玉響の花雫       あなたにもう一度恋を 壱
トレーから静かにソーサーを持ち
彼の座るテーブルに向きを整えて
そっと置いた。


「ごゆっくりなさってください。」

トクン‥

頭を下げてから顔を上げると、
思いもよらず視線がぶつかり、
持っていたトレーを気づかれないように
胸の前でギュっと抱き抱えた。


丁寧にセットされた髪の毛、
切れ長だけどキツすぎない瞳、
綺麗な鼻筋と薄めの唇。
どれをとっても完璧な姿は
学生の私にはとても眩しくて仕方ない


リリリリリン リリリリリン

電話の音に我に変えると、
慌ててカウンター横の
黒電話を手に取った。

「お待たせしました。
 黒谷珈琲専門店です。‥こんにちは。
 お世話になります。
 ‥はい、少々お待ちくださいませ。
 マスター、
 栗原さんからお電話です。」


保留なんて機能も
ついてない昔の黒電話の
受話器口を手で押さえてからマスターに
変わった後、カウンターで洗い立ての
コーヒーカップを磨き始めた


さっきあの人と目が合ったのは
偶然だったかもしれないけど、
吸い込まれそうな瞳に
胸が今でもドキドキしてる

就職先が内定している私が
彼の姿を見れるのもあと僅か‥‥


19歳から約3年間、ずっとこの距離が
縮まることはなかったけれど、
それでもここで働いていなければ
彼と会うこともないままの
人生だったと思えば
この距離でも幸せに思える。

『霞さん、すみませんが
 裏の栗原さん家に豆を届けてくるから
 10分くらい店を開けます。もし
 お客様が見えたら少しだけ
 待ってもらってくださいね。』

「はい、マスター。お気をつけて。」

栗原さんとマスターは
古くからの友人で、
時々こうして散歩がてら
豆を届けに行っている。

なので、こうして
私がバイトでいる時には店を閉めずに
留守番を任せられているのだ。

エプロンを外したマスターが裏口から
お店を出ていくのを確認すると、
彼が席から立ち上がったので、
レジカウンターに移動した。

普段、お会計はマスターしかやらない。

忙しくても、
必ず飲んでくださったお客様に
感謝の気持ちを込めたお礼をしてから
お代をいただいているからだ。

もうすぐ60歳だけど、
ロマンスグレーの髪の毛と
髭のお手入れをしているから
清潔感はいっさい損なわれず
マスターはお客様から
とても慕われていた



『ご馳走様でした。』

「ありがとうございます。
 お代は600円になります。」

珈琲チケットは買わずに、
彼はいつも定価のお値段で
支払いをしていくのも知ってる

レジカウンター越しに背の高い彼を
見上げてからお辞儀をした。


「いつもありがとうございます。
 マスターが不在で代わりにお礼を
 伝えます。
 またいらしてくださいね。」
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