ストロベリー・スモーキー
10
四度目の春。年明けからはもうすでに、一般企業への就職活動が始まっている。今まで遊んできた四年生も、大半は頭を黒く染め直しており、就活に勤しむ紗良もすっかり黒髪が板についてきていた。
最初は、「黒染めしたのなんて何年ぶりだっけー! 自分じゃないみたいで超ウケるんだけど!」と、テンションは高いがやや照れ臭そうに。
そう。自分ではないのだ。何十社も面接をする中で、この仕事をしたい、この会社に人生を捧げて生きていくとのだ、とでも言わんばかりの口上を宣い、翌週にはまた別の会社で同じ様な文句を垂れる。
しかし肚の底では、給料や休みといった待遇のことばかり。若しくは大手の企業の名前に、ブランドに惹かれているだけ。
そう。皆、自分を偽って、就職活動という奇妙な競争に身を投じているのだ。まぁ、全員が全員そうではなく、きちんと信念を持って臨んでいる人もいるのだろうが……。
優一は相変わらずチリチリ頭。「おれは地元帰って公務員になるけぇ、まだええんじゃ」ということらしい。
六月末に市役所の筆記試験があるから、どうやらそれに挑戦するらしい。おれ達に隠れてこっそり勉強してきていたいうのだから、何とも姑息な奴だ。公務員にあるまじき。
周りの就活組と比べるとやや遅れてだが、春からは由希子も髪を黒く染め直していた。教員採用試験は七月だが、その前に教職課程最大のイベントでもある教育実習が六月に控えている。年度も切り替わったこのタイミングで、キリよく準備をしておこうとのことだ。
人によっては、人生を懸けると言っても過言では無い様な試験と実習が、もう目の前にまで迫って来ている。そんな大事なイベントなのに、もう少し期間を空けて実施する訳にはいかないのだろうか。
バタバタと実習の準備をして、いざ実習が始まっても多分慌ただしいことであろう。それが終わるとすぐに採用試験。
高校の免許だけ取得する者なら二週間の実習ですむからまだ良い。中学の免許を取得するとなると、一カ月も実習に出向かないといけないのだから、現役で受験する者に対して、何とも心遣いの無い日程の組み方である。
まぁその過密なスケジュールが分かっているから、一年以上もの時間をかけて、早めに準備をしている者が大多数であり、むしろそれが当たり前だと言われたらぐうの音も出ないのだが。
少数派のおれがそんな不満を募らせているうちに、あっという間に六月。おれも由希子も教育実習へと、しばし学校を留守にすることに。
「いつもみたいにムスッとしてないで、生徒にも先生達にもちゃんと笑顔で挨拶するんだよ」
「実習に雪駄で行っちゃ駄目だよ」
「タバコも我慢するんだよ」
「気に入らない事があってもちゃんと、はい、って話を聞くんだよ」
「もちろん生徒相手にもだよ。「てめぇ!」とか言わずに、言葉遣いに気をつけるんだよ」
しばらく静かだった由希子が実習前日に、久々にくどくどと小言を。おれを何だと思っていやがるのか。
そもそも、由希子自身も実習に行くのだから、おれのことなど放っておいて自分の心配をしていれば良いのに。全く。
そして肝心の教育実習はと言うとまぁ、何というか、思ったより呆気なく終わってしまった。
漫画の様に、実習生に絡んで来る不良少年を締め上げ更生させる様な事も、女子生徒からキャーキャーと騒がれる事も無いまま、普通に授業をして、普通に生徒達とお話をしただけで一カ月が終わってしまった。
幸い、由希子や優一達と話している時の様に、あまり気負わず生徒達と関わる事ができたおかげで、割とのびのびと過ごすことが出来た様には思える。
「せんせーってさー、最初すごい絡みづらかったよねー」
「あ? 何でだよ」
「それそれー! その感じ!」
「普段からムスッとしてるくせにさー、さらに眉間に皺寄せて、あぁ? みたいなー」
「うるせぇよ。初対面は誰だって緊張すんだろ」
「その雰囲気で緊張とか、無い無い!」
「ってかその喋り方も。全然先生らしくないから」
「じゃあお前らの言う先生らしいって何だよ」
「もっとこう……真面目そうでシャキッとして……」
「わざわざおれみたいなの捕まえてくっちゃべってねぇでよ、お前の言うその、先生らしい先生んとこ行ってくりゃあ良いじゃねぇか」
「そんな人と喋ってても面白くないでしょ」
「馬鹿だねぇ、お前らは。多少つまんなくったってさ、真面目でシャキッとしてる人の方が、社会人としては正解だろ」
「じゃあせんせーは不正解ってことね」
「おれはまだ学生だから良いんだよ」
「ホント、ああ言えばこう言う」
「こんな人が教師になるとかウケるんだけど」
近頃の高校生ときたら小生意気でしょうがなかった。
実習担当のホームルームに顔を出し、時折授業を覗いて、空き時間には自分の授業の段取りをし、休み時間にはああして生徒達とお喋りをして……。
二週目辺りからはお試しで少しずつ授業を任される様になり、三週目の終わりには研究授業。校長をはじめとした他の先生達も、おれの授業っぷりを観察しに来た。
その後色んな先生達から講評をもらって、それらを糧に、残りの週も授業を行い終了。こう言っては何だが、可もなく不可もなくといった実習であった。
まぁ、させている方もこの期間は、実際に教師の目線で現場に立たせて、練習をさせてみようか程度のものだと割り切っているのだろう。
授業を効率良く運営していくにしても、何かしらの指導をしていくにしても、結局は生徒との関係性と、経験し、そこから培った技術がものを言うのだろうから。少なくともおれには、そんなものは一ヶ月では積み上げきれない。
ある意味で、そこまで安い商売ではないのだと、改めて感じた気になった。
教育実習を終えたその夜、由希子からメールが届いた。
「実習終わったー。竜也くんもお疲れ様。どうだった? また明日学校でね」
割と淡白なメールだったくせに、その翌日に学校で顔を合わせるや否や由希子は、
「ちゃんと生徒にも先生達にもちゃんと笑顔で挨拶した?」
「雪駄じゃなくてちゃんと靴履いて行った?」
「隠れてタバコ吸ったりなんかしてないよね?」
「生徒相手に暴言吐いたりしてない?」
と、うだうだと。もう、実習担当の先生より、何なら由希子の方が厳しく口うるさいと思ってしまう。
仮に由希子の心配が当たってしまっていたとしても、こう無事に全て終えて帰ってきているのだから、もうそれで良いではないか。全く。
実習から帰ってきて、優一の頭が小ざっぱりしていたのには心底目を疑った。短く刈り上げ端正に整えられた髪型をしたこいつは、トレードマークを失ったばかりか、もはや別人へと変貌してしまっている。
おれや由希子が教育実習に行っていたこの期間に、優一の奴は地元に帰り、公務員試験を受けてきた様だ。自己採点と、面接の際の雰囲気がすこぶる良かったのか、「筆記はバッチリじゃ。それに、第一印象も申し分無いしの」と、妙に鼻高々である。
筆記はさておき、おれからすれば、どれだけ見た目が変わろうとも、こんなに胡散臭い奴はいないというのに。つまりあれか。初対面の人に対して、自分を偽り、良い人間に見せるのが上手な奴程、就職活動は有利に働くということなのだなきっと。
優一の場合、良く見せることができているのかは分からない。結局おれの目の前にいるのは、ただ髪が短くなった優一が偉そうにしているだけだから。
一次試験に通っていれば、月末にはまた論文と面接の試験があるらしい。それまでに奴の剛毛が、またチリチリにならないことを祈るのみである。いやむしろ、チリチリになっていた方がおれとしては面白い。
かく言うおれも、あと一週間程で採用試験。優一の奴の髪型を気にしている暇なんざ、正直言って今は無いのだ。
残された時間の少なさを考えると、焦りや気負いが全く無い訳ではないというのが本音である。おれ自身、試験を目前にしてそんな感覚になるとは、思ってもいなかった。
それはこの約一年程、地道に積み上げてきたからこそのものなのか。或いはその積み上げが、まだまだ不十分だからなのか。
しかし結局今日も明日も、採用試験当日までやることは変わらない。お天道さんが昇ったら学校へ行き、由希子と朝挨拶を交わすと、二人向かい合って、夕暮れまで食堂の机にかじりついた。
そして所々合間には、並んで広場の芝生に腰掛け一息つく。レモンティーのすっきりとした甘さで、熱くなった頭をほんの少しだけリフレッシュさせる。口の中がベタベタしてしょうがないだろうに、ミルクティーなんざ飲むやつの気が知れない。
学校の敷地内でも、いたるところでセミが鳴き始めていて、ひと月見ないうちに、広場の芝も一層青く目に映る気がする。
最初は、「黒染めしたのなんて何年ぶりだっけー! 自分じゃないみたいで超ウケるんだけど!」と、テンションは高いがやや照れ臭そうに。
そう。自分ではないのだ。何十社も面接をする中で、この仕事をしたい、この会社に人生を捧げて生きていくとのだ、とでも言わんばかりの口上を宣い、翌週にはまた別の会社で同じ様な文句を垂れる。
しかし肚の底では、給料や休みといった待遇のことばかり。若しくは大手の企業の名前に、ブランドに惹かれているだけ。
そう。皆、自分を偽って、就職活動という奇妙な競争に身を投じているのだ。まぁ、全員が全員そうではなく、きちんと信念を持って臨んでいる人もいるのだろうが……。
優一は相変わらずチリチリ頭。「おれは地元帰って公務員になるけぇ、まだええんじゃ」ということらしい。
六月末に市役所の筆記試験があるから、どうやらそれに挑戦するらしい。おれ達に隠れてこっそり勉強してきていたいうのだから、何とも姑息な奴だ。公務員にあるまじき。
周りの就活組と比べるとやや遅れてだが、春からは由希子も髪を黒く染め直していた。教員採用試験は七月だが、その前に教職課程最大のイベントでもある教育実習が六月に控えている。年度も切り替わったこのタイミングで、キリよく準備をしておこうとのことだ。
人によっては、人生を懸けると言っても過言では無い様な試験と実習が、もう目の前にまで迫って来ている。そんな大事なイベントなのに、もう少し期間を空けて実施する訳にはいかないのだろうか。
バタバタと実習の準備をして、いざ実習が始まっても多分慌ただしいことであろう。それが終わるとすぐに採用試験。
高校の免許だけ取得する者なら二週間の実習ですむからまだ良い。中学の免許を取得するとなると、一カ月も実習に出向かないといけないのだから、現役で受験する者に対して、何とも心遣いの無い日程の組み方である。
まぁその過密なスケジュールが分かっているから、一年以上もの時間をかけて、早めに準備をしている者が大多数であり、むしろそれが当たり前だと言われたらぐうの音も出ないのだが。
少数派のおれがそんな不満を募らせているうちに、あっという間に六月。おれも由希子も教育実習へと、しばし学校を留守にすることに。
「いつもみたいにムスッとしてないで、生徒にも先生達にもちゃんと笑顔で挨拶するんだよ」
「実習に雪駄で行っちゃ駄目だよ」
「タバコも我慢するんだよ」
「気に入らない事があってもちゃんと、はい、って話を聞くんだよ」
「もちろん生徒相手にもだよ。「てめぇ!」とか言わずに、言葉遣いに気をつけるんだよ」
しばらく静かだった由希子が実習前日に、久々にくどくどと小言を。おれを何だと思っていやがるのか。
そもそも、由希子自身も実習に行くのだから、おれのことなど放っておいて自分の心配をしていれば良いのに。全く。
そして肝心の教育実習はと言うとまぁ、何というか、思ったより呆気なく終わってしまった。
漫画の様に、実習生に絡んで来る不良少年を締め上げ更生させる様な事も、女子生徒からキャーキャーと騒がれる事も無いまま、普通に授業をして、普通に生徒達とお話をしただけで一カ月が終わってしまった。
幸い、由希子や優一達と話している時の様に、あまり気負わず生徒達と関わる事ができたおかげで、割とのびのびと過ごすことが出来た様には思える。
「せんせーってさー、最初すごい絡みづらかったよねー」
「あ? 何でだよ」
「それそれー! その感じ!」
「普段からムスッとしてるくせにさー、さらに眉間に皺寄せて、あぁ? みたいなー」
「うるせぇよ。初対面は誰だって緊張すんだろ」
「その雰囲気で緊張とか、無い無い!」
「ってかその喋り方も。全然先生らしくないから」
「じゃあお前らの言う先生らしいって何だよ」
「もっとこう……真面目そうでシャキッとして……」
「わざわざおれみたいなの捕まえてくっちゃべってねぇでよ、お前の言うその、先生らしい先生んとこ行ってくりゃあ良いじゃねぇか」
「そんな人と喋ってても面白くないでしょ」
「馬鹿だねぇ、お前らは。多少つまんなくったってさ、真面目でシャキッとしてる人の方が、社会人としては正解だろ」
「じゃあせんせーは不正解ってことね」
「おれはまだ学生だから良いんだよ」
「ホント、ああ言えばこう言う」
「こんな人が教師になるとかウケるんだけど」
近頃の高校生ときたら小生意気でしょうがなかった。
実習担当のホームルームに顔を出し、時折授業を覗いて、空き時間には自分の授業の段取りをし、休み時間にはああして生徒達とお喋りをして……。
二週目辺りからはお試しで少しずつ授業を任される様になり、三週目の終わりには研究授業。校長をはじめとした他の先生達も、おれの授業っぷりを観察しに来た。
その後色んな先生達から講評をもらって、それらを糧に、残りの週も授業を行い終了。こう言っては何だが、可もなく不可もなくといった実習であった。
まぁ、させている方もこの期間は、実際に教師の目線で現場に立たせて、練習をさせてみようか程度のものだと割り切っているのだろう。
授業を効率良く運営していくにしても、何かしらの指導をしていくにしても、結局は生徒との関係性と、経験し、そこから培った技術がものを言うのだろうから。少なくともおれには、そんなものは一ヶ月では積み上げきれない。
ある意味で、そこまで安い商売ではないのだと、改めて感じた気になった。
教育実習を終えたその夜、由希子からメールが届いた。
「実習終わったー。竜也くんもお疲れ様。どうだった? また明日学校でね」
割と淡白なメールだったくせに、その翌日に学校で顔を合わせるや否や由希子は、
「ちゃんと生徒にも先生達にもちゃんと笑顔で挨拶した?」
「雪駄じゃなくてちゃんと靴履いて行った?」
「隠れてタバコ吸ったりなんかしてないよね?」
「生徒相手に暴言吐いたりしてない?」
と、うだうだと。もう、実習担当の先生より、何なら由希子の方が厳しく口うるさいと思ってしまう。
仮に由希子の心配が当たってしまっていたとしても、こう無事に全て終えて帰ってきているのだから、もうそれで良いではないか。全く。
実習から帰ってきて、優一の頭が小ざっぱりしていたのには心底目を疑った。短く刈り上げ端正に整えられた髪型をしたこいつは、トレードマークを失ったばかりか、もはや別人へと変貌してしまっている。
おれや由希子が教育実習に行っていたこの期間に、優一の奴は地元に帰り、公務員試験を受けてきた様だ。自己採点と、面接の際の雰囲気がすこぶる良かったのか、「筆記はバッチリじゃ。それに、第一印象も申し分無いしの」と、妙に鼻高々である。
筆記はさておき、おれからすれば、どれだけ見た目が変わろうとも、こんなに胡散臭い奴はいないというのに。つまりあれか。初対面の人に対して、自分を偽り、良い人間に見せるのが上手な奴程、就職活動は有利に働くということなのだなきっと。
優一の場合、良く見せることができているのかは分からない。結局おれの目の前にいるのは、ただ髪が短くなった優一が偉そうにしているだけだから。
一次試験に通っていれば、月末にはまた論文と面接の試験があるらしい。それまでに奴の剛毛が、またチリチリにならないことを祈るのみである。いやむしろ、チリチリになっていた方がおれとしては面白い。
かく言うおれも、あと一週間程で採用試験。優一の奴の髪型を気にしている暇なんざ、正直言って今は無いのだ。
残された時間の少なさを考えると、焦りや気負いが全く無い訳ではないというのが本音である。おれ自身、試験を目前にしてそんな感覚になるとは、思ってもいなかった。
それはこの約一年程、地道に積み上げてきたからこそのものなのか。或いはその積み上げが、まだまだ不十分だからなのか。
しかし結局今日も明日も、採用試験当日までやることは変わらない。お天道さんが昇ったら学校へ行き、由希子と朝挨拶を交わすと、二人向かい合って、夕暮れまで食堂の机にかじりついた。
そして所々合間には、並んで広場の芝生に腰掛け一息つく。レモンティーのすっきりとした甘さで、熱くなった頭をほんの少しだけリフレッシュさせる。口の中がベタベタしてしょうがないだろうに、ミルクティーなんざ飲むやつの気が知れない。
学校の敷地内でも、いたるところでセミが鳴き始めていて、ひと月見ないうちに、広場の芝も一層青く目に映る気がする。