犬神さまの子を産むには~犬神さまの子を産むことになった私。旦那様はもふもふ甘々の寂しがり屋でした~
 春雷の言う通り、つわりは数日で落ち着いた。
 その頃には華蓮の腹部も大分膨らみ、紬の上からでも丸みを帯びているのが分かるようになっていた。人間の倍の速さで成長するだけあって、一日経つだけで人間の数日分大きくなっているらしい。最近ではお腹の張りや胃が圧迫されているような違和感さえ感じるようになったのだった。
 この頃になると、華蓮の心にもゆとりが出てきた。部屋に籠もっているばかりではなく、春雷が妖力で造ってくれた庭を眺めながら雪起が用意してくれた和綴じの本を読み、双六や折り紙などの玩具で遊んで日々を過ごすようになったのだった。
 この日も華蓮は庭に行こうと部屋を出たつもりだったが、敷地内のどこにも人の気配が感じられなかった。
 いつもなら雪起が動き回る足音や、春雷と雪起が会話する声が遠くから聞こえてくるが、今は物音一つ聞こえてこない。
 この世界に誰もいないような気がしてくると急に心細い気持ちになって、つい呟いてしまったのだった。

「春雷」
「呼んだか?」

 振り返ると、さっきまで誰もいなかったはずの廊下に、紬の袖をたすき掛けにした春雷が立っていたのだった。

「わぁ!? いつの間に居たの!?」
「睡蓮に呼ばれたから飛んで来たんだ。俺の子供を身ごもったことで一時的な縁が出来たからな。縁で結ばれた相手の声はよく聞こえる」

 そう言って、額から流れる汗を腕で拭ったので、本当に華蓮の声を聞きつけて駆けてきてくれたのだろう。手や紬の裾が土で汚れていたので、何か作業をしている途中だったのかもしれない。

「誰の気配も感じないから不安になって呼んだだけだったの。邪魔してごめん……」
「雪起なら買い物に行っているぞ。俺は裏の畑を手入れしていただけだ。最近は水遣りしかしてなかったからか雑草が伸び放題で」
「畑があるの?」
「気になるなら一緒に来るか? 大して面白くないかもしれないが……」

 最近まで自分の部屋と厠、後はせいぜい湯殿くらいしか使ったことがなかったので、他の場所がどうなっているか知らなかった。
 興味本位で華蓮が頷くと、春雷は腕を差し出してきたのだった。

「少し歩くことになる。転んだら大変だ。汗を掻いてしまったが杖代わりに掴まれ」
「掴まらなくても大丈夫。そんなに遠くないでしょう? そこまでしなきゃいけないくらい自分の子供が心配?」
「子供もそうだが睡蓮も心配だ。そんな大きな腹なら歩き辛いだろう」
「それは……」

 お腹が大きくなるにつれて気付いたが、最近では膨んだお腹で足元が見えづらくなっていた。用を出すのが大変なだけではなく、物を拾い上げることや草履を履くことさえ一苦労であった。
 また息切れもしやすくなったので、軽い散歩のつもりで廊下を歩いても、少ししか進まぬ内に息が上がってしまうのだった。
 そんな華蓮の苦労を春雷は知っているのかは分からないが、身体を支えてくれるのは有り難かった。
 腕を掴むと、華蓮の歩調に合わせて春雷は歩き出したのだった。

「辛くなったら言って欲しい。紬が土で汚れてしまうかもしれないが、君を抱えて部屋に戻ってもいい」
「ありがとう。優しいのね。春雷は」
「これくらいは当たり前だろう」

 さも当然のように言った春雷の横顔を見ながら華蓮は思う。

(やっぱり根は優しい人なんだろうな。春雷は……)

 多少は罪悪感もあるかもしれないが、手を貸すのも、華蓮の体調に気を配るのも、即座には出来ないだろう。普段から相手のことを慮らないと考えが至らない。

(それなのに今まで誰とも結婚しないで、一人で暮らしているなんて……何か理由があるのかな?)

 以前、春雷は自分で家族から離れて、一人で生きていくことを選んだと言っていた。そこに結婚しない理由も関係しているのだろうか。
 そんなことを考えている間に春雷が手入れをしていたという畑に着いたらしい。位置としては華蓮の部屋の反対側に当たるようで、今まで立ち入った場所にあるようだった。

「ここが畑だ」

 春雷の手を借りて草履を履くと、華蓮は畑に近づく。今は夏野菜が収穫期のようで、赤々としたトマトや細長いキュウリ、太く大きいナス、実がしっかり形付いてるトウモロコシ、小ぶりながらも存在を強調するスイカなどが植わっていたのであった。

「本格的な家庭菜園……!」
「本当はもっと種類を増やしたいんだがな。今はこれが精一杯だ」

 トマトの葉を触りながら春雷は穏やかな表情を浮かべる。華蓮も春雷の隣に行くと、両掌で掬うようにトマトの赤い実を手にしたのだった。

「トマトがたくさん実っているのよ。スーパーで売られていても良いくらい、赤くて立派なトマトよ」
「誰に話しかけているんだ?」
「お腹の子。そろそろ耳が発達して周囲の音を聞いていてもおかしくないから」

 目線をお腹に落として撫でていると、春雷も同じように目を向ける。

「そうだな。産月も近づいている以上、目や耳が出来ていてもおかしくないな……。これは迂闊に変なことは言えないぞ」
「春雷、あのね……」

 子供が産まれた後、自分たちの縁は本当に切れてしまうのかと聞こうとした時だった。急に空が暗くなったかと思うと雷が鳴り始める。

「ひと雨来そうだな……。君は中に戻った方がいい。濡れたら大変だ」
「春雷は?」
「俺はもう少し畑の様子を見たら中に入る」

 春雷の腕に掴まって縁側から中に戻ると、春雷はすぐに畑に戻ってしまう。徐々に空は暗くなっており、いつ雨が降り出してもおかしくなかった。
 畑の中にしゃがんで、時折袖で汗を拭う春雷を見ていてふと気づく。
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