駄菓子屋さんパレット
駄菓子屋さんパレット

 プロローグ

「ねえねえ、たけちゃんは部活何にするか決めた? 私は、まだなんだけど」
「うちもまだや。いっぱいありすぎて迷っとんよ。中学の部活ってこんなに種類がたくさんあるやなんて思わんかった。けどもう入学してから一週間以上経ったし、そろそろ候補絞っていかんとな」
 四月の半ば。やわらかい春の日差しがポカポカと照りつける、ある日の午後遅く。下校途中の安福果歩と武貞竹乃が楽しそうにおしゃべりしながら歩いていた。
 神戸市内にある、文教地区の一角を。
「今まで聞いたこともないユニークな部活もいっぱいあったね。唱歌部とか、ハーブ研究会とか、ルービックキューブ同好会とか。せっかくだから、そういう感じのやつに入ってみようかな」
「新興クラブも多いらしいな。それならうちらで新しい部活を作るってのもいいかも」
 たわいない果歩と竹乃の会話が弾む。初々しさいっぱいのこの二人は大の仲良し。同じ私立の女子中高一貫校に通っていて、クラスもまた同じ。けれども背丈は全然違う。竹乃の方が、果歩よりも二五センチくらい高いのだ。
 校庭をピンクに彩っていたサクラの木々もすっかり葉ザクラへと変わり、新緑の季節の訪れを感じさせていた。
 
 時刻はまもなく午後五時を迎えようという頃。二人は小さな川に架かってある歩道橋の上へと差し掛かる。
「あーっ! たけちゃん、あそこ見て! イノちゃんがいるよ」
 果歩は嬉しそうに大声で叫び、欄干から水のほとんどない川床を見下ろした。彼女の丸っこいお顔が思わず綻ぶ。えくぼも浮かんだ。
「わぁーっ、ほんまにおるんやね、神戸でもこの辺まで来ると。いち、にー、さん……四頭もおる。親子連れやな」
 竹乃も見下ろしてみる。
 イノちゃんとは〝イノシシ〟の愛称だ。
 二人の通っている学校は山がすぐ側に迫っており、付近ではイノシシの姿が目撃されることも珍しくはない。学校周辺の上り坂もけっこうきついのだ。
「たけちゃん、イノちゃんって、大人になったのは大きくてすごく怖いけど、生まれたてのウリ坊ちゃんの方はとってもかわいいよね?」
「うん。あの縞模様とか触ってなでたいよなぁっ、イノちゃんたち、こっちに気づいたみたいやで」
 イノシシたちはお顔をクイッと上に向け、二人を見つめてきた。
「たけちゃん、ウリ坊ちゃんさっき私と目があったよ。ほんとかわいいーっ。そうだ! なんか食べ物を欲しがってるみたいだし、お弁当の残りイノちゃんにあげよう」
 果歩は通学カバンのチャックを開けようとした。
「あっ、ちょっと待ち果歩。エサはやったらあかんみたいやで。あそこ見てみい」
「何かあるの?」
 果歩は、竹乃が指し示した所に目を向けてみる。
「えーっ、そんなー」
 その正体が分かった途端、果歩は嘆きの声を上げた。
 そこには、かわいらしいイノシシのイラストと共に《危険 イノシシに注意。エサを与えないで下さい》と赤いペンキで書かれた看板が掛けられてあったのだ。
「うちも、あの子たちにエサ、めっちゃあげたいねんけどな」
 竹乃も残念そうにイノシシたちを見つめる。
 神戸市の一部区域では、このようにイノシシに餌付けをしたり、その他にもエサとなるようなゴミを捨てたりすることを禁ずる『イノシシ条例』というものが制定されている。
「ばいばい、イノちゃん。また会おうね」
「イノちゃん、またな」
 しばらく眺めたあと、二人は別れを惜しむようにイノシシたちに手を振り、学校最寄りのバス停まで歩き進んだ。
 竹乃は時刻表を眺め、スマホの時計を見る。
「あと五分くらいでバス来るな。なぁ果歩、ちょっとうちんち寄っててや。今日数学の宿題ようさん出されたやろ? 一緒にやったら捗るんやないかなって思って」
「それはグッドアイディアだね、たけちゃん」
 学校から竹乃のおウチまでの所要時間は徒歩+バスを利用して計約二十分。私立に通っている子としてはわりと近い方だ。
 
「ただいまーっ」
 帰り着くと竹乃は玄関引戸をガラガラッと引いた。
「おばちゃん、こんばんは」
 あとに入った果歩がきちんと戸を閉める。
「おかえり竹乃、果歩ちゃんもいらっしゃい」
 奥の台所から、竹乃の母親である松恵が竹製のスリッパを履いてやって来た。そして爽やかな笑顔でお出迎え。
 竹乃のおウチは、外観も内観も和風な造りで、大正時代初期に建てられた。現在に至るまで何度も修築がなされているものの、その姿は百年ほど経った今でも建てられた当時のままほとんど変わっていないそうだ。
「果歩ちゃん、どれでもお好きなのを選んでね」
「おばちゃん、いつもタダでいただいちゃってすいません」
 松恵お母さんは駄菓子屋さんを営んでいる。離れに建てられてある、広さ六畳ほどの小さな小屋に店舗が構えられており、入口の上側に『武貞駄菓子店』と右横書きされた看板が掲げられていた。営業時間は朝九時から夕方五時まで。すでに閉店時間は過ぎていたが、果歩は馴染みのお客さんということもあり特別にお店へ入れてもらった。
 果歩は申し訳なさそうにしながらも、商品棚から取り出した駄菓子の数々を両手いっぱいにかかえて松恵お母さんといっしょに玄関へ戻ってきた。
「果歩ちゃん、どうぞごゆっくりしていってね」
「はい。おじゃましまーっす」
 果歩と竹乃はきちんと靴を揃えて廊下に上がり、側面に戸棚や抽斗の付いた、小物入れとしても使われている昔ながらの箱階段をトントン上って二階にある竹乃のお部屋へ。ここももちろん和室となっており、広さは八畳ほどある。
「ほら、メロンパンスケ。エサやるで」
 メロンパンスケとは、竹乃に飼われているペットの〝ニホンイシガメ〟のお名前。竹乃が小学三年生の頃に、夏休みの自由研究のため近くの川でこの子を見つけて以来七年近く、武貞家の一員としてのんびりと暮らしている。
 竹乃は違い棚に置かれてあったガラスケースのふたを外し、小さなトンカチで細かく砕いた〝べっこう飴〟を陸場として設けた砂利の上に置いた。
 するとメロンパンスケは待ってましたとばかりにすぐさま水の中から上がってきて、べっこう飴に食らいついてくるのだ。
「かわいいなぁ、メロンパンスケくん。癒し系ペットだね」
 果歩は、べっこう飴を美味しそうにパクパク食べているメロンパンスケの姿を、ガラス越しに楽しそうに観察していた。
 ニホンイシガメは雑食性。けれどもこの駄菓子を好んで食べるのは、この子くらいのものだろう。
「果歩、そろそろ宿題やろう」
「そうだね。メロンパンスケくんに見惚れすぎちゃったよ」
 ちょうどメロンパンスケも体を甲羅にしまってお休みタイムを取り始めた。
 二人はカバンの中から筆記用具、中学一年生用の真新しい数学の教科書、そして課題プリントを取り出し座卓に広げた。竹乃は普段から座卓を学習机代わりに使っている。
 お互い向かい合って座り、シャーペンを右手に持ち、さっそく宿題に取り掛かり始めた。
 ところが、
「……分数と小数の計算、苦手やー」
「私も同じだよ。ていうか私とたけちゃん、小学一年生の足し算引き算の頃から躓いてたよね?」
「確かに。二桁になった途端、出来んなったよな」
 二人とも数学は大の苦手。駄菓子を食べながらやっていることも相まって、ペンはますます進まない。
 それから、三〇分あまりが経った。
「たけちゃん、私、まだ半分も終わってないよ。しかも答が合ってるかどうかも分からないし」
「うちも同じくらいや。飽きてきたな」
「もうお外真っ暗だし。続きはおウチに帰ってやるね」
 果歩は窓の外をちらりと眺め、勉強道具を片付けて帰り支度をした。そして玄関へ。
「それではもう遅いので、今日はこれでお暇します。ばいばい、たけちゃん、おばちゃん」
「ばいばい果歩、また明日なーっ」
「果歩ちゃん。これ、お土産のイヨカンよ。昨日愛媛の親戚からたくさん届いたの。甘くてとっても美味しいわよ」
 松恵お母さんは果歩に、網袋に二十個ほど詰められたイヨカンを手渡した。
「わーい。おばちゃんありがとう。私、ミカン大好きーっ」
 果歩は左肩に通学カバンをかけ、右手に網袋を持って嬉しそうに小走りで自分のおウチへ帰っていった。
 果歩のおウチは竹乃のおウチの三軒隣、歩いても一分とかからない。すぐ近所ということもあって、二人は物心つく前からの幼馴染同士なのだ。
「お母さんただいまーっ」
「おかえり、かほ」
 果歩の母親、夏美がお出迎え。
「お母さん、たけちゃんのおばちゃんからイヨカンもらったよ」
「良かったわね。あとでお返ししとかなくちゃ。お夕飯出来てるわよ。今夜は果歩の大好物、ハンバーグよ」
「わーい」
 果歩はお母さんから夕飯のメニューを聞かされると、玄関から急ぎ足でキッチンへ向かい、テーブルの上に目を向けた。
「すごく美味しそう。ありがとうお母さん」
 洗面所で手洗いうがいを済ませてきて、イスに座った。
「いただきまーっす」
 そしてデミグラスソースのたっぷりかかったハンバーグをナイフで小さく切り、フォークを使ってお口に運ぶ。
「かほ、美味しい?」
「うん。また腕を上げたね。お母さんのお料理は世界一だよ」
「まあ、かほったら、照れるわ。こうすればピーマンも食べてくれるもんね」
「えっ!? 入ってたの? 全然気づかなかったよ」
 中学生になった今でも苦い野菜が大嫌いな果歩へ、夏美お母さんからの優しい気遣いだ。
 果歩は夕食を済ませたあと、九時頃までテレビ番組を見て、それからお風呂に入るのが小学五年生頃からのいつもの日課。
 シャンプー、洗面器、バスタオル、セッケンに加えて〝シャンプーハット〟も果歩のお風呂セットの一つだ。
「ああ、今日もすごく楽しい一日だったなぁ」
 少しぬるめの湯船につかり、ゆったりくつろぐ。お風呂から上がってパジャマにお着替えたら、次は歯磨きタイム。歯磨き粉は、ストロベリー味が彼女一番のお気に入り。
「お母さん、おやすみなさーい」
「おやすみ。明日の朝は少し冷え込むみたいだから、風邪引かないようにお布団しっかりかけて寝るのよ」
「はーい」
 果歩はドライヤーで髪の毛を乾かしたあと、夏美お母さんに就寝前の挨拶をして、二階にある自分のお部屋へ。
 午後十時。果歩は、いつもこの時間には床につく。彼女のお部屋には、女の子らしくかわいいぬいぐるみが部屋一面にいっぱい飾られている。その中でも特にお気に入りの、夏美お母さんに海遊館で買ってもらったジンベイザメのジャンボぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、ベッドにゴロンと寝転がりお布団に潜り込んだ。

 第一話 新しい部活を作ろう♪

 翌朝。時刻はまもなく七時二〇分になろうという頃、果歩のおウチのインターホンが鳴らされた。
「はーい」
 夏美お母さんが玄関へ向かい、扉を開ける。
「おばさん、おはようございます」
 訪れてきたのは、竹乃であった。
「おはよう竹乃さん。あ、そうだわ。昨日のお礼、渡しとかなくちゃ」
 夏美お母さんは一旦キッチンへ向かい再び玄関に戻ってきて、竹乃に夕張メロンを一玉手渡す。
「わー、すごい! こんな高級なもの、いただいちゃってよろしいんでしょうか?」
「もちろんよ。まっちゃんや竹乃さんにはいつもお世話になってるからね」
 夏美お母さんは爽やかな笑顔で答える。
「ありがとうございます。ところで、果歩はやっぱり……」
「そうなのよ。かほったら、今日もまだ起きてないのよ。竹乃さん、今日もよろしくね」
 夏美お母さんはやや困った表情を浮かべながら言い、竹乃を果歩のお部屋へ上がりこませた。
「おっはよう果歩。今日も起こしに来たよ」
「かほ、早く起きなさい。竹乃さんもう来たわよ」
 七時ちょうどにセットされていた目覚まし時計のアラームが、まだ鳴り響いていた。
 夏美お母さんはアラームを止め、果歩の頬を軽くペチペチ叩き、気持ちよさそうに眠っていた果歩を起こす。
「んんーっ」
 果歩は布団の中から手をにゅっと出し、夏美お母さんの手をパシッと払いのけた。
「もう、かほ! 竹乃さんちの亀さんじゃないんだから」
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