はっきよい! ショコラちゃん~la mignonne petite fille~
その刹那、千代古齢糖は五郎次爺ちゃんの腕をサッと掴み、一本背負いでいともあっさり空中へ投げ飛ばした。柔道の技として有名だが、大相撲の決まり手の一つでもある。
「わーお!」
五郎次爺ちゃん、くるり一回転、茶の間の畳にズサーッと着地。その衝撃で入れ歯ふわり空中遊泳。
「もう、五郎次お爺様ったら。でもそこが素敵です♪」
千代古齢糖は照れ笑いする。
「フォフォフォッ、僕とっても嬉しいな、千代古齢糖ちゃんみたいな若い娘さんに投げ飛ばされてもらえて」
吹っ飛んだ入れ歯を見事口でキャッチし、付け直した五郎次爺ちゃん。
「五郎次お爺様、相変わらずハリウッドスターのようなアクションですね」
千代古齢糖は嬉しそうに微笑む。
「五郎次爺ちゃん、受け身の取り方だけは横綱免許皆伝級だな」
梶之助は呆れ返った。
五郎次爺ちゃんは大昔、かの双葉山が大活躍していた頃からの大相撲ファンだ。幼少期はラジオで大相撲中継を熱心に聴いていた。昭和二〇年代後半、テレビが普及するようになって以降は毎場所テレビ中継を楽しんでいる。三月の春場所(大阪場所)の時は生で観戦しに行くことも多い。だが彼には、大相撲以上に熱心に観戦しているものがあるのだ。
それは、この地域で七十年以上続く伝統行事、年一回開催され千代古齢糖も幼稚園の頃から毎年出場している〝女相撲大会〟である。
「千代古齢糖ちゃん、久し振りに梶之助と相撲を取ってくれんかのう。僕、お二人の対戦が久し振りに見たくなったんじゃ」
「OK! お見せしてあげるよ、五郎次お爺様。大会も間近ですし練習も兼ねて」
五郎次爺ちゃんの突然の依頼を、千代古齢糖は快く引き受ける。
「ごっ、五郎次爺ちゃん、そっ、そんな急に……」
梶之助はたじろいだ。
「今年のお正月の時に取って以来、かなり久々に対戦することになるね」
一方、千代古齢糖はかなり乗り気な様子だ。
「梶之助、マワシじゃ。力士と同じようにこれ付けてやれ!」
五郎次爺ちゃんは自室のタンスから水色のを取り出して来て、梶之助の眼前にかざす。
「梶之助くん、付けてあげるからおズボンとおパンツ脱いで!」
千代古齢糖から藪から棒に大胆発言。
「五郎次爺ちゃん、千代古齢糖ちゃん。俺、マワシ姿になるなんて恥ずかしいから嫌だよ。前にも言っただろ」
梶之助は当然のように困惑する。
「もう、情けない。小学校の頃までは喜んで付けてたくせに。そんじゃあ今回もトランクス一丁でいいよ。私はちゃんとマワシ付けてやるよ。ちょっと準備して来ます」
千代古齢糖はちょっぴり不満な面持ちで、彼女の自宅へ。
それから五分ほど後、
「お待たせーっ!」
千代古齢糖が鬼柳宅玄関先へ戻って来た。上半身は裸、ではもちろんなくレオタードを纏って、その上から女相撲用の簡易マワシを付けている。ちなみに鮮やかなチョコレート色だ。千代古齢糖は自分の名前と言語違いで同じだからなのか、この色が一番のお気に入りなのだ。
「あーら、いらっしゃい。お久し振りねぇ千代古齢糖さん」
「こんばんはー。おじゃましてます、寿美おば様」
ほどなくして、タイミングを合わせるかのように梶之助の母、寿美さんも帰って来た。御年五〇を越えているが、白髪や顔の小皺はほとんど目立っておらずまだ三〇代前半くらいの若々しさが感じられるお方である。背丈も一七〇センチ近くあり、すらりと高い。皮肉なことに、梶之助の四人いる姉は皆、彼女の遺伝子が受け継がれ一七〇センチを超えているのである。
「千代古齢糖さんのマワシ姿はいつ見てもさまになってるわね」
「それほどでもないですよぅ、寿美おば様ったら、褒め上手」
寿美さんに褒められ、頬をポッと桜色に染め微笑む千代古齢糖。
「ふふふ、かわいい。その格好してるってことは、ひょっとして――」
「その通りです。私、今から梶之助くんとお相撲取るんです!」
「やっぱり。今回はどんな攻防が繰り広げられるのか楽しみね。それじゃあ、今回もわたくしが呼出さんやろうかしら」
「そんじゃ僕、行司さんやるねっ!」
「よろしくお願いします! 寿美おば様、五郎次お爺様」
千代古齢糖に頼まれると、五郎次爺ちゃんはすぐさま大喜びで行司装束に着替えて来た。右手には軍配団扇を装備。鬼柳宅にはこんなマニアックな相撲グッズまで保管されてあるのだ。
このあと寿美さん、五郎次爺ちゃん、千代古齢糖、梶之助の四人は鬼柳宅離れにある相撲道場を訪れる。梶之助は千代古齢糖に腕を引っ張られ無理やり連れてこられたような形となった。
木造瓦葺平屋建ての小屋で、造られたのは一九〇七年(明治四〇年)。すでに創立百年以上が経過している。当然のようにこれまでに何度か改修工事がされてあるものの、外観は建立当時のままほとんど変わっていない。入口横にある『鬼柳相撲道場』と木版に縦書き行書体で肉合彫りにされた看板もかなり色あせていて、時代の流れを感じさせていた。
出入口を通ってすぐ目の前に直径十五尺(およそ四メートル五五センチ)の土俵、さらに奥側に見物用の座敷も設けられてある。
かつて、五〇年ほど前までは、この場所で毎日のように鬼柳家や近隣に住む力自慢の男共よる激しい稽古が流血も交えながら行われ、大勢の見物人で賑わっていたようだが、今ではそんな面影すら全く感じられない。
今回のように、梶之助と千代古齢糖が時たま遊びのような相撲を取る時に使用されるくらいである。
四人とも靴と、靴下も脱いで素足になり道場の中へ。土足厳禁なのだ。
「千代古齢糖ちゃん、やっぱ勝負はやめない?」
土俵を眺め、梶之助は怖気づいてしまった。
「もう、何言ってるのよ、梶之助くん。男の子でしょう?」
「そうじゃぞ梶之助。男たるもの度胸が必要なのじゃ。ご先祖様や、正代(まさよ)も草葉の陰で泣いておるぞ」
千代古齢糖と五郎次爺ちゃんが非難してくる。ちなみに正代とは、五郎次爺ちゃんの妻、ようするに梶之助の父方の祖母に当たるお方だ。二年ほど前に他界している。
「さあ梶之助くん、早く準備して」
「わっ、分かってるって」
こうして梶之助はしぶしぶ長袖ワイシャツを脱いで上半身裸となり、ジーパンも脱いでトランクス一枚だけの姿になった。彼のあまり筋肉のない細身の体が露になる。
「梶之助、しっかり頑張りなさい。それじゃ、始めますか」
寿美さんはこう告げたのち、息をスゥっと大きく吸い込んだ。
そして、
「ひがあああああしいいいいい、しょこらあああかぜえええええ、しょこらあああかあああかぜえええええ。にいいいいいしいいいいい、たにいいいかぜえええええ、たあああにいいいかあああぜえええええ」
独特の節回しで四股名を呼び上げた。ソプラノ歌手のような透き通る美声であった。梶之助と千代古齢糖はそれを合図に土俵へと足を踏み入れる。
梶之助の四股名は『谷風』。千代古齢糖に名付けられた、というか四代横綱そのままだ。
そして千代古齢糖は『千代古齢糖風』。命名は五郎次爺ちゃん。千代古齢糖はとても気に入っていて、女相撲大会でも初出場の時からずっとこの四股名を使っている。
「梶之助くん、もしかして緊張しちゃってる?」
千代古齢糖は四股を踏みながら問い詰めてくる。
「しっ、してないよ」
「わーお!」
五郎次爺ちゃん、くるり一回転、茶の間の畳にズサーッと着地。その衝撃で入れ歯ふわり空中遊泳。
「もう、五郎次お爺様ったら。でもそこが素敵です♪」
千代古齢糖は照れ笑いする。
「フォフォフォッ、僕とっても嬉しいな、千代古齢糖ちゃんみたいな若い娘さんに投げ飛ばされてもらえて」
吹っ飛んだ入れ歯を見事口でキャッチし、付け直した五郎次爺ちゃん。
「五郎次お爺様、相変わらずハリウッドスターのようなアクションですね」
千代古齢糖は嬉しそうに微笑む。
「五郎次爺ちゃん、受け身の取り方だけは横綱免許皆伝級だな」
梶之助は呆れ返った。
五郎次爺ちゃんは大昔、かの双葉山が大活躍していた頃からの大相撲ファンだ。幼少期はラジオで大相撲中継を熱心に聴いていた。昭和二〇年代後半、テレビが普及するようになって以降は毎場所テレビ中継を楽しんでいる。三月の春場所(大阪場所)の時は生で観戦しに行くことも多い。だが彼には、大相撲以上に熱心に観戦しているものがあるのだ。
それは、この地域で七十年以上続く伝統行事、年一回開催され千代古齢糖も幼稚園の頃から毎年出場している〝女相撲大会〟である。
「千代古齢糖ちゃん、久し振りに梶之助と相撲を取ってくれんかのう。僕、お二人の対戦が久し振りに見たくなったんじゃ」
「OK! お見せしてあげるよ、五郎次お爺様。大会も間近ですし練習も兼ねて」
五郎次爺ちゃんの突然の依頼を、千代古齢糖は快く引き受ける。
「ごっ、五郎次爺ちゃん、そっ、そんな急に……」
梶之助はたじろいだ。
「今年のお正月の時に取って以来、かなり久々に対戦することになるね」
一方、千代古齢糖はかなり乗り気な様子だ。
「梶之助、マワシじゃ。力士と同じようにこれ付けてやれ!」
五郎次爺ちゃんは自室のタンスから水色のを取り出して来て、梶之助の眼前にかざす。
「梶之助くん、付けてあげるからおズボンとおパンツ脱いで!」
千代古齢糖から藪から棒に大胆発言。
「五郎次爺ちゃん、千代古齢糖ちゃん。俺、マワシ姿になるなんて恥ずかしいから嫌だよ。前にも言っただろ」
梶之助は当然のように困惑する。
「もう、情けない。小学校の頃までは喜んで付けてたくせに。そんじゃあ今回もトランクス一丁でいいよ。私はちゃんとマワシ付けてやるよ。ちょっと準備して来ます」
千代古齢糖はちょっぴり不満な面持ちで、彼女の自宅へ。
それから五分ほど後、
「お待たせーっ!」
千代古齢糖が鬼柳宅玄関先へ戻って来た。上半身は裸、ではもちろんなくレオタードを纏って、その上から女相撲用の簡易マワシを付けている。ちなみに鮮やかなチョコレート色だ。千代古齢糖は自分の名前と言語違いで同じだからなのか、この色が一番のお気に入りなのだ。
「あーら、いらっしゃい。お久し振りねぇ千代古齢糖さん」
「こんばんはー。おじゃましてます、寿美おば様」
ほどなくして、タイミングを合わせるかのように梶之助の母、寿美さんも帰って来た。御年五〇を越えているが、白髪や顔の小皺はほとんど目立っておらずまだ三〇代前半くらいの若々しさが感じられるお方である。背丈も一七〇センチ近くあり、すらりと高い。皮肉なことに、梶之助の四人いる姉は皆、彼女の遺伝子が受け継がれ一七〇センチを超えているのである。
「千代古齢糖さんのマワシ姿はいつ見てもさまになってるわね」
「それほどでもないですよぅ、寿美おば様ったら、褒め上手」
寿美さんに褒められ、頬をポッと桜色に染め微笑む千代古齢糖。
「ふふふ、かわいい。その格好してるってことは、ひょっとして――」
「その通りです。私、今から梶之助くんとお相撲取るんです!」
「やっぱり。今回はどんな攻防が繰り広げられるのか楽しみね。それじゃあ、今回もわたくしが呼出さんやろうかしら」
「そんじゃ僕、行司さんやるねっ!」
「よろしくお願いします! 寿美おば様、五郎次お爺様」
千代古齢糖に頼まれると、五郎次爺ちゃんはすぐさま大喜びで行司装束に着替えて来た。右手には軍配団扇を装備。鬼柳宅にはこんなマニアックな相撲グッズまで保管されてあるのだ。
このあと寿美さん、五郎次爺ちゃん、千代古齢糖、梶之助の四人は鬼柳宅離れにある相撲道場を訪れる。梶之助は千代古齢糖に腕を引っ張られ無理やり連れてこられたような形となった。
木造瓦葺平屋建ての小屋で、造られたのは一九〇七年(明治四〇年)。すでに創立百年以上が経過している。当然のようにこれまでに何度か改修工事がされてあるものの、外観は建立当時のままほとんど変わっていない。入口横にある『鬼柳相撲道場』と木版に縦書き行書体で肉合彫りにされた看板もかなり色あせていて、時代の流れを感じさせていた。
出入口を通ってすぐ目の前に直径十五尺(およそ四メートル五五センチ)の土俵、さらに奥側に見物用の座敷も設けられてある。
かつて、五〇年ほど前までは、この場所で毎日のように鬼柳家や近隣に住む力自慢の男共よる激しい稽古が流血も交えながら行われ、大勢の見物人で賑わっていたようだが、今ではそんな面影すら全く感じられない。
今回のように、梶之助と千代古齢糖が時たま遊びのような相撲を取る時に使用されるくらいである。
四人とも靴と、靴下も脱いで素足になり道場の中へ。土足厳禁なのだ。
「千代古齢糖ちゃん、やっぱ勝負はやめない?」
土俵を眺め、梶之助は怖気づいてしまった。
「もう、何言ってるのよ、梶之助くん。男の子でしょう?」
「そうじゃぞ梶之助。男たるもの度胸が必要なのじゃ。ご先祖様や、正代(まさよ)も草葉の陰で泣いておるぞ」
千代古齢糖と五郎次爺ちゃんが非難してくる。ちなみに正代とは、五郎次爺ちゃんの妻、ようするに梶之助の父方の祖母に当たるお方だ。二年ほど前に他界している。
「さあ梶之助くん、早く準備して」
「わっ、分かってるって」
こうして梶之助はしぶしぶ長袖ワイシャツを脱いで上半身裸となり、ジーパンも脱いでトランクス一枚だけの姿になった。彼のあまり筋肉のない細身の体が露になる。
「梶之助、しっかり頑張りなさい。それじゃ、始めますか」
寿美さんはこう告げたのち、息をスゥっと大きく吸い込んだ。
そして、
「ひがあああああしいいいいい、しょこらあああかぜえええええ、しょこらあああかあああかぜえええええ。にいいいいいしいいいいい、たにいいいかぜえええええ、たあああにいいいかあああぜえええええ」
独特の節回しで四股名を呼び上げた。ソプラノ歌手のような透き通る美声であった。梶之助と千代古齢糖はそれを合図に土俵へと足を踏み入れる。
梶之助の四股名は『谷風』。千代古齢糖に名付けられた、というか四代横綱そのままだ。
そして千代古齢糖は『千代古齢糖風』。命名は五郎次爺ちゃん。千代古齢糖はとても気に入っていて、女相撲大会でも初出場の時からずっとこの四股名を使っている。
「梶之助くん、もしかして緊張しちゃってる?」
千代古齢糖は四股を踏みながら問い詰めてくる。
「しっ、してないよ」