お嬢様は“いけないコト”がしたい
幸治君と手を繋いだまま電車に揺られ、身体を寄せ合うように立ち他愛もない話をした。
溶けた氷まで飲んだ甘すぎる飲み物、空になったカップを片手で持ちながら。



「1日中洋服を見て回ったのに結局何も買えなかった、ごめんね?」



「明日は日曜日ですし、明日も付き合いますよ。
あ、でも午後からで大丈夫ですか?
午前中ちょっと仕事しないといけなくて。」



「出勤するの?」



「家で出来ることなので家でやります。」



「幸治君って・・・何の仕事してるの?」



私がまた聞くと幸治君は一瞬黙った。
でもすぐに口を開き・・・



「普通の仕事です。」



またその返事をした。



「普通の仕事なら教えてくれてもいいのに。」



「“中華料理屋 安部”だった幸治君、くらいが俺には丁度良いので。」



「どういうこと?」



「もう高校生のガキではないので、想像も夢も見ないくらいの大人でいたいので。」



そんなよく分からないことを言って、普通の顔で笑いながら私を見下ろす。



「俺は羽鳥さんのことを異性として好きになることはもう絶対にないので。
羽鳥さんが“最後の時”を決めた時、俺が“いけないコト”に付き合うのは終わりです。
その時にちゃんと離せるよう、“中華料理屋 安部”だった幸治君くらいが丁度良いです。」



そう言いながらも私の右手は強く強く、痛いくらいに強く握られていく。



だからか凄く“苦しい”と思って、私はまた少しだけ幸治君に近付いた。



そして、幸治君の肩にゆっくりとオデコをつけ・・・



空になっているカップの中身をストローで飲み込んだ。
幸治君が口をつけていたストローで・・・。



もう空気しか飲み込むことは出来なかったけれど、空気まで甘い味がした。



でも、なんでか苦い味に感じた。



「私も幸治君を異性として好きになることは絶対にないよ。
だから付き合って・・・。
私が“いけないコト”をするのに、“最後の時”まで付き合って。」



“最後の時”が何処なのか、“最後の時”が何時なのか、“最後の時”が何なのかは分からないけれど、そう吐き出した。



幸治君になら何でも吐き出せるから・・・。



でも、吐き出せていたはずなのに、吐き出せていなかった気持ちがあったことにさっき気付いた。



当時はそこまでは分からなかった。



深く考えないようにしていたからかもしれない。



深く考えてしまったら、お嬢様の私は“中華料理屋 安部”に行くことは出来なかったと思う。



たった1つだけしていた“いけないコト”まで出来なかったと思う。



当時の気持ちにやっと気付きながら、幸治君の肩にオデコだけではなく唇を少しだけつけた。



“好きだった”と思いながら・・・。



私は、“中華料理屋 安部”が異性として“好きだった”と思いながら・・・。



それに気付き、それが分かった瞬間・・・



グラッと電車が揺れた。



そしたら・・・



幸治君の左手が私の右手からパッと離れ、私の腰に回り抱き締めてきた。



抱き締めてきて・・・



もっと幸治君の身体に抱き寄せてきた。



強く強く、抱き寄せられた・・・。



男子高校生だった“中華料理屋 安部”ではなく、大人の男の人になった“中華料理屋 安部”だった幸治君に、31歳になってしまった私が抱き寄せられた。



それが凄く“嬉しい”と思い、凄く“苦しい”とも思った。
< 64 / 104 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop