ミルクティーの音色
「名前で呼んでんじゃん、あれほど俺に言ってきたくせに」

「今のはそっちが悪い」

「はぁ?」


合図もなにもなしに、ふたりで同時に鍵盤に指を置く。
なにも言っていないのに動きが揃うと、呼吸のタイミングが一緒になったようで嬉しくなる。


そうしてまた、旋律を奏で始める。


ひとりでピアノを弾くときは、すべてを忘れ去るための作業でしかなかった。
なにかが得られることもなく、反対になにかを失うこともない。


自分を単純化していく、意味の無い作業───。


香音と弾くピアノは、違う。
幾重にも重なり合う音色(おんしょく)を通じて、心までも繋がっているような感覚がする。
いつまでも埋まらないと思っていた心の穴が、みるみる埋まっていくような感覚がする。


───楽しい。


なんの屈託もなく、心からそう思った。





心ゆくまで連弾を楽しんだ頃、下校時刻を告げるチャイムが鳴った。
名残惜しいが、学校の規則を破るほど劣等生になる気は無い。


───生徒に手を出してる時点で、アウトかもしれないけど。
< 143 / 214 >

この作品をシェア

pagetop