お嬢様は“いけないコト”がしたい
「うん、つい数日前だけど知ったよ。」



「そうなんですね。
俺は羽鳥さんが24の時、この場所で初めて会った瞬間から知ってました。
羽鳥さんってヤバい女で・・・」



言葉を切った後、嬉しそうな顔で私に視線を移した。



「“中華料理屋 安部”のことが大好きなんですよね。」



そう言われ、私は普通に頷いた。



頷いた私に幸治君は楽しそうに笑い・・・



「羽鳥さん、ありがとうございました。」



私にそう言った。



幸治君のその顔を見て、私は小さく頷く。



そんな私に幸治君も頷く。



気付いている。



幸治君はきっと気付いている。



私の営業成績がヤバいという理由はないということに。



幸治君の家族の為、そして結果的に幸治君の為になるよう、私が今日来たということに。



私はそういう常連客だった。



それくらいの常連客だった。



“中華料理屋 安部”の幸せを誰よりも願っているような、その自信だけはある常連客だった。



「後のことは須崎さんに連絡するようにお父様にお話して?」



「はい。・・・頂戴します。」



幸治君が一夜さんから名刺を受け取った。
名刺を自然と受け取った幸治君の姿を見て・・・少しだけ違和感を抱いた。



だって、あまりにも綺麗に名刺を受け取れていたから。



カウンターの出入口の方まで回った一夜さんの方に歩いていき、ビジネスマンがするように綺麗な姿で名刺を受け取っていた。



「なんだか大人になったね、幸治君。」



思わずそう言った私に、幸治君は首を横に振った。



「いや、全然大人になれてない。
内心めちゃくちゃになってる。」



昔、私のことが女として好きだった幸治君が結構怒っている顔で私のことを見てきた。



「満足しました?」



そう言われ・・・



「なんか、ごめんね?」



ワガママではなくエゴを押し付けたのかもしれないと思った。
私にだけ利益があるエゴを。
幸治君にとっては何かの損失になるようなエゴを。



でも・・・



「ワガママでもエゴでも、受け取ってくれてありがとう。」



カウンター越しからそう伝えた。



「羽鳥さんから渡されたモノならどんなモノでも受け取りますよ。
俺にとってはそれくらいの常連客でしたからね、羽鳥さんは。」



「うん・・・。」



小さく返事をした私に、幸治君は悲しそうに笑いながら私を見詰めてきた。



「俺にとって羽鳥さんは、それくらいの常連客でした。」



昔私のことが女として好きだった幸治君がもう1度その言葉を言った。



“例え好きな人がいても、こんな中華屋の俺が好きになったなんて相手には言えないし言いたくもない。
そんなの迷惑を掛けて困らせて俺から離れてしまうだけだから俺は絶対に言わない。
また会える未来があるなら、俺はずっとその想いを持ったまま我慢する。”



いつか聞いた幸治君のその言葉を思い出す。



「醤油ラーメン、また食べに来てください。
来る時は事前に店に連絡して貰えますか?」



真剣な顔でそう伝えてくれる幸治君に私は頷かなかった。



もう来ることはないから。



あの曲がり角までも、きっともう来ることはないから。



これが“最後”。



これが本当の“最後”の日。



お嬢様の私が幸治君の為に“何か”をすることが叶った、“最後”の日。



4年前はあんな最後になってしまったから。



「“最後”にまたここに来られてよかった。」



そう言った私に幸治君の瞳は大きく揺れ・・・



でもすぐに静かに笑い、小さく何度も頷いていた。



それを見た後に私はまたカウンター席に座り、残っていた醤油ラーメンのスープを一気に飲んだ。
昔はレンゲで長い時間を掛けて飲みきってきたスープを、丼を持ち上げ口をつけて飲んだ。



私は今、永家不動産の羽鳥一美だからこんなことまで出来る。



大きなワガママだって言えるし、ずっと会いたかった幸治君に会いに、そして幸治君の為に私が出来ることを押し付けにくることだって出来る。



そう思っていたら“何か”が沸き出てきて・・・。
幸治君に伝えたい“何か”が込み上げてきて・・・。
それをこの美味しいスープで一気に飲み込んでいった。
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