お嬢様は“いけないコト”がしたい
「アナタに当たっていたかもしれない。
ここ数ヶ月、色々とあって私も確かにイライラしてたから。」



お会計の所でお母さんが男の子にそう言った。



「うちはこんな飲食店ですからね、色んなお客さんが来るので大丈夫です!!」



男の子がそう言った後、お母さんが出した1万円札でお会計をしていく。



「・・・というのは綺麗事で!!
俺、高校2年のガキなので正直な話をしちゃうと、ここまでのお嬢様が来たのは初めてですね。」



男の子が楽しそうに笑いながらお釣りをお母さんに渡した。
お釣りをお財布に仕舞った後、お母さんは1枚の名刺を男の子に差し出した。



「これ、うちの顧問弁護士の連絡先なの。
清掃の費用やこの後にお客様を入れられなかった損害、きちんとお支払いするから親御さんにこの名刺を渡して?
そしたらこの弁護士が対応するから。」



お母さんが差し出した名刺をジッと見下ろす男の子。
受け取ることはなく、ただジッと見下ろしているだけ。



そして真面目な顔でお母さんのことを見た。



「常連さんから話は聞いたことがありますけど、だから1回も俺に謝らなかったんですか?」



何も言えないお母さんと私に男の子は続ける。
まさかこんなことを言われるなんて思いもしなかったのでお母さんも私も何も口から出てこない。



「謝罪をしてしまったことにより不利になることもあるらしいですからね。
てっきり謝罪することも知らないお嬢様なのかと思っていましたけど、そっちじゃないみたいですね。
社会的強者だからこその知識なんでしょうね。」



男の子はそう言いながら名刺を受け取らず、お母さんのことを見詰め続ける。



「高校2年のガキの俺がこの店を継いでいることを心配してくれている常連さんから、煩く色々と教えられますけど・・・。
でも、“ありがとう”と“ごめんなさい”という言葉は1番大切な言葉だと俺は思います。
うちの家族はマジでめちゃくちゃですけど、その言葉でなんとか維持出来ているくらいの凄い言葉なんですよ。」



それから私に視線を移し、眩しいくらいの若さを持つ笑顔で笑い掛けてきた。



「こんな場所に開いたくらいの店ですし、うちは親の代からお客さんとの繋がりを大切にしてきた店です。
故意に吐いたわけでも悪質な何かをされたわけでもないお客さんに清掃代や損害を請求することもしません。
そんなことよりも俺は・・・」



言葉を切った後に何処かを指差した。
そこにはメニューが書かれた紙が貼ってある。



「ラーメン1杯でも食べにまたお店に来て貰った方が嬉しいです。
“普通”以下の料理しか出せない店ですけど、あの醤油ラーメンだけは味にも煩い常連さんがよく食べてるラーメンなんですよね。」



「うん、分かった。
この洋服も返しに来たいから、また来るね。」



あんなに汚い姿を見せてしまい、“もう二度と会いたくない”と思うくらい恥ずかしい気持ちもあるけれど、それ以上に“また来たい”という気持ちにもなる。



そう思いながら、鞄の中から封筒を取り出した。
お父さんからプレゼントで貰った商品券が入っている封筒、それをお会計の台に置いた。



「これ、商品券です。
“ありがとう”と“ごめんなさい”の気持ちです。
50万円入っていますので、これで足りるといいんだけど。」



「・・・はあ?」



男の子が凄く嫌そうな顔でその封筒を見下ろし、それから凄く怒った顔で私のことを見た。



「こんなのいらねーよ。
どんな気持ちの表し方だよ、気持ち悪い。」



私の気持ちを気持ち悪いと言われ、そんなことを言われたことには驚く。
こんなことを誰かに言われたことは初めてなので、それには驚くしかない。



「俺、マジでお嬢様とか無理。」



そう言われ・・・



そこまでハッキリと言われ・・・。



それには強い衝撃を受ける。



でも、私は大きく頷きながら笑った。



「私もマジでお嬢様とか無理だよ!!
お嬢様も凄く大変なんだよ!?」



そう言ってから封筒をまた手に取り、この胸に抱いた。



男の子は笑いながら何度も頷き、私の胸を指差してきた。



「商品券って現金ですからね?
扉を開け放したままの誰が見ているかも分からないこんな場所で、こんな風に簡単に俺に渡していい物ではありませんから。
今まで何もなかったからそういうことをしているんでしょうけど、今日は“何か”があるかもしれませんからね?
常にそういう危機感を持って生活をした方がいいですよ。」



若い男の子、高校2年生の男の子からそんなお説教をされてしまった。



厳しすぎる世界だった。



この“中華料理屋”安部”は、私が知らない厳しすぎる世界だった。



高校2年生の男の子が営んでいる、厳しすぎる世界がこの古くて狭くて汚い中にあった。



「俺、定時制の高校に夜間通っているので、平日は昼から夕方までの営業なので。
土日は昼から開いてますので、いつでも来て下さい。」



怒っている顔ではなく、また眩しすぎる若さを持つ笑顔で私に言った。



「定時制の高校でもこの店でも色んな人を見てきたつもりですけど、流石に今日のことは忘れられません。
ずっと覚えているはずなので、いつか気が向いたら来てください。
俺はずっとここで待っているので。」



男の子がそう言ってくれ、私も笑顔で頷いた。



「ありがとう。」



「はい。」



最後にこの男の子の姿を確認するようによく見て、私は背中を向けた。



それからお店の扉から一歩踏み出そうとした時・・・



「あ。」



男の子が何かを思い出したかのように声を上げた。
その声に振り向くと、男の子は照れたような顔で笑って・・・



「誕生日おめでとうございます、羽鳥さん。」



“羽鳥さん”と・・・



私のことを“羽鳥さん”と呼んだ。



今日から“羽鳥一美”の人生を生きていく私に、初めて“羽鳥さん”と呼んでくれたのはこの男の子だった。



“中華料理屋 安部”と書かれたティーシャツを着ている男の子。



苦しくて気持ち悪い24歳の誕生日になるはずだった今日を、こんなに晴れやかな気持ちにさせてくれた男の子。



夏の重い空気も苦しくはなかった。



苦しくはないけれど、なんでかドキドキとした。



なんでかこんなにもドキドキとした。



“羽鳥一美”ではなく、ただの“羽鳥”になりたい、そんなことを思ってしまいそうなことに気付き、私は慌てて口を開いた。



「じゃあ、行ってくるね。
“小関一美”の過去を持って、“羽鳥一美”として行ってくるね。」



「はい。」



男の子が頷いてくれたのを最後に見て、私は一歩踏み出した。



“中華料理屋 安部”から踏み出した。










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