どいつもこいつも愚か者。私が一番愚か者! 〜第二の人生は魔王のスネをかじって面白おかしく生きることにしました〜


「──っ!?」


 まるでこの時を待っていたかのように、勢いよくインクが飛び出したのである。
 噴き上がったインクは重力に従い、床に、執務机に、その上に広げられていた書類に──そして、エミールの上に降り注いだ。
 先ほどアヴィスにしたように、彼もまた頭からインクを被る羽目になったわけである。

 考えるまでもない。

 あの魔王からの意趣返しだ。

「……っ、くそっ!」

 忌々しげに舌打ちをするエミールに対し、グラウは片頬を釣り上げた。
 こんな兄の表情も、アヴィスは生前見たこともなかっただろう。
 
「はは、ざまぁ」
「グラウ……」
「アヴィスをいじめて泣かせるからですよ。いい気味だ」
「だって、アヴィスがいけないんだよ。僕に断りもなく色なんて変えてくるから……」

 インクに塗れた金色の髪を掻き上げつつ、エミールは唇を尖らせる。
 しかし、恐怖に慄くアヴィスの姿を思い出したとたん、その顔には恍惚とした笑みが浮かんだ。

「アヴィスはばかだなぁ、本当に目を抉ったりするわけないじゃないか」
「今の殿下ならばやりかねない。さすがにその時は、私があなたの腕を叩っ斬って差し上げますので」
「あはは、魔王に論破されたやつが偉そうに」
「次は負けません」

 両親亡き後アヴィスの親代わりを務めたと豪語するグラウはまた、同じく母を亡くしたエミールも支えてきた。
 そのため、主従というよりも兄弟のように気の置けない仲の二人ではあるが……

「ああ、それはそうと──騎士団長」
「──はっ」

 エミールがグラウを肩書きで呼ぶなり、彼らの関係は瞬時にして、主君とその忠実な騎士に変わる。
 エミールは指に付いたインクで目の前の汚れた書類にサインをすると、にっこりと──それこそ天使のように麗しい笑みを浮かべて告げた。

「僕の名において、前国王の首を刎ねてください。アヴィスが天界にいないと分かった今、もう親殺しの罪を背負おうともかまいませんからね」
「御意」

 この翌日のことである。

 エミール・グリュンは正式に国王として立ったことを、国内外に宣言した。



『第一章 新しい身体と新しい人生』おわり
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