君しか考えられないーエリート御曹司は傷物の令嬢にあふれる愛を隠さないー
 社長との顔合わせを終えてエントランスに向かっていたところで、少し前を歩く女性の存在に気がついた。

 どこか見覚えのある姿にハッとする。
 もしかして知っている人かもしれない。顔はうかがえないが、髪形や背格好がよく似ていた。

 途端に心が浮きだったが、同時に気まずい別れ方をしてしまったことを思い出して、申し訳ない気持ちがよみがえってくる。

 動物病院で出会ったその女性は、あずきと名づけたチワワを連れていた。彼女とは、偶然が重なってその後も数回顔を合せていた。待合室でたまたま隣り合ったのがきっかけとなり、言葉を交わすようになる。

 彼女は落ち着いた人で、言葉数もそれほど多くはない。常にどこか遠慮がちなのだが、ペットの話になると一転して明るい笑みを浮かべる。
 他人の飼い猫の病気に本気で心を痛め、根治したと知らせれば心底喜んでくれた。
 穏やかな彼女と話すのが心地いい。彼女の心根の優しさに触れるたびに、俺は少しずつ惹かれていった。

 彼女をもっと知りたい。次に会えたときには、カフェにでも誘って仲を深めたい。
 そんなふうに考えていた矢先に、彼女のこめかみにある痛ましい傷跡を目にした。

 一見しただけでも、そうとう大きなケガだったとわかる。どれくらい前のものかは不明だが、かなり辛い経験だったに違いない。

 彼女の苦痛や苦悩を想像して、それがとっさの表情に出てしまった。相手にとっては、傷跡を見てあからさまに反応をした不快な態度になっていたに違いない。
 その後すぐにネロが呼ばれたため、逃げるように駆けだした彼女を追いかけられなかった。
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