策士な支社長は新米秘書を独占的に可愛がりたい
 発車すると、彼はパソコンを取り出して仕事を始めたので、わたしはほっと息をついた。

 それにしても、わたし、この人の言うことを、なんでこんなに素直に受け入れてしまうんだろう。
 ボス・ファーストを常に心掛けている秘書魂がそうさせるのだろうか。

 でも、それがものすごく嫌、っていうわけじゃなくて。
 支社長と、こうして、わちゃわちゃとくだらない会話をしていることに心が弾んでくることも否めない。
 それどころか、かなり楽しくもなっている。

 まずい。
 セメントどころか、周囲に鉄板を並べて溶接でもしないと、あっけなく心を持っていかれそう。
 それだけは、なんとしても意志の力で阻止しなければ。

 この支社長に片思いなんてしたら、大学生のときの二の舞になるのは、火を見るよりも明らかなのだから。

 一言、断りを入れてからイヤホンを耳につっこみ、ドビュッシーのピアノ曲を聞きながら、列車の揺れに身を任せはじめた。

 どんなに心が動揺しているときも、ドビュッシーの曲を聴くと不思議と落ち着く。

 プレイリストのアルバム3枚目に入ったあたりで、リラックスしすぎたのか、昨晩の寝不足も相まって、ついうとうとしていたとき、腕をぽんと叩かれて「おい、富士山だぞ」と言われた。
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