はっきよい! ショコラちゃん~la mignonne petite fille~
はっきよい! ショコラちゃん~la mignonne petite fille~
序章
「ボンジュール梶之助ぇー。これ飲みんしゃい。背ぇがエッフェル塔のようにでっかくなるぞぉ。こいつであと二〇センチ伸ばせ」
「いらねぇ。そんなもんで背が伸びるはずないだろ。栄養学的に考えて」
今日から風薫る五月。
旧摂津国のとある町で生まれ育ち、この春高校生になったばかりの鬼柳梶之助は、今朝も相変わらず祖父の五郎次(ごろうじ)から特製ドリンクを振舞われた。
「オーララ、今宵も僕、夜なべして一生懸命頭捻って考えて作ったのにぃ。いちごとアサリとゴーヤーと、エスカルゴとロックフォール au(オ) ショコラのミックシュジューシュ」
「……五郎次爺ちゃん、毎朝、毎朝いい加減にしてくれ」
祖父のいつものこの行為にほとほと困り果てている梶之助だが、祖父のことは幼い頃から五郎次爺ちゃん、と親しみを込めて呼んでいる。ちなみに梶之助の父の名は権太左衛門(ごんだざえもん)だ。
この時点でお気づきの方もおられるかもしれないが、これらの名にはある共通点がある。全て大相撲〝歴代横綱〟の四股名の一部なのだ。二代・綾川五郎次、三代・丸山権太左衛門、そして彼の名の由来になったのが四代・谷風梶之助である。
代々鬼柳家一門で生まれ育った男共は皆、六尺三十貫(今の単位でいうと一八〇センチ、百十キロくらい)をも優に超える大男へと成長し、そりゃあもうとてつもなく相撲が強かったそうだ。
人間離れした剛力かつ頑丈な体つきで、お侍に日本刀で首を打たれた時も逆に刃の方が折れてしまったとか、大筒火縄銃の弾を数十発体中に浴びせられてもかすり傷一つ負わずけろりとしていたとか、たった一人で暮れ六つの鐘が打たれた時より食い始め、宵五つの鐘の音を聞く前に飯三升・羊羹十棹・蕎麦七十盃・鴬餅百個ぺろりと平らげ酒を三斗飲み干したとか。他にも真冬の荒れ狂う海で全長五十尺以上ものザトウクジラを素手で引き上げたとか、もっと凄いのは高さ五百丈はあろう山を片手で押し三里ほど動かしたとか……俄かには信じがたい風聞も数多くある。
ところがどっこい五郎次爺ちゃんの代で、ある問題が発生。天の神様かはたまた遺伝子のいたずらか急に体が小さくなってしまったのだ。
男ばかり七人兄弟の末っ子として、五郎次爺ちゃんは十歳頃までは『茂』という当時ごくありふれた名で育てられていた。しかしその時代としても成長が遅く、当時相撲道場の師範であった彼の父、梶之助の曽祖父に当たる兵助(へいすけ)は、彼の未熟さを見るに見兼ねて験担ぎにと歴代横綱の一人の名に無理やり改名させたそうである。
それ以来、鬼柳家一門に生まれる男子には、歴代横綱の名を代の古い方から順に、生まれた順に付けることが兵助の意向により決まりとなった。
ただ、五郎次が二代目の名であることから分かる通り、初代横綱明石志賀之助の名だけは恐れ多くて名付けられなかったそうだ。
その風習が影響している梶之助は、父さんの名前よりはましだけど、こんな江戸時代生まれの人みたいな名前を付けられて正直大迷惑だと常々思っている。
――そんなことをしたって結局、効果は全く無かったのだ。
五郎次爺ちゃんの身長は、今は少し背中が丸まって縮んでいるが最高でも一五五センチしかなかった。体重も一番多かった時でも五〇キロにすら満たなかった。
改名させてわずか三日後に「茂、もとい五郎次が六尺豊かな大丈夫に成長してくれることを祈って、この世で一番でっかいエベレストに挑んでくる。世界で初めて頂上に立つのはこのわしなんじゃ!」とか弟子達に告げて道場を出て行ったきり消息を絶ったらしい兵助の行為、水の泡である。
権太左衛門も梶之助も、五郎次爺ちゃんの遺伝子を見事なほどしっかりと受け継いでしまっている。権太左衛門は一五二センチで父よりも若干背が低いのだ。さらに体重も最大時でも四五キロ程度であった。
梶之助も高校入学後の身体測定で一五四センチしかなく、同学年女子の平均身長よりも低かった。十五歳なのでまだ伸びる余地はあるが、それでも一六〇センチ台にすら乗せることは厳しいと思われる。加えて体重も四〇キロ台前半で、親子三代低身長かつ食べても太れない痩せ型体質だ。極めつけに梶之助は母に似て幼顔であり、未だに小学生に間違えられることさえある。そんな彼がまだ四代目の名である時点で疑問に思った方もおられるかもしれない。
不思議なことに鬼柳家では五郎次爺ちゃん誕生以降今に至るまで八〇年余り、親戚一同含めてもなぜか男が彼の息子と孫、二人だけしか生まれて来なかったという珍現象が起きているのだ。ようするに梶之助のいとこも全て女である。漢字で書けば従姉妹となる。
つまり梶之助は今、鬼柳家一門唯一の若手の男なのだ。そんな彼には大学進学やら就職やらで、今この家にはいないが姉が四人。両親は男の子がずっと欲しかったらしく、彼の誕生にはやっと男の子が生まれてくれたと親戚一同あげての大祝いだったそうだ。
五郎次爺ちゃんはその昔、父、兵助のような一人前の力士になるべく相撲部屋へ何度も門を叩きにいったそうだが、当然のごとくいつも体格のことで咎められ新弟子検査すら受けさせてもらえず、どこからも門前払いされたという。その五郎次爺ちゃんは息子、権太左衛門に託すがやはりダメ(というより条件がさらに悪くなっている)。
結局は国立の大学まで出て高校理科教師になった権太左衛門は、梶之助を力士にしようなんていう考えは全く持たなかったのである。
梶之助は物心ついた頃から父、権太左衛門に将来は力士なんかよりも国公立大もしくは有名私大、出来れば大学院まで進んで安定した公務員か教職員か、研究者でも目指した方が絶対良いよと言われ続けて来た。梶之助は父のその考えを特に疑問を持つことなく受け入れ、それなりに真面目に勉学に励んで来た。現に彼は今、東大・京大・その他国立大医学部現役合格者を毎年コンスタントに輩出している難関公立進学校に通っている。
しかし五郎次爺ちゃんは、未だ梶之助に将来の角界入りを熱心に勧めてくるのだ。梶之助の体を大きくしてあげたいという気持ちを、鬼柳家の他の誰よりも強く持っている。自分がなれなかったのがよっぽど悔しかったのだろうか? 当然期待に沿えずというか梶之助は相撲、それどころか全てのスポーツ競技が大の苦手、趣味は読書なインドアマンなのだ。高校に入ってから週一で必修となっている柔道の授業がある日はとっても憂鬱であるらしい。
第一話 梶之助の幼馴染はフランス人形みたいにかわいいけれど……
「貝殻をジューサーに入れたら故障するだろ」
五郎次爺ちゃん特製ドリンクは即効台所の流しに捨てて、梶之助は学校に行く支度を済ませる。
「梶之助よ、カルシウムが含まれているんじゃが……僕の特製ドリンク、そんなに不味いんかのう」
それを目にした五郎次爺ちゃん、再び寝室に閉じ篭って寝込む。自分の思い通りにならないとすぐこんな風に拗ねる子どもっぽい一面もあるのだ。
まもなく午前七時五五分になろうという頃、ピンポーン♪ とチャイム音が鳴り響く。
序章
「ボンジュール梶之助ぇー。これ飲みんしゃい。背ぇがエッフェル塔のようにでっかくなるぞぉ。こいつであと二〇センチ伸ばせ」
「いらねぇ。そんなもんで背が伸びるはずないだろ。栄養学的に考えて」
今日から風薫る五月。
旧摂津国のとある町で生まれ育ち、この春高校生になったばかりの鬼柳梶之助は、今朝も相変わらず祖父の五郎次(ごろうじ)から特製ドリンクを振舞われた。
「オーララ、今宵も僕、夜なべして一生懸命頭捻って考えて作ったのにぃ。いちごとアサリとゴーヤーと、エスカルゴとロックフォール au(オ) ショコラのミックシュジューシュ」
「……五郎次爺ちゃん、毎朝、毎朝いい加減にしてくれ」
祖父のいつものこの行為にほとほと困り果てている梶之助だが、祖父のことは幼い頃から五郎次爺ちゃん、と親しみを込めて呼んでいる。ちなみに梶之助の父の名は権太左衛門(ごんだざえもん)だ。
この時点でお気づきの方もおられるかもしれないが、これらの名にはある共通点がある。全て大相撲〝歴代横綱〟の四股名の一部なのだ。二代・綾川五郎次、三代・丸山権太左衛門、そして彼の名の由来になったのが四代・谷風梶之助である。
代々鬼柳家一門で生まれ育った男共は皆、六尺三十貫(今の単位でいうと一八〇センチ、百十キロくらい)をも優に超える大男へと成長し、そりゃあもうとてつもなく相撲が強かったそうだ。
人間離れした剛力かつ頑丈な体つきで、お侍に日本刀で首を打たれた時も逆に刃の方が折れてしまったとか、大筒火縄銃の弾を数十発体中に浴びせられてもかすり傷一つ負わずけろりとしていたとか、たった一人で暮れ六つの鐘が打たれた時より食い始め、宵五つの鐘の音を聞く前に飯三升・羊羹十棹・蕎麦七十盃・鴬餅百個ぺろりと平らげ酒を三斗飲み干したとか。他にも真冬の荒れ狂う海で全長五十尺以上ものザトウクジラを素手で引き上げたとか、もっと凄いのは高さ五百丈はあろう山を片手で押し三里ほど動かしたとか……俄かには信じがたい風聞も数多くある。
ところがどっこい五郎次爺ちゃんの代で、ある問題が発生。天の神様かはたまた遺伝子のいたずらか急に体が小さくなってしまったのだ。
男ばかり七人兄弟の末っ子として、五郎次爺ちゃんは十歳頃までは『茂』という当時ごくありふれた名で育てられていた。しかしその時代としても成長が遅く、当時相撲道場の師範であった彼の父、梶之助の曽祖父に当たる兵助(へいすけ)は、彼の未熟さを見るに見兼ねて験担ぎにと歴代横綱の一人の名に無理やり改名させたそうである。
それ以来、鬼柳家一門に生まれる男子には、歴代横綱の名を代の古い方から順に、生まれた順に付けることが兵助の意向により決まりとなった。
ただ、五郎次が二代目の名であることから分かる通り、初代横綱明石志賀之助の名だけは恐れ多くて名付けられなかったそうだ。
その風習が影響している梶之助は、父さんの名前よりはましだけど、こんな江戸時代生まれの人みたいな名前を付けられて正直大迷惑だと常々思っている。
――そんなことをしたって結局、効果は全く無かったのだ。
五郎次爺ちゃんの身長は、今は少し背中が丸まって縮んでいるが最高でも一五五センチしかなかった。体重も一番多かった時でも五〇キロにすら満たなかった。
改名させてわずか三日後に「茂、もとい五郎次が六尺豊かな大丈夫に成長してくれることを祈って、この世で一番でっかいエベレストに挑んでくる。世界で初めて頂上に立つのはこのわしなんじゃ!」とか弟子達に告げて道場を出て行ったきり消息を絶ったらしい兵助の行為、水の泡である。
権太左衛門も梶之助も、五郎次爺ちゃんの遺伝子を見事なほどしっかりと受け継いでしまっている。権太左衛門は一五二センチで父よりも若干背が低いのだ。さらに体重も最大時でも四五キロ程度であった。
梶之助も高校入学後の身体測定で一五四センチしかなく、同学年女子の平均身長よりも低かった。十五歳なのでまだ伸びる余地はあるが、それでも一六〇センチ台にすら乗せることは厳しいと思われる。加えて体重も四〇キロ台前半で、親子三代低身長かつ食べても太れない痩せ型体質だ。極めつけに梶之助は母に似て幼顔であり、未だに小学生に間違えられることさえある。そんな彼がまだ四代目の名である時点で疑問に思った方もおられるかもしれない。
不思議なことに鬼柳家では五郎次爺ちゃん誕生以降今に至るまで八〇年余り、親戚一同含めてもなぜか男が彼の息子と孫、二人だけしか生まれて来なかったという珍現象が起きているのだ。ようするに梶之助のいとこも全て女である。漢字で書けば従姉妹となる。
つまり梶之助は今、鬼柳家一門唯一の若手の男なのだ。そんな彼には大学進学やら就職やらで、今この家にはいないが姉が四人。両親は男の子がずっと欲しかったらしく、彼の誕生にはやっと男の子が生まれてくれたと親戚一同あげての大祝いだったそうだ。
五郎次爺ちゃんはその昔、父、兵助のような一人前の力士になるべく相撲部屋へ何度も門を叩きにいったそうだが、当然のごとくいつも体格のことで咎められ新弟子検査すら受けさせてもらえず、どこからも門前払いされたという。その五郎次爺ちゃんは息子、権太左衛門に託すがやはりダメ(というより条件がさらに悪くなっている)。
結局は国立の大学まで出て高校理科教師になった権太左衛門は、梶之助を力士にしようなんていう考えは全く持たなかったのである。
梶之助は物心ついた頃から父、権太左衛門に将来は力士なんかよりも国公立大もしくは有名私大、出来れば大学院まで進んで安定した公務員か教職員か、研究者でも目指した方が絶対良いよと言われ続けて来た。梶之助は父のその考えを特に疑問を持つことなく受け入れ、それなりに真面目に勉学に励んで来た。現に彼は今、東大・京大・その他国立大医学部現役合格者を毎年コンスタントに輩出している難関公立進学校に通っている。
しかし五郎次爺ちゃんは、未だ梶之助に将来の角界入りを熱心に勧めてくるのだ。梶之助の体を大きくしてあげたいという気持ちを、鬼柳家の他の誰よりも強く持っている。自分がなれなかったのがよっぽど悔しかったのだろうか? 当然期待に沿えずというか梶之助は相撲、それどころか全てのスポーツ競技が大の苦手、趣味は読書なインドアマンなのだ。高校に入ってから週一で必修となっている柔道の授業がある日はとっても憂鬱であるらしい。
第一話 梶之助の幼馴染はフランス人形みたいにかわいいけれど……
「貝殻をジューサーに入れたら故障するだろ」
五郎次爺ちゃん特製ドリンクは即効台所の流しに捨てて、梶之助は学校に行く支度を済ませる。
「梶之助よ、カルシウムが含まれているんじゃが……僕の特製ドリンク、そんなに不味いんかのう」
それを目にした五郎次爺ちゃん、再び寝室に閉じ篭って寝込む。自分の思い通りにならないとすぐこんな風に拗ねる子どもっぽい一面もあるのだ。
まもなく午前七時五五分になろうという頃、ピンポーン♪ とチャイム音が鳴り響く。
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