はっきよい! ショコラちゃん~la mignonne petite fille~
 梶之助はこう答えるも、内心していた。仕切りのさい、彼は照れくさそうに四股踏みをする。その所作は、千代古齢糖と比べるとかなりぎこちなかった。
 仕切りを四度繰り返したところで、寿美さんから制限時間いっぱいであることが告げられた。
(なんでこんなことしなきゃいけないんだよ?)
 梶之助はかなり緊張の面持ちで、
(梶之助くん、あれから少しは強くなってるかな?)
 千代古齢糖は楽しげな気分で土俵中央に二本、縦に白く引かれた仕切り線の前へ。
 両者、向かい合う。
「さあ、梶之助くん、思いっきりドンッってぶつかってきてね!」
 そう言って、こぶしで胸元を叩く千代古齢糖。余裕の面持ちか、にっこり笑っていた。
「お互い待ったなしじゃ。手を下ろして」
 五郎次爺ちゃんから命令されると、両者ゆっくりと腰を下ろし蹲踞姿勢を取ったのち、仕切り線手前に両こぶしを付けた。
「見合って、見合って。はっきよーい、のこった!」
 いよいよ軍配返される。
 梶之助は千代古齢糖に言われた通り、渾身の力をこめて突進していった。すると千代古齢糖のマワシをいとも簡単にがっちり捕まえることが出来たのだ。
「梶之助くん今回すごくいい当たり。その調子でもーっと私を強く押してみてね」
「うっ、動かねえ……」
 千代古齢糖の体は、まるで巨大な岩のようだった。
「もう、私のペッタンコなおっぱいにこーんなにお顔埋めちゃって、エッチね」
「いや千代古齢糖ちゃん、俺、決してそんなつもりは――」
 梶之助はびくっと反応し、千代古齢糖のマワシから両手を離してしまった。
「せっかくわざとマワシ取らせて梶之助くん有利にしてあげたのにな。とりゃあっ!」
 千代古齢糖の威勢のいい掛け声。
「うわぁっ」
 その瞬間、梶之助は一瞬のうちに千代古齢糖の肩に担ぎ上げられ空中一回転。先ほどの五郎次爺ちゃんと同じ技をかけられてしまったのだ。
「ただいまの決まり手は一本背負い、一本背負いで千代古齢糖風の勝ち! どうじゃ梶之助、地球にいながらにして無重力空間を漂っているような清清しい気分になれたじゃろ? 千代古齢糖ちゃんの一本背負いは五つ星じゃよ。この技で僕もアストロナウト気分が味わえるんだもん」
「ならないよ、全然。というか俺、思いっきり地面に腰打ち付けた。めっちゃ痛え。後で青痣出来るぞ、こりゃ」
 風対決。全く何も出来なかった梶之助の完敗であった。
「ちゃんと受け身取らないからだよ。えっへん。どうだ梶之助くん、参ったか?」
 無様にうつ伏せに転がっている梶之助を容赦なく上から見下ろす千代古齢糖。しかもトランクスがずれて半ケツ状態になっている所を容赦なく踏みつけてくる。さらには勝利のポーズVサインまで取られてしまった。
「また負けちゃった。やっぱ千代古齢糖ちゃんは強過ぎるよ。押しても全く動かないし」
 けれども梶之助はかなりの屈辱を味あわされながらも、悔しさはあまり感じなかった。なぜなら学力面では千代古齢糖に遥かに勝っていることに誇りを持っているからだ。淳甲台高校入学式の翌日に行われた新入生テストの総合得点学年順位は全八クラス三一七名いる内、梶之助は五六位と大相撲の番付に例えるならば幕下上位レベル、千代古齢糖は二六四位と序二段レベルだったのだ。ちなみに光洋は二六七位で千代古齢糖とほぼ互角。秋穂は五四位で梶之助とほぼ互角である。利乃は五位で、大関レベルであった。
「私は日々足腰を鍛えてるからね。梶之助くんももう少し粘れるようになってね」
「うっ、うん」
 千代古齢糖はそう言い放つと、こんなひ弱な梶之助に手を貸してくれ優しく起こしてくれた。彼の体にべっとり付いた土も手で払ってくれた。いつもこんな感じなのだ。
「予想通りの結果ね」
「梶之助よ、力の差がますます広がってもうたようじゃのう。男子たる者、力は女子より上であらんといかんのに。まあ僕も、千代古齢糖ちゃんはもちろん寿美さんにも力負けするから人のことは言えんがのう」
 その様子を眺め、寿美さんと五郎次爺ちゃんはにっこり微笑む。
 幼稚園の頃から今までに百回以上はここで対戦しているが、今まで梶之助が千代古齢糖に相撲に勝てたことはたった一回だけ。しかもそれも、千代古齢糖の勇み足によるラッキーなものだった。
 梶之助は、千代古齢糖ちゃんが鬼柳家の男だったら良かったのに、と思うことが何度もあった。
「梶之助くん、ご協力ありがとう。いい運動になったよ。なんかお腹空いてきちゃった」
 千代古齢糖は満足げににこっと笑う。
「千代古齢糖さん、良かったらお夕飯も食べてく? 今晩はスープカレーよ」
「スッ、スープカレーですとぉ! もっ、もちろんいただきます。私の大好物ですからぁっ♪」
 エサを目の前にして「待て!」の命令をかけられた犬のごとく涎をちょっぴり垂らしながら喜ぶ千代古齢糖。
 寿美さんは小学校の家庭科教師を勤めている。料理の腕前はプロ級なのだ。
「それじゃ、あとはお掃除よろしくね」
 夕食準備のため、寿美さんは先に道場を後にし、鬼柳宅の台所へ。
 残った三人は協力して土俵を竹箒で掃いて均してから、鬼柳宅の茶の間へと向かっていく。そこで待っている間、千代古齢糖はお母さんに今夜は梶之助くんちで夕飯をいただくという連絡をスマホでしておいた。
「はーい、出来たわよ。千代古齢糖ちゃんの分は横綱レベルの辛さの虚空にしたよ」
 しばらく待つと、寿美さんが四人分を卓袱台席へと運んで来てくれた。
「わぁーい。ありがとうございます、寿美おば様。スタミナが付きそう」
 マグマのように真っ赤なスープが千代古齢糖の目の前にででーんとご登場。千代古齢糖は幼い頃から筋金入りの辛党なのだ。
(俺はレンタルDVDで見た口だけど、一昔前のド○えもんの映画でパパの大好物として出された〝とかげのスープ〟よりも度肝を抜く強烈なインパクトだ)
 梶之助はこんな印象を抱きつつ、
「千代古齢糖ちゃんの、すごいね。俺なんか覚醒でも水なしじゃ辛くて食えないのに」
 千代古齢糖の方を向いて話しかけた。
「梶之助くんはまだまだお子様だもんね。辛いの無理だよね。あっかちゃーん」
 千代古齢糖は指差してゲラゲラ笑ってくる。
「俺よりちっこい千代古齢糖ちゃんには言われたくないよ。これくらい俺でも食える!」
 さすがの性格穏やかな梶之助も、これにはちょっとだけカチンと来た。
「へえ、強気ね梶之助くん。じゃあさっそく食べてみてよ」
「……わっ、分かったよ」
「はいどうぞ、召し上がれ」
「……」
 こうなってしまったら後戻りは香車の駒のごとくもう出来ない、と後悔もした梶之助の前にススッと差し出されたその地獄皿。
(この赤いものは、例えるならえーと……そうだあれだ! ヨーグルトやアイスなんかに入ってる〝つぶつぶいちご〟だと思って食えばいいんだ。そう考えればこんなもの楽勝、楽勝)
 こう自己暗示した梶之助は、男らしく赤い部分が特に目立つ所を目掛けてレンゲを振り下ろす。掬い取ると休まず口の中へ一気に放り込んだ。
「……ん? あっ、あんまり、辛くないような……」
 ところが約二秒後、
「っ、ぅをわああああああっ!」
 彼の口元は一瞬にしてバーナーの点火口へと姿を化した。
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