お嬢様は“いけないコト”がしたい
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“中華料理屋 安部”へ続く道を今日も歩いていく。
今日はスーツ姿でいつもより低めのヒールの靴で、最寄り駅からこの道を歩いていく。



あれから何度も何度も歩いてしまった道。
そして何度も何度も自分に言い聞かせてこれ以上先には進まなかった道。



「羽鳥さん?」



最後の曲がり角を曲がり立ち止まった私を、翔子さんの婚約者である一夜(いちや)さんが不思議そうな顔で見てきた。



私はいつもこの曲がり角を曲がった場所で立ち止まっていた。
そしてここから“中華料理屋 安部”を眺めていた。



ただ眺めるだけでいた。



私は増田財閥の分家の女、“小関一美”の過去を持ち“羽鳥一美”として生きる女。
増田財閥の分家の女として生きることを選んだ女。



でも・・・



「私は、永家不動産の羽鳥一美・・・。」



「そうですね、今日までは永家不動産の羽鳥一美さんですね。」



一夜さんが楽しそうに笑い、私のことを見下ろしてきた。



「行きましょう、冒険の最後です。」



「冒険の最後・・・?」



「こんな金額を翔子さんに叩き出させた羽鳥さんの冒険、今日がその最後です。
羽鳥さんはうちの会社に来た初日から、そんなに高いヒールの靴ですぐに翔け始めました。
たった2ヶ月で冒険は終わってしまいましたけど、最後にこんな金額を翔子さんに叩き出させたということは、ある意味翔子さんより強者になれたという証明だと思います。」



「はい、翔子さんからそう思って貰えるよう、頑張ってきましたから。」



「また冒険がしてみたくなったらいつでもうちに来てくださいね。」



一夜さんが優しい顔でそう言って、“中華料理屋 安部”に視線を移した。



「羽鳥さんにまたうちに来て貰う為に、まずは売って貰わないといけませんね。」



「あの・・・私、永家財閥に行くことはもうないかと・・・。」



「どんな理由でも用事でもいいですよ。
翔子さんがこのまま手放すのは惜しいと思っているだけです。
羽鳥さんとの繋がりも大切にしたいと思っていますので、今後何かありましたらいつでも来てください。」



そんな嬉しいことを言って貰え、今日初めてこんなに会話をした一夜さんに笑い掛けながら頷いた。



それから深呼吸をして一歩、踏み出した。



毎週末ここから眺めていただけの“中華料理屋 安部”に向かって、踏み出した。



永家不動産の羽鳥一美として・・・。



ずっとずっと会いたかった幸治君に会いに・・・。



お嬢様の私では幸治君の為に出来ることは何もなかったけれど、今ならある。



今なら幸治君の為に出来ることがあるから。



幸治君が高校3年生、高校を卒業する数日前、幸治君の18歳の誕生日だった3月10日。
私が25歳の時に“最後”にしたはずの“中華料理屋 安部”へ向かって、初めてのスーツ姿と低めのヒールの靴で歩いていく。
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