はっきよい! ショコラちゃん~la mignonne petite fille~
 すぐさま冷蔵庫へ光の速さで猛ダッシュ。五百ミリリットル入りアイスココアを取り出して一気にゴクゴク飲み干す。
 辛さは後になってじわりじわりと襲って来たのだ。
「アハハハ、やっぱり無理じゃない」
 千代古齢糖は得意げになっているのかまたもや笑顔でVサイン。
「くそっ」
 梶之助の舌はまだピリピリ痛みが走っていた。
「千代古齢糖さん、梶之助ああなっちゃったけど、大丈夫かな? 少し薄めようか?」
 寿美さんは少し心配する。
「このままで大丈夫ですよ寿美おば様。そんじゃ、いただきまーす。あー美味しい♪」
 千代古齢糖はそいつを平然と口の中へとベルトコンベアのように流れ作業的に運んでいく。とても幸せそうな表情を浮かべながら。これも梶之助の完敗だった。
「さすが千代古齢糖ちゃんじゃ。タイ人もびっくりじゃな」
 五郎次爺ちゃんは褒めながら、自身は梶之助の分と同じ辛さのスープカレーに舌鼓を打っていた。
「満腹、満腹。ごっちゃんでしたぁーっ!」
 ちゃっかりお代わりまでいただいた千代古齢糖に、
「千代古齢糖さん、ついでにお風呂も入っていかない?」
 寿美さんはこう勧めてみた。
「そうですねー。さっきの相撲と、このカレーでかなり汗かいちゃったし。お湯もいただいちゃいます」
「千代古齢糖ちゃん、僕といっしょに入らんかのう」
 五郎次爺ちゃんはにこにこ微笑みかけ誘ってみるが、
「五郎次さん、ダメよ。千代古齢糖さんはもう年頃の女の子なんだから」
「アイッ!」
 寿美さんにステンレス製のお玉杓子で後頭部をコチッと叩かれてしまった。
「私も、五郎次お爺様と入るのは、さすがに恥ずかしいです。でも、梶之助くんとなら全然気にならないですよ。梶之助くん、久し振りにいっしょに入ろう!」
「入るわけないだろっ!」
 梶之助は間、髪を容れず拒否。
「もう、梶之助くんったら大人びちゃって。下はまだまだお子様サイズのくせに」
 千代古齢糖は笑いながらそう言い放って、風呂場の方へとことこ走っていった。
「ああ、その通りだ……ていうか、なんで知ってる?」
 梶之助は困惑顔で突っ込む。
 週に一、二回、千代古齢糖が夕方以降に鬼柳宅を訪れる時は、三〇パーセントくらいの確率で夕飯をいただき、二〇パーセントくらいの確率でお湯をいただいていく。鬼柳宅には、自慢ではないが大の男が十人以上は一度に入れるとても広い檜風呂が備え付けられてあるのだ。ちなみに風呂掃除や湯沸しは基本的に五郎次爺ちゃんが担当している。

「あー、汗も引いてさっぱりしましたぁ。それではそろそろお暇しますね」
 風呂から上がった後、千代古齢糖は満足げな表情を浮かべながら茶の間に戻って来てこう告げる。
「千代古齢糖ちゃん、今度は九〇年代末の大相撲ビデオを貸してやろう。九九年初場所の千代大海が若乃花に本割りと決定戦で連勝して逆転優勝をつかむ取組は特に見ものじゃぞ」
「ありがとうございます、五郎次お爺様。楽しみです」
 千代古齢糖は受け取った五本のVHSカセットを嬉しそうに両手に抱えると、玄関先へ。
「またね千代古齢糖ちゃん」
「千代古齢糖さん、またいつでもいらしてね」 
「オルヴォワール千代古齢糖ちゃーん。また僕を投げ飛ばしに来てシルブプレ♪」
「ではさようなら、今日はたいへんお世話になりました」
 千代古齢糖はぺこんと一礼して玄関から外へ出る。仄かにラベンダーセッケンの匂いを漂わせながら、徒歩数十秒の夜道を帰ってゆくそんな彼女の後姿を、三人は見えなくなるまでじっと眺めていた。
 ちなみに権太左衛門はそれから三〇分ほどして帰って来て、一人で少し遅めの夕飯を取ったのであった。

         ※

 五月二日、清清しい五月晴れ。
「ボンジュール、梶之助ぇ。昨日のやつよりもカルシウム成分をたっぷり含ませたぞ。ビタミンも豊富じゃ」
「いらねえ。五郎次爺ちゃん、戦前生まれのくせに食べ物を粗末に扱っちゃダメだろ」
 今朝も、やはり梶之助はいつものように五郎次爺ちゃんから特製ドリンク(今日は蜆とトマトとピーマンをオレンジジュースにブレンドさせたもの)を振舞われ、即効流しに捨てる。五郎次爺ちゃん拗ねて寝込む。そのあと千代古齢糖が迎えに来て、二人はほぼいつも通りの時刻に登校。
 淳甲台高校一年二組では、今日の一時限目は体育が組まれてあった。
 男女別二クラス合同。今のカリキュラムはグラウンドで男子はサッカー、女子はソフトボールを行うことになっている。
 男子が準備運動として腕立て伏せをしていた際、
「先生ぇ、南中さんが倒れたよ」
 女子生徒の一人がこう叫んだ。
(えっ!)
 梶之助は視線を女子のいる方へとちらりと向けた。
 本当に、秋穂がうつ伏せに倒れこんでしまっていた。
 一周二百メートルのトラックを走っている最中だったらしい。
「秋穂さん、大丈夫? 頭打ってない?」
 並走していた利乃は中腰姿勢になり、秋穂の顔色を心配そうに見つめる。いつもはきれいなピンク色をしている唇が、白っぽく変色していた。頬も少し青白くなっていた。
「あっ……リノ、ちゃん」
 秋穂は幸い、すぐに意識を取り戻した。
「熱中症?」
「貧血だよね」
「南中さん、大丈夫か?」
 二人のすぐ近くにいたクラスメート達、女子体育担当教官も近寄ってくる。その声が十数メートル離れた梶之助達の耳元にもしっかり飛び込んで来た。
「秋穂ちゃぁん! 大丈夫?」
 すでにノルマの三周走り終え素振りをして待機していた千代古齢糖もバットを投げ捨て、すごい勢いで秋穂の側に駆け寄って来た。中腰姿勢で心配そうに話しかけてあげる。
「うん、平気、平気。ちょっとくらっと来ただけだから。軽い貧血だよ」
 秋穂はこう答えて、すぐに自力でゆっくりと立ち上がった。
「よっ、よかったぁ」
「わたしも、とても心配したよ」
 千代古齢糖と利乃はホッと一安心した。
「でも、保健室には行った方がいいよ。保健委員の子、南中さんを保健室へ連れて行ってあげてね」
 担当教官から頼まれる。
「先生ぇ、その子、今日欠席です」
 女子生徒の一人が伝えた。
「あらまっ」
 担当教官は照れ笑いする。まだ出欠確認をする前だったので、気づかなかったのだ。
「じゃあ私が、秋穂ちゃんを保健室へ連れて行くね。あの、秋穂ちゃん、一人で歩ける? おんぶしよっか?」
 千代古齢糖は積極的に名乗り出た。
「なんか悪いけど、その方が楽そうだし、そうさせてもらうね」
 秋穂はゆったりとした口調で、元気なさそうな声で伝えた。
(千代古齢糖ちゃん、心優しいよな)
 梶之助は準備運動をしつつ、時折様子を眺めていた。
「しっかり掴まってね」
 千代古齢糖は秋穂の前側に回ると、背を向ける。そして少しだけ前傾姿勢になった。
「ごめんね、ショコラちゃん」
 秋穂は申し訳なさそうに礼を言い、千代古齢糖の両肩にしがみ付いた。
「――っしょ」
 千代古齢糖は一呼吸置いてから、秋穂の体をふわっと浮かせる。
 体格は秋穂の方が大きいのだが、千代古齢糖は軽々と持ち上げてしまった。
「ショコラちゃん、本当にごめんね、迷惑かけちゃって」
「べっ、べつにいいよ、気にしないで」
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