お嬢様は“いけないコト”がしたい
聞いた私に、ダイニングテーブルにご飯を運んでいた幸治君の動きが固まった。
そんな幸治君のことをダイニングテーブルから見詰める。



「付き合ってもいない関係なのに一緒に住んで、気持ち良い“いけないコト”も少しだけしてて、そして・・・」



揺れ始めた幸治君の瞳を見詰めながら続ける。



「好きでもないし付き合ってもいないけど、私は幸治君の奥さんになりたい。」



「・・・それは無理ですって。
それは付き合えないです。」



幸治君が小さく笑いながらダイニングテーブルの上にご飯を置いた。
私のことを見ることなく小さく笑い続ける幸治君にまた口を開く。



楽しく生きる為に。



私は楽しく生きたい。



幸治君が作ってくれたこの大切な時間を、私は全力で楽しく生きる。



「私が満足するまで、幸治君の奥さんみたいに振る舞うっていう“いけないコト”がしたい。」



驚いた顔でパッと私の顔を見てきた幸治君に笑い掛ける。



「私が満足するまで付き合って、幸治君。
“羽鳥さん”じゃなくて“一美さん”になりたい。
“普通の幸治君”の奥さん、“普通の一美さん”になりたい。」



“中華料理屋 安部”に来ていたお客さんのことを名前で呼ぶことはなかった幸治君。
幸治君にとってあのお店に来ていた人はお客さんでしかなかった。



そんなの見ていたら分かる。
幸治君はみんなにそういう風に振る舞っていた。



なのに・・・



そんな幸治君を“友達”だと思っていたという煩くて面倒でヤバい人。



その人は自分に自信があるからそんなことを思っていたのかもしれないけれど、私は違う。



私は人生で初めてのお休みの日を楽しく生きたい。



幸治君が私の為に作ってくれたお休みの日。



それを全力で楽しく生きたい。



「分かりました、付き合います。」



知っていた。



私は幸治君がそう頷いてくれるのを知っていた。



私はそれくらいの常連客だった。



“中華料理屋 安部”にとって、私はそれくらいのただの“羽鳥さん”だった。



「一美さん。」



幸治君から“羽鳥さん”と呼ばれることが大好きだった。



でも・・・



それ以上に・・・



顔を少しだけ赤らめ、照れたような顔で幸治君が笑い・・・



私のことを“一美さん”と呼んでくれたことは凄く“嬉しい”と思った。



「・・・なに泣きですか?」



“普通の幸治君”の“普通の一美さん”になれたことが、泣くくらいに“嬉しい”と思った。
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