って、あの呆れたような、悲しいような切ないような顔をして、
「ばーか」 
と言った。
この町の全体を埋め尽くすような、馬鹿でかい声で。だけど、叫んでいる感じではなく、落ち着いた声だった。
そして、くるりと体の向きを変えると翔は、スタスタと歩いていってしまった。
『ばーか』
もう一度、頭の中で再生する。応援してて欲しいっていう、お願いに対してどういう答えかはわからないけど、私を肯定してくれてる気がした。
どうしようもなく翔が愛おしく感じる。………え、もしかして、私、翔のこと好きなの…?なんて、思ってしまう。
…さすがにそれはないか。でも、この前まで優馬が好きだったのに、もう気が変わっちゃいそうだ。それも全部、翔だからなんだけど。
意地悪なのに、とても優しい君に私、恋をしてしまいそうだよ。
今は恋愛で翔を見ていないけれど、いつかはそんなふうに、翔を見る日が来る気がした。でも、私が翔を好きになったら今までの関係が壊れちゃうよね。…私は、ずっと友達として翔といたい。
って、私何考えてるんだろ。翔がせっかく背中を押してくれたのに、無駄にするわけにはいかない。
頑張ろっかな。
………頑張ろう。
久しぶりに開いた彩とのメール。私は、彩に向けての最初の一言目を打ちはじめた。すごく、ものすごく、なんて送るか迷ったけれど…あれしかないと思って思い切って送信ボタンを押した。





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