ストロベリー・スモーキー

9

 羽田空港から札幌の新千歳空港への早朝便。おれたち四人は約二時間ばかりの、空の旅を満喫していた。

 飛行機に乗るのは高校生の時の修学旅行以来だろうか。窓の外にずうっと広がる雲の上の澄んだ景色に、やや気持ちが高揚する。
 
 前の席に座る由希子と紗良も、いささか興奮気味である。隣に座る優一はというと飛行機が離陸した辺りからずっと、「……おれ、飛行機無理なんじゃ……」と、ぐったりしている。せっかくの飛行機だというのに全く。軟弱者め。


 千歳空港を視界に捉えた時にはもう、そこは別世界であった。白銀とはこのことである。生まれてこの方、ここまでの雪景色を見たことがない。

 でも、北海道の本物の冬というやつは、こんなものではないのだろう。吹雪や積雪による航空便の欠航、運休もよくあることらしいので、この程度の積雪で騒いでいては、地元の人達に笑われてしまう。

 由希子も紗良も、つい先程までぐったりとしていた優一も、窓の外を見てはしゃいでいる。

 
 荷物を受け取り、札幌行きのバスに乗るためにとバスターミナルへと向かう。ロビーの自動扉を一歩外に出た途端、キンキンに冷えた空気に思わず足が止まる。

 先程までの温かい機内で緩んだ体が、ふくらはぎから背中を通って首筋まで一挙に引き締まった。冷たいという感覚を通り越して、鼻から入ってくる空気はもはや痛いとさえ思える。体が芯からもみるみる冷えていくこの厳しい寒さは、人間が、いや、生き物が生活をする環境ではないぞなどと思いつつ、皆で身を震わせながら札幌市内行きの乗り場を探した。
 
 バスに乗ってからは、暖房が効きすぎていて、むしろ暑いくらいであった。でも、窓の外を流れる風景はどこもかしこも真っ白。果たしてこれは今、道路を走っているのか、雪の上を走っているのか。この社内の暖かさと、目に映る景色とのギャップが、何とも不思議である。
 

 十二月二十四日。大安。宗太と真由の結婚式。宗太の地元である北海道に、おれ達四人は招かれた。
 
 何も北海道の、そんな雪の多そうな時期に。さらにはクリスマスイブに。ましてや真由のお腹には子どもがいるというのに。

 そもそも二人ともおれ以上に、金に余裕なんか無いであろうに。そんな焦って式など挙げなくとも。それが正直な感想だった。というより、招待状が届いてすぐに、宗太に電話でそれを伝えた。
 
 今年はクリスマスイブが偶然大安で、またまた偶然、その日空いている式場が見つかった。妊娠七ヶ月を越えてしまうと新婦さんの負担やドレス選びなど配慮する要素が増える。お金の工面はお互いの両親もかなり協力してくれた。らしい。
 
 さらに付け加えた理由が、年が明けてからや、無事出産を終えてからのタイミングだと、子どもへの配慮といった二人や周りの負担が増えることもそうだが何より、就活真っ只中のおれ達四人が、皆で揃って北海道まで来れない可能性も出てくるかもしれないと思ったからだそうだ。

 そう派手でなくて良いから、やはり式はこのタイミングで挙げたい。きちんと六人で揃う可能性が高いなら、そちらに懸けたい。それが二人で出した答えだと宗太は語った。
 
 
 そこまで二人で、二人の両親とも話し合い、決行するとなった結婚式らしい。そういうことならば、おれ達がいかいでか! 難癖をつけに電話をしたはずだったのだか、結局は二つ返事で、式に乗り込む旨を伝えた。

 
 市内でバスを降りた後は、タクシーを使ってそのまま式場へ。受付を済ませ、通されたゲスト用の更衣室で、慣れない背広に袖を通し、優一にネクタイを締めてもらい、いざ行かん。
 
 張り切って待合に向かったは良いが、由希子と紗良はまだ見当たらなかった。女という奴は支度が長いから困ったものだと思いつつ、優一と二人で待合と喫煙所を行き来しているとようやく、ドレスを纏ってめかし込んだ由希子と紗良が登場した。
 
 今日は目元から眉毛から何から、普段よりもほんの少しだけ気合いの入った化粧に見えなくもない。髪は何やらくねくねとさせ、後ろは纏めてパチンと留めている。深みのある落ち着いた感じの赤いドレスを、やや控えめに上品に、ヒラヒラとたなびかせて歩いている。
 
 毎日顔を合わせているはずの由希子だが、いつもと違う出で立ちに、やや戸惑ってしまった。
 
 おれの視線に気付いた紗良が満面の笑みで、「今日の由希子、綺麗だよねー」と言うからおれは、
 
「おう。まるでトマトの妖精みてぇだな」
 
と返事をした。紗良と、関係ない優一も、それぞれ持っていたバッグでおれを好き放題叩きやがった。褒めているのにこの仕打ちはあんまりだ。
 

 式が始まって、ここにきてようやく宗太と真由の顔を拝むことができた。

 パリッとした白いタキシードの宗太。少し髪が伸びたな。後でスタッフにバリカンを拝借しなければ。

 真由はもちろん純白のウエディングドレス。お腹もだいぶ大きくなっているのだろうが、ドレスでは分かりにくい。
 
 二人が入場した直後から、「ヤバい! もう泣きそうなんだけど!」とデジカメを片手に舞い上がっている紗良を横目に、着々と式は進行していった。

 
 披露宴は歓談がメインで、余興やこれといった演出はほとんど無いものの、穏やかで、まったりとしたものであった。
 
 隣に座る由希子が、「今日は飲み過ぎたら駄目だよ」と釘を刺してくるが、知ったことではない。飲むと顔に出やすい由希子は、せっかく着飾ってきたのに台無しになると、やや控えめである。せっかくめでたい席なのに。無礼講だ無礼講。
 
 
 ホールを出てすぐの喫煙所で、優一と一服に出ていると、宗太もひょっこり顔を出した。
 
「おい。主役がこんなとこで油売っとっちゃいかんやろ」
 
「ちょっとくらい良いんだよ〜。それにここの方がのんびり話せるしね〜」
 
「よし! そういうことなら待ってな! お前らの分も酒持って来てやっから!」
 
 喫煙所で急遽、三人でのプチ同窓会、もといプチ披露宴が開かれた。たった半年時間が空いただけだが、話は積もっている。

 仕事は順調か。出産の予定日はいつか。子どもの名前はもう決めたのか。そもそも男の子か女の子かどちらなのか。真由の手料理はうまいのか。結婚の挨拶に行った際、向こうの親父さんには殴られなかったか……。

 ほとんどが宗太の惚気話の様なものだが、奴も今日の主役な訳だから、勘弁してやろうではないか。大変なのはこれからなのだろうが、なんだかんだ幸せそうに話す宗太を見て、とりあえずは安心した。

 
「ってかさ〜」
 
 ひとしきり宗太の近況を聞いた後、宗太からも口を開いた。
 
「竜也は由希子ちゃんとどうなの〜?」
 
「毎日一緒に勉強してるよ。あいつも教員採用試験受けるかんな」
 
「へ〜」
 
 さっきまでやいのやいのと話に花が咲いていたのだが、そこでピタリと会話が途切れた。

 館内に流れるクラシックだけが耳につくので、おやと思い、優一と宗太の二人に代わる代わる目をやったが、おれの出方を伺っているかの様にどちらもがじっとこちらを見ている。何やら急に気持ちの悪い奴らだ。
 
「ん? どうかしたか?」
 
「え? それだけ〜?」と宗太は目を丸くする。
 
「他に何があんだよ」
 
 優一は半笑いで、「なんやお前ら、付き合っちょらんのか? もうすっかり良い感じになっちょるけぇ、いつ報告してくるんじゃろうかって待ちよったんじゃがの」

と、からかう。
 
「ねぇよそんな話。一緒に勉強してるだけだよ」
 
「でもそれだけ一緒にいるんだったらさ〜、色々話したり、それこそ良い雰囲気になったりするんじゃないの〜?」
 
 そう言われて、おれは今日までの由希子との関わりを思い返した。

 朝挨拶をして。合間に芝生でタバコを吸っているとポツンと横にいて。一緒講義に出て。おれが居眠りしそうになるとつつき起こされ。昼食をとって。終業のチャイムが鳴ったらまた明日と挨拶をして。
 
 改めて思ったが、会話という会話すらほとんど無い日の方が多いかもしれない。
 
「おれらは勉強してんだよ。優一も見てんだろ? 一緒にいるにはいるけど、ほとんど喋ることなんかねぇよ」

 優一と目を合わせながら、溜め息を吐くような素振りを見せる宗太。優一も目で頷きながら、「まぁこいつは、宗太と違うて甲斐性なんてもん、ありゃあせんけぇの」と言いながらタバコの火を消す。
 
 甲斐性とは大きく出たなこの野郎。その甲斐性を得るために、経済的にも社会的にも自立するための今であろう。

 そもそも、どこでどう飛躍すれば、おれと由希子が良い仲になろうというのか。全く。まぁ、酔っ払いの戯言だ。ムキになって反論しようものなら、それこそ奴らの思う壺だ。
 
 とりあえずここいらで一旦戻ろうかと宗太が言うので、三人で喫煙所を後にし、披露宴会場へと戻った。

 
 
 席に着こうとしたところで由希子が声を掛けてきた。
 
「遅かったね。ってか、あんまり宗太くん連れ回したら駄目だよ。今日の主役なんだからさ」
 
 しばらく由希子と目が合ったまま、座ろうかと引いた椅子もそのままに、おれは固まってしまっていた。
 
「ん? どうかした?」
 
 立ち呆けているおれに由希子が首を傾げる。
 
「別に。ただ……」
 
 この真冬。道中はもちろん、建物を一歩出れば雪化粧。真っ白な椅子やテーブルクロスが外のそれならば、今ここに座る、赤いドレスを身にした由希子はまるで、全くの季節外れに実った、一粒の苺の様。周りの景色にそぐわぬそれは何とも滑稽で、何とも不可解な。
 
 優一と宗太のせいで、由希子が妙なモノに見えてしまい、おれは硬直してしまっていた。そんなおれを見て、

「あー! どうせまたわたしのこと見て、トウガラシだのパプリカだの言いたいんでしょ!」と、由希子は口を膨らませた。
 
 由希子の的外れな例えにおれは思わず笑ってしまい、同時におかしな緊張も解けたので、
 
「ああ。すげぇ似合ってるよ」
 
とだけ言って、おれは椅子に座った。
 
 由希子は一瞬ぽかんと口を開いたが、そよ風に揺られるそれの様に小さく笑って、
 
「何それ」
 
と言ったっきりだった。


 
 花嫁から両親への手紙。真由の読む手紙を聞いて、紗良はカメラのレンズを覗きながら泣いていた。こいつは今日一日本当に忙しそうであった。

 披露宴会場を退場する際に、もう一度新郎新婦に押し掛け、二人を囲む様にして六人で写真を撮った。
 
 最後におれ達を見送る際に宗太が、「次に六人全員で揃うのは、また誰かの結婚式かな〜。楽しみにしてるよ〜」と言う。

「そんなアテはもう無ぇけぇ、しばらく会えんの」と優一。

「またな」と皆で手を振り合い、二人を残して結婚式場を後にしていった。


 
 羽田空港を降り立つと、そこからは高速バスで帰路へ着いた。二時間と少しかけて、下宿先の最寄りの駅から二つ手前の駅へ到着。そこから電車で乗り継いで、そろそろ夜も更けようかという頃にようやく我らの街へ。
 
 長旅のせいもありさすがに疲れたため、帰りはほとんど皆喋らなかった。
 
「またな」
 
「うん、また明日」
 
と、それぞれ小さく挨拶だけ交わし、それぞれのアパートへと別れた。
 

 アパートに帰り、真っ暗なリビングに灯りを点ける。荷解きもそのままにベッドに横たわったのだが、自分の布団に転がった途端、つい半日前まで北海道にいた事が、遠い昔の記憶の様に感じ、ひどく現実味が無くなっていく気さえした。
 
 宗太の言った、次に集まれるのは誰かの結婚式。このアパートの静けさの中、頭にこびりついたその言葉が何度も何度も繰り返し流れた。
 
 現に学校を辞めた宗太も真由も、またもうしばらくは、下手をすれば何年も、顔を見ることすらままならないのだ。
 
 分かっていた事ではある。あの二人が少しだけ早くいなくなってしまっただけだ。地元も違い、卒業後の進路もバラバラに別れていくおれ達にとっては、当たり前の事である。

 ただ会って話をする。顔を見る。それすらも特別な時間になってしまう日が、この四人にもいずれやってくる。
 
「あと一年っきゃ無ぇのな……」
 
 うわ言の様にそれを口にしたっきり、いつの間にか意識が途絶え、おれは深く深く眠りに落ちた。
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