バツイチですが、クールな御曹司に熱情愛で満たされてます!?
「あれ、課長先に帰っちゃったんですか?」

「えっ! あ、そうなの」

 背後からの声に、体がビクッとなり声が裏返る。

「お、大野君。電話は終わったの?」

 なにもなかったと装うために、笑って見せた。どうやらそれは成功したみたいで彼はプレゼンが成功したことを素直に喜んでいた。

「佐久間さんのおかげです。ありがとうございます」

「ううん。大野君が頑張ったからだよ。今日の態度も堂々としてて見直しちゃった」

 まぎれもなく今日の成功は彼の頑張りのたまものだ。私はこういうとき手放しでほめることにしている。

「佐久間さん……俺、仕事が楽しいです」

 笑みを浮かべる彼を見て、偉そうな言い方だけど一皮むけたように思える。

「それはよかった。じゃあこの後アポイントでも、しっかり成果出してね。遅い時間まで頑張ってるね。行ってらっしゃい」

「はい」

 彼はこれから直接顧客のところに向かう予定だ。

「私は社に戻るから。下まで一緒に行こう」

 建物の外に出て、この近くの顧客の会社へ向かう大野君の背中を見送る。

 その後私はシステム部のある別棟を離れて、いつものカフェラウンジのある宿泊棟に向かう。

 チェックインをする顧客にまぎれてフロントに目を向けたとき、カフェラウンジ勤務のよく顔を見かけるスタッフの女性がこちらに気が付いた。

「お仕事ですか? いつもと雰囲気が違うので見間違えそうになりました」

 いつも気持ちよく接客してくれるスタッフだ。私がよく環さんへのお土産の紅茶をオーダーするので顔を覚えてくれているらしい。

「ちょうどこの近くで仕事だったので。あの……お願いがあるんですが」

「はい。なんなりとお申しつけください」

 気持ちよく返事があって、ホッとする。

「八神さんに、こちらの封筒を渡しておいてください」

「八神……ですか?」

 スタッフが怪訝な顔をしている。もしかしたら他にも八神さんがいるのかもしれない。

「マネージャーの八神さんです」

 最初腑に落ちない顔をしていた女性だったが、すぐにハッとした表情になった。

「あ! 八神ですね。えぇ。かしこまりました」

「こちら、私の名刺を添えておきますので」

 封筒と一緒に名刺を渡すと、向こうも丁寧に自分の名刺を差し出してくれた。

「面倒なことを頼みますが、よろしくお願いいたします」

「お任せください」

 快く引き受けてくれてホッとする。

 封筒の中身はあの日のワンピースの代金だ。八神さんに直接渡そうとしてもきっと受け取ってもらえないから預けることにした。

「では、失礼します」

 私は頭を下げてその場を離れた。


* * *

 グランドオクト東京、別棟は五階以上がグランドオクトホテルの本社になっている。

 その中にある代表取締役社長室。

 アメリカでの仕事を終えて帰国した俺は、眼下に広がる夜景を見ながらひと息ついていた。

 ノックの音がして振り向きながら「どうぞ」と言う。

「失礼します」

 入ってきたのは秘書の(きょう)(もと)だ。

 几帳面が服を着て歩いているような男は、頭からつま先まで、少しの乱れもない。その上メタルフレームの眼鏡の奥から覗く鋭い視線は、刻一刻と変化するグランドオクトホテルを取り巻く環境の変化を見逃さない。

 俺の大事な右腕だ。

「シンガポールの土地買収の件ですが、少々難航しているようです。どうやら地権者との話し合いに問題があったようです」

 計画延期は許されない。瞬時に数人の人物を頭に思い浮かべる。

(たい)(わん)()さんとアポイントを。俺が直接話をする」

「かしこまりました」

「依頼していたベルリンの報告は?」

「レポートをメールしていますので、ご確認ください」

 さすが抜かりがない。

「わかった」

「それと――」

 京本がタブレットと一緒に持っていた封筒を俺に差し出した。

「こちらをカフェラウンジのスタッフが預かったそうです」

 封筒と一枚の名刺が渡された。

「例の報告書の女性ですか?」

 質問には答えなかったが、否定しなければそういうことだと京本はわかっている。

「いい加減、グランドオクトホテルの社長がゼネラルマネージャーなどと名乗って、ホテル内をうろつかないでいただきたいですね。スタッフも〝八神さん〟って名前を聞いて一瞬誰だかわからなかったみたいですよ」

 暇があれば現場を見るようにしている。その際不審がられないようにわざわざマネージャーのネームプレートを作成したくらいだ。秘書にたしなめられてもやめるつもりはない。社長といえどホテルマンであることは変わりない。基本を忘れては経営は立ち行かなくなるだろう。

 自分の信条は誰に言われても曲げるつもりはなかった。
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