君しか考えられないーエリート御曹司は傷物の令嬢にあふれる愛を隠さないー

重なる偶然

「ちょっと! 汚いわ、寄って来ないでよ」

 会社のエントランスをくぐったところで、史佳の声が聞こえて顔を上げる。
 彼女もちょうど帰宅するところだったらしく、私から二メートルほど離れた先にその姿を見つけた。

「もう! あっちに行けったら」

 大きく蹴り上げた足もとには、ドロドロに汚れた子猫が纏わりついていた。思わず悲鳴を上げそうになったが、なんとかこらえて史佳が去るのを待つ。

「やだ、泥がついちゃったじゃない」

 不満をまき散らしながら、彼女は荒々しい足取りで去っていった。

 その場にうずくまる子猫に、慌てて駆け寄る。
 九月に入ってもまだ真夏日が続き、昨日の午後は突然豪雨となった。この汚れ方は、もしかしたらその時から外を彷徨っていたのだろうかと心配が募る。

「大丈夫? ごめんね、痛かったね」

 励ますように声をかけながら子猫を抱き上げたが、嫌がる様子はない。というよりも、そこまでの元気がないのかもしれない。この子の過ごしたであろう過酷な時間を想像して、胸が苦しくなった。

「にゃあ」

 一瞬開いた瞼の奥から黄色の瞳が覗く。幼い鳴き声にハッとして、周囲を見回した。

「病院につれていかないと」

 この子の体は片手で持てるほど小さくて、このまま放っておけば死んでしまうかもしれない。
 かごに入れていない動物をつれて電車に乗るわけにはいかず、タクシーを探したが見当たらなかった。
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