お嬢様は“いけないコト”がしたい
幸治君のその言葉に私は何度も頷く。



「うん、知ってるよ。
幸治君は凄く楽しそうでもあった。」



「はい、楽しかったです。」



「今もちゃんと楽しいならよかった。」



「はい。」



「私も・・・私も、これからも頑張るね。」



「はい、楽しくも生きてくださいね。」



そう言われ・・・



「楽しくはいいかな。
それは諦めてる。
それはずっと諦めてきたし、それが当たり前のことだから。」



私がそう言うと幸治君が真剣な顔で私のことを見詰めてきた。



「俺もそれを知ってます。
それでも羽鳥さんには楽しく生きて幸せになって欲しいと思っています。
俺には何も出来ませんけど・・・。
俺が羽鳥さんの為に出来ることは何もありませんけど・・・。」



少しだけ苦しそうな顔でパッと店内を見た。



「すみません、少しだけ待ってて貰えますか?
駅までこの2人をお送りしたいので。」



「おお、こっちは全然大丈夫!
・・・でも幸治、お前今日どうしたんだ?」



「今日は今までの俺の人生の中で、久しぶりの休みの日です。
なのでちょっと、いいですか?」



「ちょっとどころかゆっくり休んでろ!
他にお客さんが来たら俺が水くらいなら出しておくから!」



「ありがとうございます。」



幸治君が常連さんだと思われる男の人と楽しそうに話し、それから一夜さんと私の方を見てきた。



「駅まで送ります。」



それには慌てて首を横に振る。
そしたら一夜さんも同じ動作をしたのが視界の中で見えた。



「安部さんの気持ちだけ頂くよ。
羽鳥さん、このまま会社戻ります?」



「はい、荷物の整理もありますしそのつもりです。」



「そっか、俺タクシー拾うから途中まで一緒に乗せていくよ。」



「はい、ありがとうございます。」



「夜、お店に間に合うようには戻るから。」



今日の夜、私の送別会を部署で開いてくれることになっていた。
それには頷き、“中華料理屋 安部”の扉を開いた一夜さんの後ろに続く。



一夜さんが結構急いでいるのを感じながら。



「幸治君、今日はお休みの予定だったの?
時間をくれてありがとうね。」



「いえ。」



「お父様によろしくね?」



「はい。」



「じゃあ、行ってくるね。」



その言葉を久しぶりに言う。
“中華料理屋 安部”の扉の所、ここを出たら私は増田財閥の分家の女、羽鳥一美に戻る。
いつもそう思いながらこの言葉を言っていた。



増田財閥の分家の女、羽鳥一美として頑張って生きる為に。



こんなに頑張っている幸治君のように私も生きる為に。



明日から、私はまた増田財閥の分家の女、羽鳥一美として生きる。



“じゃあ、行ってくるね。”



そう言った私に幸治君は何も言ってくれない。



いつもは“はい”と言ってくれていたのに、私のことを真剣な顔で見詰め続けたまま口は結んでいる。



そしたら・・・



「羽鳥さん。」



一夜さんから呼ばれ、それには慌てて足を一歩踏み出した。



“中華料理屋 安部”から踏み出した。



「今まで本当にありがとう。
なんか・・・ごめんね?」



約4年前にも伝えた言葉を今日も言った。



そして私は歩きだした。



“中華料理屋 安部”から歩きだした。



私の背中に幸治君からの叫び声は聞こえなかった。



これが“最後”。



これが本当の“最後”の日。



幸治君の為に私が出来ることが出来た。



ワガママではなくエゴの押し付けだったかもしれないけれど、それを渡すことが出来た。



「一夜さん、この案件の今後のフォロー、よろしくお願いします。」



「了解です。」



一夜さんの力強い返事を聞き、それには安心しながら歩き続けた。



振り返ることなく、歩き続けた。
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